【野球】ビル・ガリクソン なぜメジャー20勝投手はわずか2年で日本球界を去ったのか?「日本では忍耐と我慢を学んだ」
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/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】江川卓の代役としての期待
もうじき平成が終わり、令和が始まる。
そうなるとふと気になったのが、約30年前に昭和が終わり、平成が始まるころのプロ野球界はどんな選手が注目されていたのだろうか? ということだ。
2月にファミコンソフト『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』が発売され、3月に東京ドームが開場した1988年(昭和63年)春の『週刊ベースボール』を確認してみると、ひとりの投手を集中的に取り上げている。
巨人の新外国人、ビル・ガリクソンである。
なにせ、その実績がずば抜けていた。全米2位でエクスポズからドラフト1位指名。
79年に大リーグ・デビューをして以来、レッズ、ヤンキースと渡り歩き、9年間で通算101勝86敗。
なんと来日前年まで6年連続12勝以上を記録。
身長190センチ、体重100キロの大型右腕はメジャー・リーグの年俸調停委員会の交渉期限が切れると、まさかの日本球界行きを決断する。
2年契約、総額330万ドル(約4億2900万円)の当時としては破格の好条件で巨人入りが発表された(日本人選手の最高年俸は落合博満の1億3000万円)。
しかも、まだ29歳の若さである。当然、20勝を期待され背番号は20。
前年に日本球界を沸かせたボブ・ホーナー(ヤクルト)以上の大物と話題を集め、引退した江川卓の代役を務められる新エースとしてチームに迎え入れられた。
早速、週べ2月1日号では表紙を飾り、「ベールを脱いだ怪物 ガリクソン まるごと大研究」特集が大展開。
ヤンキースではマーチン監督との関係は良好とは言えず、年俸も90万ドルから60万ドルへのダウン提示を受け、
80年代後半はバブル景気絶頂でMLBとガチンコのマネーゲームを戦えたNPBという選択肢が急浮上。
すかさず巨人が名乗りを上げ、日本球界初の前年大リーグ2ケタ勝利投手が来日する。とにかくこの時期のガリクソンは絶賛の嵐だ。
「契約更改のときも、江川さんの穴を埋められるすごいの取ってくださいよって、お願いしたんです。
ガリクソンが来るとは思わなかったな」と饒舌に語る若大将・原辰徳。「1本、ものすごい柱がデ〜ンと据えられた感じだろ。
よ〜し、今年もオレは自分のことを精いっぱいやればいいんだって気持ちになる」なんて笑う絶好調男・中畑清。
評論家の小川邦和氏は「阪神のキーオでさえ楽に2ケタ勝てるレベルでのガリクソン登場。
これはやっぱり、去年のホーナー並みの大変な騒ぎを引き起こしそうだ」なんつって興奮のあまり他球団の助っ人をディスる始末。
日ごろは慎重な王貞治監督でさえ「ローテーションの軸で20勝は期待していいだろう。
江川の穴は十分、埋まる」と勢いに乗ってV2宣言。ほかにも「巨人ヤング3本柱に火をつけたガリクソン効果」とあるが、
88年当時の3本柱は平成を代表する斎藤雅樹、桑田真澄、槙原寛己ではなく、桑田と槙原、そして水野雄二で“MMK”と呼ばれていたことが今となっては新鮮だ。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190424-00000005-baseballo-base
4/24(水) 11:01配信
https://www.zakzak.co.jp/images/news/180715/spo1807150003-m1.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/dekirugonta/imgs/8/1/81e4b5d8.jpg
https://pbs.twimg.com/media/C_n8BWUVwAUhA0l.jpg
https://nipponbaseball.web.fc2.com/personal/mpitcher/bill_gullickson.html
成績 糖尿病と闘いながら
ガリクソン・フィーバーはしばらく続き、プロボクサーのマイク・タイソンが表紙を飾る『週刊サンケイ』3月10日号では、
「現役大リーガー ガリクソン、金田以来の30勝投手になるか?」とすさまじい特集が組まれている。
おそらく、日本球界で30勝を期待された投手はガリーが最後だろう。週べ4月11日号にも独占ロングインタビューが掲載され、
「マスコミから何パーセントの仕上がりか聞かれても、答えようがない」なんて嘆いてみせ、日本の生活環境に戸惑いを見せる。
「ベリー・エクスペンシブ(高い!)。日本で野球をやるよりも、生活するほうがはるかに難しさを感じる。物価は高いし、安い好みのレストランを探すんだって大変だ」
それでも2歳の娘が小学校に入るまでは日本で野球を続けたいと将来のビジョンを語り、
持病の糖尿病については「ボクは積極的に生きたいと思ってるから、病気と闘いながら野球を続けるつもりだ」と前を向くメジャー・リーガー。
インシュリン注射は1回2本を毎日、自分で打つ。低血糖からマウンド上で身体の震えを覚えても、動揺を顔に出さず打者を抑え、ゆっくり歩いてダッグアウトまで戻り、飴をなめたこともあったという。
真新しい東京ドーム1年目、スーパー助っ人もスタートは順調だった。王巨人の柱を託されたガリクソンは快調に飛ばし、初登板から3連続完投の4連勝で4月月間MVPを受賞。
ピッチャーゴロやライナーを素手で捕りにいくメジャー仕込みの気迫のプレーも話題に。
ついでに4月27日にはゴールデンルーキー・長嶋一茂(ヤクルト)に神宮球場でプロ初ホームランを許すおまけつき。
あらゆる意味で昭和最後の春のプロ野球の主役は、ビル・ガリクソンだった。しかし周囲が30勝もいけると盛り上がる中、5月から急失速。
それでも夏場に意地を見せ盛り返し、最終的には14勝9敗、防御率3.10。14完投はリーグ最多というエース級の数字を残してみせた。
当時まだ20歳の桑田真澄と親しくなり、長男にクレイグ・クワタ・ガリクソンと名付けたことも話題に。
メジャー復帰後、最多勝に
さあ、2年目の平成元年は藤田元司新監督のもと20勝と思ったら、キャンプ中に左ヒザの半月板を損傷。
アメリカに戻り手術を受ける苦難のスタートとなった。5月に戦列復帰するも、わずか7勝。
終盤は右足太もも肉離れにも苦しみ、巨人対近鉄の日本シリーズ第6戦を前にした移動日に米国へ帰国する。
故障でシリーズの登板が不可能だったためだが、邪魔者を追い払うかのような最後の日々。
コーチたちはことあるごとに「ガリーに負けるな」「ガリーを追い越せ」と若手たちを叱咤激励したという。
「1年目はみんなが私を神様のように扱った。ところが2年目は監督もコーチも日本人の若い投手を育てることに必死になった。それはいいが、私が敵にならなければいけない理由が分からない」
そう嘆いたガリクソンは、来日時の喧噪が嘘のように静かに巨人を去った。
90年にはアストロズでメジャー復帰を果たし10勝を挙げ、デトロイト・タイガースへ移籍した91年には、32歳で自己初の20勝に到達、ア・リーグ最多勝に輝く。
同チームには元阪神のセシル・フィルダーも在籍し、44本塁打、133打点で2年連続の二冠獲得。
日本球界復帰組の活躍であれだけ遠かった大リーグとの距離がわずかに縮んだように感じられたものだ。
その2年後には週刊ベースボールの企画で、現役を引退した元巨人の同僚ウォーレン・クロマティがガリクソンを直撃インタビュー。
「日本では忍耐と我慢を学んだ」なんて神妙に語りつつも、クロマティからナガシマさんがトウキョウ・ジャイアンツの監督になったと教えられると二人でこう笑い合う。
「知ってるよ、ナガシマなら。彼にプロ入り第1号ホームランを打たれた投手がビル・ガリクソンだよ。このオレだよ、神宮で、ね」
「それはカズシゲ・ナガシマさ、息子のほうだよ(笑)」
もし、巨人が3年目のガリクソンを残留させていたら、長嶋巨人でも背番号20がローテで活躍をして、その後の球史は大きく変わった可能性が高い(94年の中日との10.8決戦は存在しただろうか?)。
わずか2年の日本生活。それでもニューヨークの新聞が「金だけにモノをいわせて、ビルや土地、名画を買いあさる成り金日本が野球にも進出」と書き立てたあの時代、
昭和と平成を股にかけた年俸総額330万ドルのビル・ガリクソンは、好景気に沸いた80年代後半のニッポンを象徴するバブリーな超大物助っ人投手でもあった。
https://www.youtube.com/watch?v=HDuAdW2vmUQ
ガリクソン東京D初登板(1988.4.9 G+)
臨・兵・闘・者・皆・陣・列・財前直見が大好きです! 日本の野球を経験してメジャーに戻るとみんな活躍するんだよな あだながゲリクソンって苛められてたやついたな
こいつが由来だったのかな? ピッチャーゴロとか下手したらライナーまで素手でキャッチしに行ってたよな カムストック!カムストック!
スクリューボール魅せろ!
カムストック!カムストック!
ohカムストック! ジャイアンツの助っ人Pで最も活躍したのってガルベスじゃないの ガリガリガリクソンのもとネタか
一茂初ホーマの記事はよく覚えてるわ MMK?
