【芸能】ジャニー喜多川氏逝く ”生涯プロデューサー”が生前に話したSMAPの思い出「歌は下手だったけど……」
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数々の男性アイドルを世に送り出した大手芸能事務所「ジャニーズ事務所」社長のジャニー喜多川(本名・喜多川拡=きたがわ・ひろむ)氏が、
7月9日午後4時47分、解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のため都内の病院で亡くなった。享年87。
https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/4/0/40a2e_1386_e1e6e27cccdf8e8958a238a7d944c32c.jpg
ジャニー喜多川氏近影(昨年12月)
若手ジャニーズタレントはタクシーを飛ばして駆け付けた
この日の夜はタレントや関係者が事務所関連施設へ続々と集まった。ある若手のジャニーズタレントを乗せたタクシーの運転手が話す。
「池袋のあたりで、着の身着のままで年の若い子が走ってきて、『渋谷に行ってください!』と。『急いで』『早く』と何度も言われました。
組んだ脚を揺らして、落ち着かない様子で、電話で『いま着きます』と話していた。到着した場所にはたくさんの車が停まっていました」
《ジャニーは病に倒れる直前まで、劇場やスタジオに赴く日々を過ごしておりました。特に公演を目前に控えたJr.達に、
連日、熱心に指導する姿はジャニーのプロデューサー人生そのものであり、まさに生涯プロデューサーとしての人生を全ういたしました》
ジャニーズ事務所が報道各社に送付したコメントにはこう記されていた。
「週刊文春」7月4日号ではジャニー氏が緊急搬送されたという一報に関連して、
氏がタレントたちに対して、まるで父親のように深い愛情をもって接していた“知られざる日常”について、下記のように報じた。
1962年の創業以来、ジャニーズ事務所が数多のスターを世に送り出してきた華々しい歴史は、ジャニー氏の並々ならぬ“タレント愛”を抜きにしては語れない。
◆ ◆ ◆
ジャニーさんの手料理は絶品
ジャニー氏が倒れた自宅マンションは、デビュー予備軍の「ジュニア」と呼ばれる少年たちが頻繁に出入りする“溜まり場”だった。
部屋を訪れたことがあるタレントが語る。
「高層マンションの最上階の二部屋分の広い部屋です。中央の柱には熱帯魚の水槽が設置されている。
奥にはカラオケやルームシアターもあって、ジャニーさんは目をかけた少年に合鍵を持たせて自由に使わせていました。
普段は、家政婦さんが身の回りの世話をしていたので、救急車を呼んだのはその方かもしれません」
独身のジャニー氏は日常的に自宅にジュニアを招き入れ、プライベートの大半を少年たちと一緒に過ごしていた。
「キンプリの平野紫耀をはじめ、デビュー組もかつてはよくジャニーさんの家に行っていました。
ジャニーさんの手料理は絶品で、ガーリックライスやフレンチトーストの味は忘れられない。
ジャニーさんと一緒にテレビを見たり、本音で語り合ったり。あのマンションには多くの少年の思い出が詰まっているんです」(同前)
https://news.livedoor.com/article/detail/16749408/
2019年7月10日 3時0分 文春オンライン 「いつまでも子供のような心を持った人」
2011年にジャニー氏は「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」、「最も多くのNo.1シングルをプロデュースした人物」としてギネス世界記録に認定された。
ギネス認定に感激したジャニー氏は部屋中を駆け回り、少年たちに「見て、見て!」と誇らしげに認定証を見せびらかしたという。
「ジャニーさん自身が、いつまでも子供のような心を持った人。ただ、あまりにも少年たちが騒ぐから、近所からクレームが出て別のビルに移った時期もあったんです。
そこには約二十メートルのプールもあり、ジュニアが入り浸っていました」(芸能プロ関係者)
もっとも有名な芸能事務所の社長にして、素顔が謎に包まれているジャニー氏。過去にインタビューを受けたことは数えるほどしかないが、少年たちとはお互いに腹を割って話し合う仲だった。
ジャニー氏をよく知る別のタレントが明かす。
「ジャニーさんから怒鳴られたり、何かを命令された記憶はほとんどない。『戦争で人に使われる身だったから、自分が人を使うのは好きじゃないんだよね』と言って、
ちょっとしたことでも自分で率先して動くし、偉ぶったところがまったくない。ジャニーさんがよく聞かせてくれたのは中居君や木村君との思い出です」
