◆ ありふれた言葉だからこそ強く尊い―― 没後12年、人々の魂を揺さぶり続けるZARD・坂井泉水の世界

ZARDのボーカル・坂井泉水さんが亡くなって今年の5月27日で12年になる。
享年40。1991年にデビューして、代表曲「負けないで」などは今もカラオケの定番ソングとして親しまれている。

まさに平成を駆け抜けたアーティストだった。
彼女の素顔、今も歌い継がれる理由を探った。

■ 常に何かを書いていた

坂井さんは毎日紙に言葉を書き続けた。
移動中、レコーディングの合間など、暇さえあればペンを走らせた。寺尾氏が振り返る。

「常に何かを書いていましたね。1行だったり、2行だったり。あるいは数ページにわたって書いた文章も。そうかと思えば、例えば『きっと忘れない』のような一言だけのフレーズもありました。普通はノートに書くのでしょうが、坂井さんはレポート用紙やメモ用紙などその場にある紙に書くことが多かったですね」

基本的な作品作りはこうだ。まず長戸プロデューサーの元に届けられた数々のデモテープの中から曲が選ばれ、曲に合わせて坂井さんが作詞する。
ただ坂井さんの作詞する方法は変わっていて、曲に対して一から書き下ろすことはしない。
レポート用紙などに日ごろから書きためてあるものの中から、まるでパズルのようにメロディーに言葉を当てはめていくのだという。寺尾氏が続ける。

「曲のデモテープをもらうとまず、サビの出だしのメロディーにはこういう日本語や英語が合うというのを最初に決めることが多かったですね。歌詞全体も今まで書いていた言葉を当てはめて一つのストーリーになるように作っていました。起承転結を綿密に考えてやったというよりは自然と成立している感じ。ロジックになりすぎていないから読み手に(意味を自分なりに解釈できる)余白があるのです」

■ 日本人の情緒に訴えかけるグルーヴ感

坂井さんは歌詞だけでなく、歌い方にも特徴があった。レコーディング・エンジニアの島田氏が解説する。

「坂井さんはアタック(起声、出だしの音)をきちんと付けながらも、少し後ろのタイミングを強調して歌うという独特さがあります。アタックとはシンセサイザーの専門用語で、音が鳴ってから最大音量になる部分のことで、鍵盤を離して音が鳴り終わるまでの『リリース』という言葉とセットでよく使います。坂井さんはアタックからリリースまでが長い。例えば、『きっと忘れない』を『きいっと忘れない』のように、『き』のあとに母音の『い』を入れて、後ろに引っ張ります。『揺れるう想いい からあだじゅう感じてえ(揺れる想い 体じゅう感じて)』とかもそう。歌詞だけ見ると母音の部分はありませんが、歌を聴くと細かく入ってくるのです」

こうした坂井さんの特徴的な歌い方について、レコーディング・ディレクターの寺尾氏は、ある種「演歌的」と指摘する。

「坂井さんは、見た目も声の感じもあっさりしているけど、ゆったりと歌う演歌的なグルーヴ感があります。日本人の情緒に訴えかけるようで、それがいつまでもZARDの音楽が色あせない理由かもしれません」

音の作り方にも特徴があった。演奏する楽器の数が多く、メロディーの中に隙間がない。
弦やコーラスなど全部の音のハーモニーを大事にしていたという。実は、そういったアレンジにも理由があった。寺尾氏が説明する。

「坂井さんは音程がすごく安定しているタイプではなく、ハーモニーに支えられて威力を発揮する人でした。16ビートのドラムループの中で歌うよりは、コードや楽器がいろいろと入っているほうがZARDらしいし、坂井泉水というアーティストの魅力が十分発揮できました」

音作りの細部にこだわるため、途中から録音機材のマイクも替えた。彼女が愛用したのは、ドイツやオーストリア製の真空管マイクである。
なんと1950年代に作られたものだという。真空管にすることで音がじんわりと優しく広がっていく特徴があるそうだ。

「ZARDは“平成に生きる昭和の女”をコンセプトにしていて、(音楽やファッションなどの)はやりのスタイルを取り入れることもありませんでした。トレンドを重視したらすぐに古びて、飽きられてしまいます。これもZARDがエバーグリーンになったゆえんかもしれません」

1990年代は、バブル崩壊、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件、山一證券の経営破たんなど、総じて暗い過去として語られることが多い。
坂井さんは、そんな時代に歌で大勢の人たちを明るく鼓舞しながら、全力で走り抜けた。

※記事を一部引用しました。全文はソースでご覧下さい。

Yahoo!ニュース 2019/5/25(土) 7:14
https://news.yahoo.co.jp/feature/1335
https://i.imgur.com/U6JAMTB.png