あの人は今  甲子園連覇ドラ1 根尾 昂さん(32歳) 

2032年、日本シリーズ。 それをテレビで見つめる男がいた。 
18歳で将来を嘱望され中日ドラゴンズへ入団した、根尾昂さんだ。 
「あの頃は若かったですね(笑)」若き日を回想する根尾昂は、どこか寂しげだ。 
「未だに当時の夢を見ることがあるんですよ。日本シリーズで、俺が逆転打を打って活躍する夢を」 
根尾さんは21歳の時に左手を故障、2年間リハビリを続けたが 
結局完治することはなく、ドラゴンズから戦力外通告を受けた。 
今は両親の医院で事務を担当する傍ら、地元で少年野球のチームを指導している
少年野球チームの旗に書かれたチーム名は中日のOB会長で同県人な高木守道氏によるものだ
「おひさしぶりです」。岐阜駅東口から歩いて5分。 
根尾医院と書かれた白亜の三回建の建物の前で数年ぶりに会った根尾氏は言われなければ元プロ野球選手と
思えないぐらいスーツ姿が似合っていた。
「一去年の4月にチームを開設しました。旗の文字は高木守道さんに書いて 
いただきましたし、西谷監督や佐賀で農家兼少年野球チーム監督やってる柿木くんからも「うちに来れるレベルの選手育てろよ」とか「 佐賀の米送ってやるよ」と激励の言葉もらいました
今年はイチロー杯に出れましたし、そのうち大阪桐蔭に選手送り込みたいですね」 
根尾さんははにかみながら語ってくれた。
退団後 帝京大学医学部に入学したものの付いて行けず、三年の時に転学し経営学部を卒業、現在は両親、兄の医院で事務局長をしている。
「 十年脳筋やったら頭は退化してました 」そう笑う根尾氏に
かつてのライバルの吉田投手のメジャーオールスターでの大谷投手との投げ合いについて尋ねると… 
「知ってます?僕も二刀流だったんですよ」と、おどけ 
「俺も怪我さえ無ければって…歯がゆいですけど」 
「今はもう現役に未練はありません。今は教え子を大阪桐蔭に送り込んで日本一になれるよう、 
がんばるだけです!」 
(写真)