特に中居の話になると嬉しそうな表情を浮かべたという。
「『歌は下手だったけど、テレビを見ながらずっと勉強してたんだよ。だから、ユーたちも勉強しなきゃダメだよ』と引き合いに出したり、中居君がアメリカでパスポートを無くした時の話をしていました。
SMAPを育てた元マネジャーの飯島三智さんの手腕を高く評価していて、一時『次の社長は絶対に飯島。飯島しかいない』と語っていたほどです」(同前)
「週刊文春」2019年7月4日号より抜粋 >独身のジャニー氏は日常的に自宅にジュニアを招き入れ、プライベートの大半を少年たちと一緒に過ごしていた。
日本のマイケルジャクソンやんけ 爺死んだ後の良い点 悪い点
・これからのジャニヲタはホモの心配なしw 一般人にうしろめたさなく応援できる
・爺の意味不明な趣味、ブサイクの入所→デビューは無くなる。 例;草g 井ノ原 相葉 有岡 舞祭組 ABCZ全員
・ジュリー=嵐のごり押し・・・ ジャップさー
音痴なのにミリオン
・しゅまっぷ
・近藤マッチ
・えーけーびー ジャニーは確かに天性の勘というか類いまれなきプロデューサーであった
メリーやジュリーにはそれが微塵も感じられない >独身のジャニー氏は日常的に自宅にジュニアを招き入れ、プライベートの大半を少年たちと一緒に過ごしていた。
なにしてたんですか? ジャニーさんがお亡くなりになり
ジャニーズジュニア全盛の絶頂期で辞めたあの子がyoutubeでコメント
知る人ぞ知る
https://youtu.be/GpyPU75xbE8 中居は早死にするって予言されたんだろ
年齢までハッキリ言われて 一夜の内にどれだけ関連記事出してんねん
死ぬ予告があったから色々用意しすぎやろ
その割にどれもかなりくだらない内容なのなんやねん 飯島社長にしたら安泰だったかもな
メリジュリで泥舟だろう 92歳の泥船に乗ったバカもいるけどな。ジャニーズ最大のバカ。 こんな時まで文春使って飯島アピールか
ほんとゲスいな
ジャニーは「ビートルズ4人の中にサングラスのマネージャーが写ってる姿を見て以来、タレントと一緒に写真を撮るのはみっともないと思った」
と自らのエゴに走らず裏方に徹した人生だった
こんな人が自分アピールばかりの飯島を社長になんて言うわけがない それで生贄の羊は 全部で何人だったんだ?
詳しい人教えて >>19
↑
こういう奴って自分の都合の良い記事は信じるくせに、自分と考えが違うと
完全否定するんだよな。週刊誌の記者だって机に座って妄想しながら
記事を書いてるんじゃないぞ。取材してみて、そういう情報が手に入ったから
書いたわけで、話半分としてもそういう事実は合ったとみる方が自然だ。 ジャニーさんが死んだんだから中居は地図に来てくれるよね?
まさかまだジュリーに尻尾ふったりしないよね? >>23
もうSMAPは木村の裏切りで解散したんだよ。いつまで夢を見てるの? >>5
アホか
マッチや山Pをお小姓にしてたメリーを見倣って受理がジュニアにオッパイ吸わせるわ >>26
少しは調べろよ
■性的虐待を受けた元ジャニーズの著者が顔出しで告白暴露本
・「Smapへ そして、すべてのジャニーズタレントへ」 木山将吾(著)
・「KAT-TUNへ」 木山将吾(著)←Smapへと内容ほぼ同じ >>25
↑
このバカ、何を言いたいのかわからん。
『中居は地図に来てくれるよね』と中居に期待感を示してみたり、
そうかと思えば、SMAPは解散したと言えば、『中居信者』と侮ったり。 お別れの会では元SMAPのジャニーズ事務所を辞めた3人も来るのか
それともメリーが会場入り口で帰れ!で追い返すのか 麻雀して勝ってもお金を受け取らなかった。
というのは、テレビで言う話じゃないかと思う。 >>44
病気になる前の堂本剛くらいだろうな、ジャニーズでなくても歌手として成功したのは
勿論好き嫌いある歌い方だが あとは韓流、AKB、吉本、エグザルあたりが減れば健全に近づく 文春かよ
文春はホモセクハラ告発キャンペーンやってたのにな あのマンションには多くの少年の思い出が詰まっているんです ジャニーズがなければ日本のテレビと映画はもっと面白いものになってた。 80年代末には嘲笑の的だったジャニーズ
SMAPがムダに長生きさせちゃった
ここまで来たら、ジャニーズで飯喰ってる奴らが潰させないだろうなぁ >>58
新人タレントの採用条件で間違ったな。顔を重要視して、
頭の悪いのを無視した。その結果、番組が学芸会みたいになってしまった。
歳を取って顔が劣化してきたら、頭の悪いところだけが目立つようになった。
特に、あの人。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています