志らくの言った事はなんら間違っていない、
元農林水産事務次官の息子は志らくの言葉を知っていたであろうに
まだ「一人で死ね」と言う言葉が息子に響いていなかったらしく
「運動会の音がうるさい」、「子どもを殺す」とか言ったとか、
もっともっと「死ぬなら一人で死ね」(この言葉のメインは”死ね”ではなく罪のない人を巻き込むな)
を言い続けるべきだ。

志らくの言葉がプラスに働いたと言えるのが熊沢容疑者が川崎の事件の志らくの言葉と事件その物を
”教訓”にできて熊沢容疑者の息子が小学生を殺す前に(息子を生かしていたら
罪のない子供達が殺されたかどうかの未来の事は神のみぞ知る話ではありますが今まで出てきた情報を
総合的に考えればその可能性は高いと考えられる)息子の命を絶って罪もない命が失われるのを
未然に救う事が出来たと考えられる事だ。

「誰の命も大切、息子がどんな人間であれ殺す事は許されない」と言う
基本的考え方は間違ってはいない物の、暴力的な息子の命を一つ守る事で罪のない子供達の
命が複数奪われてしまっては「命は大切」と言う考え方からすれば本末転倒であり
親が息子を殺したのは一般論として褒められる話では有り得ないが
「息子を生かして子供たちの命に危害を加える事に目を瞑るのか」、
「息子を殺してついもない子供達の命を守るのか」の究極の状況の選択肢としては
致し方たなかったと言えるだろう。

誤解のない様に付け加えて置けば
引きこもりとかの社会不適合者と言っても十把一からげに語ってはいけないと言う事、
だから引きこもりだから、社会不適合者だから”殺されて良い”とか言った話をしたわけではありません、
多くの社会不適合者に対しては社会が温かい手を差し伸べて社会復帰ができるよう支援してあげるべきではあるが
極々一部に暴力的で聞く耳を持たず話し合いが出来ないそして今にも人を殺してしまう状況にある
社会不適合者に対しては誰かに相談して何て言う時間の余裕もないので
究極の選択もやむを得ないと言う事も極意稀に有るだろうと言う事です。