――2008年の年末には、石井選手への独占交渉権がアメリカのメジャー団体のUFCに与えられました。契約がまとまらなかった理由は?

「ぼくのまわりにいた人たちですね。あのころは、UFCだけに限らず、いろんなことがありました。21歳というのもあり、そこで初めて、全員を信じちゃいけないんだなと。世の中には変な人もいるということを学びました(苦笑)」

2008年の北京五輪柔道100キロ超級で金メダルを手にした石井慧(写真:ロイター/アフロ)
――最終的に選んだのは、日本の大みそかでデビュー戦の相手は柔道界の先輩の吉田秀彦選手でした。あのデビュー戦は?

「もっと弱い選手とやるべきだったと思いました。それでも、一戦目からベテランの選手と戦うことができたのは、いい経験になりました」

――あの一戦で「石井選手は弱いんじゃないか?」というイメージが定着しました。ご自身ではどう思いますか?

「もうしょうがないと思いますね。勝負の世界だし。日本って、やり直しがきかない国だと思うんですよね。アメリカと違って。
例えば、一回犯罪を犯しちゃうと、もう芸能人でもやり直しがきかないじゃないですか。
でも、アメリカとかだと、ドラッグしようが何をしようが、また戻ってくるじゃないですか」

 石井慧の格闘家人生も七転び八起きだ。デビュー戦翌日には「石井、弱かった」と酷評されたが、1年後にはK-1の番長ことジェロム・レ・バンナに判定勝ちを飾った。
格闘技の冬の時代にあって、年末になると強豪選手とのマッチメークを石井は強いられた。
2011年の大みそかには、元PRIDE王者エメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦。「いままでで一番怖かった。試合前に逃げ出したかった」という一戦でパンチの連打を浴び、なす術もなくKO負けで散った。
それでも、ヒョードル戦後には8連勝して再浮上。しかし、2014年にはミルコ・クロコップとの連戦で敗北を喫した。
今度は海外の舞台に活路を見いだそうとして、アメリカの団体にも上がったが結果は出なかった。
2016年ごろの石井は「自信喪失状態でした」と振り返るほど、落ち込んでいた。
藁にもすがる思いでたどり着いたのが、現在の練習拠点のクロアチアであり、拳を交えた相手のミルコ・クロコップだったのだ。


交際中の柔術世界女王クリスティン・ミケルソンさんと石井慧(三尾圭撮影)
■プロフィール

1986年12月19日生まれ(32歳)、大阪府茨木市出身。2008年北京オリンピック柔道男子100キロ超級の金メダリスト。
優勝後のインタビューで「オリンピックのプレッシャーなんて斉藤先生のプレッシャーに比べたら、屁の突っ張りにもなりません」と発言し、一躍時の人に。
2009年12月31日に総合格闘家としてのデビュー戦を行い、吉田秀彦に判定負け。その後、元PRIDE王者エメリヤーエンコ・ヒョードルやミルコ・クロコップら強豪選手との対戦も多く経験。
世界中の格闘技団体にも積極的に上がり、2017年からは練習拠点をクロアチアに移す。現在7連勝中。交際中の柔術世界女王クリスティン・ミケルソンさんとは、8月からクロアチアで同居予定。

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