――「日本のマーケットは意識していない」と、その心境にいたった理由は?

「日本を捨ててはないですけど、やっぱり日本人ですから、気にしてたんですけど、そうすることによって、自分自身の素の部分を出せないのがあって。
日本はいろいろ気にしないとダメなところがあるじゃないですか。自分が感じてることを言っちゃいけない国じゃないですか。だから、一回吹っ切れることによって、よくなって来ましたね」

――6月6日に初参戦したアメリカの団体のPFLではクロアチアの選手として出場して、クロアチアの国旗を持って入場しました。日本ではなく、クロアチアを選んだ理由は?

「いままで日本の熱心なファンに応援されることもなく、ずっとやってきたんで。それよりもぼくはクロアチアに住んで2年半ぐらいたつんですけど、すごいサポートもしてもらえて、みんなが応援してくれてます。
だからクロアチア代表で戦って、日本人がヘビー級でチャンピオンになったぞと言わせないというか(笑)」

――クロアチア国籍をとることも考えてます?

「あ。国籍とりましたよ」

――本当にクロアチア人なんですね?

「はい。そうです。このあいだ、国籍とりましたよ。いまはクロアチア人です」

クロアチアの国旗を背にケージへ立つ石井慧(三尾圭撮影)
将来が約束された道を捨て、総合格闘技に転向
――10年前に金メダルを取られて、オリンピック2連覇、3連覇という道もあったはずです。どうして、あの若さで柔道を辞めて、総合格闘家になったのですか?

「昔から総合格闘技をやりたかったからです。小さいころから強さに憧れていました。柔道よりも総合の世界でどこまでできるんだろうという思いがずっとあって。オリンピックまでは柔道をがんばって、そこから先は総合に転向しようと思ってました」

――日本では2008年の北京五輪の前ぐらいに格闘技ブームは下火になり、タイミング的にはいい時期の転向ではなかったですが、気にならなかったですか?

「そうですね。ビジネスで考えてなかったので、そこはあんまり。ただ総合をやりたいからいきました」