歓喜、驚愕、落胆、失意、怒号、狂乱、感動……。いいことも悪いことも、さまざまな出来事があった平成のスポーツシーン。
現場で取材をしたライター、ジャーナリストが、いまも強烈に印象に残っている名場面を振り返る――。

平成の競馬の最初の主役は、オグリキャップだった。
元号が昭和から平成に変わった1989年は、このオグリキャップを中心に、イナリワンとスーパークリークが勝ったり、負けたりを繰り返し「平成の三強」と呼ばれた。
そして翌1990年(平成2年)には、競馬史に刻まれる、有馬記念でのオグリキャップの劇的な復活劇があった。その”感動のラストラン”は、今なお語り継がれる伝説だ。
平成の競馬はまさに異様な盛り上がりのなか、幕を開けたのである。

その後も、名馬は続々と誕生した。
史上5頭目の三冠馬ナリタブライン、悲運の快速馬サイレンススズカ、凱旋門賞2着惜敗のエルコンドルパサー、史上最多記録に並ぶGI7勝馬テイエムオペラオー、
NHKマイルCと日本ダービーの変則二冠を達成したキングカメハメハ、史上7頭目の三冠馬オルフェーヴル……。
また、64年ぶりに牝馬でダービーを制したウオッカや、その好敵手ダイワスカーレット、
さらに「怪物」オルフェーヴルをジャパンCで撃破したジェンティルドンナなど、競馬界の常識を次々に覆してきた名牝も数多く登場した。

そんななか、「平成を代表する1頭は?」と問われたなら、躊躇なくディープインパクトの名前を挙げる。

2004年(平成16年)〜2006年(平成18年)の現役生活で、国内通算13戦12勝(2着1回)。史上6頭目の三冠馬である。
しかも、過去にはシンボリルドルフ一頭しかいない、無敗の三冠馬となった。
父はアメリカ競馬史にもその名を刻む、米二冠馬のサンデーサイレンス。母ウインドインハーヘアも、欧州に活躍馬が数多くいる名門の出で、自身も英オークス2着という実績を持つ。
ディープインパクトは、文句なしの良血馬である。その良血馬が、良血たる最高の走りを見せつけた。

元来、競馬ファンは叩き上げの”感動物語”が好きだ。一方で、良血のまさに良血たるスーパーな走りにも夢を抱いている。
その欲求を存分に満たしてくれたのが、ディープインパクトだった。
“アンチ良血”を自認する競馬ファンも、「ディープだけは違う」と称賛。彼らが持つ”潜在的な良血への期待”をも覚醒させたのである。

記憶に残るレースを挙げればきりがないが、なかでも強く印象に残っているのは、2005年(平成17年)の日本ダービー(東京・芝2400m)。
パドックでは尻っぱねをして、入れ込むというより、もはや「暴れ回る」と言ったほうがいいぐらいの状態だった。
あの興奮具合では、いかにディープインパクトといえど、「あれで普通に走れるのか」「今回は危ないかも」といった危惧を抱いたことを覚えている。

実はこのダービーだけでなく、ディープインパクトの三冠レースでは”あわや”というシーンが常にあった。
皐月賞ではスタート直後、いきなり躓(つまず)いて、騎手が落馬寸前にまで体勢を崩した。
もし、あそこで落馬していたら、今日のような”ディープインパクト・ストーリー”は歴史に刻まれていなかったに違いない。
ダービーではパドックで入れ込んでいただけでなく、スタートも出遅れた。そして菊花賞では、好スタートを切ったところまではよかったが、
直後の3コーナーあたりから引っかかって、グイグイと前に行きたがった。あの時、京都競馬場を埋め尽くした13万人強の大観衆から、悲鳴のような歓声が起こったのをよく覚えている。
しかし、そんなアクシデントなどどこ吹く風で、ディープインパクトは三冠レースのすべてを危なげなく制している。

>>2以降へ続く)