つうかその頃はまだ巨人投手陣に
三本柱という概念は無かっただろう 「地球の裏側に変なベースボールがあった」と言った人だっけ ホーナーか、自分はこっちの方がインパクトある、ヤクルトは選手探しが上手いと当時思ったな。 どこかのマスコミのインタビューで「私は巨人に飼い殺しにされた!」とか言ってなかったっけ。 >「1年目はみんなが私を神様のように扱った。ところが2年目は監督もコーチも日本人の若い投手を育てることに必死になった。それはいいが、私が敵にならなければいけない理由が分からない」
↑日本メディアの悪い部分だな
斎藤佑樹もそうだな
フィギュアならあんだけ騒いで応援してたザギトワを今では日本メディアは敵視して紀平の敵扱いしてるもんな 息子にクワタと名付けた人だっけ
なお、当の桑田の息子は・・・ ゲーセンのワールドスタジアムの名前が ガリ だった >当時まだ20歳の桑田真澄と親しくなり、長男にクレイグ・クワタ・ガリクソンと名付けたことも話題に。
へーわし若者やから知らんけど 親日外人やん いや単なる桑田LOVE? その当時から既にインスリンを打つほどの病状でありながら今に至るまで存命中なんだな。 ガルベス 46
グライシンガー31
マイコラス 31
ゴンザレス 27
マシソン 25
メイ 22
ライト 22
ホールトン 21
ガリクソン 21
シコースキー 12
チョ 11
パウエル 10 ガリクソンと隆の里の活躍が糖尿病への認識を世間に広めたな。 ガリクソン、呂…あのころの助っ人はインパクトあったな〜。 >>43
不摂生でなったんじゃなくて
生まれつきインシュリンが出ないタイプの糖尿だからね >>33
日本って酷いねこうやって折角の親日外人を日本嫌いの反日にさせる バブル期は物価が世界一だったからな
助っ人外人でも生活苦だったのか >>39
・・・は、球界を代表する和製マダックスと呼ばれる大投手に成長しました
こんな夢を見た。 広島に育ててもらってヤンキース入団したとたん日本ボロクソ言ったの誰だっけ? >>42
正解?w
何でくだらんウソつくんだよお前…。 ガリクソンってそんなすごかったのか。
しかもアメリカに戻ってからも
20勝してる年もあったという。
糖尿病であんま大したことない選手だと思ったわ。 >>39
むしろマットをガリクソンって名前にした方が良かったな なついな
インシュリン注射と素手でボール捕球しようとしてた印象が残ってるわ この実績で2年総額330万ドルとか牧歌的な時代だなぁ、今だとゼロ1つ足しても全然足りんだろw ホワイト スミス クロマティー ガリクソン バーフィールド マック
あの当時の巨人の獲得する外人はメジャーリーガーでネームバリューは凄かったな クレージーライトといえば、デーブ・ジョンソンも思い出すね バーフィールドの強肩は流石メジャーとビビった
尚打撃 88年当時の日本は大リーガーからしても物価の高い国だったんだな
失われた20年で物価が上がらず今はすっかり外国人が安く旅行できる東南アジアみたいな国になった >>65
ガリクソンは桑田のこと大大大好きだったけど 桑田はガリクソンのことを愛していたの? 突然引退をした江川がドームのこけら落としの阪神とのオープン戦で始球式をした記憶 >>12
ガリクソンってガタイの割にはスピードボール投げれないのか 年金リーグみたいなものだろ
そんなやる気出るわけない 御茶ノ水でガリクソンを見たよ
嫁を連れて散歩していた
身体はデカかったが、服装も質素でスター様みたいな自意識やオーラはなかったな
本当に素朴なアメリカの田舎の青年という感じ 小学生だったから、テレビや大人の言う事鵜呑みにしてたんだけど、
今、当時の江川の動画見ると目付きの鋭さと寂しさにしびれて悶える
かっこいい…
今はすっかりおしゃべりなデカイおっさんだけど、
監督もしてほしかったよ…
江川と掛布がこんな感じになるなんて当時想像してた日本人一人もいなかったんじゃ?
藤田監督好き
王きらい >>3
30登板しないピッチャーがどうやって30勝できると? >>78
そう、デカしメジャーでの実績もあるしでかなり期待されたが、スピードはそんなになかった
槇原や桑田より遅いくらい
王監督も「球が重そうだね。30勝いけるよ」と言ってたが、速いとはいわなかったな
桑田はガリクソンを見て、自分でもメジャーでやれるだろうと自信がわいたと 甲子園でロイホワイトと淡口のキャッチボール見て
当時小学生の俺はさすが肩強いなと思ってた >>1
斎藤、桑田、槇原
更には、香田、宮本
水野、広田、吉田、木田
高い金を出してまで、要らなかった ちなみにガリクソンからプロ初ホームランを打った一茂は
チームが負けるもヒーローインタビューをすることになる 確かにクレメンスみたいなフォームで150キロ出してくれると思ってたのが140キロくらいしかでなくてちょっとガッカリしたわ >>33
育てることに必死になったってのもまたオブラートに包んだ表現するのな
ルールのためのルールのローカルルールの仕込みだろうに メイクドラマだかミラクルに貢献したマント?だかなんか
フォーク放る投手の評価が低すぎんぞG党 今の助っ人はラーメン食わせてれば機嫌いいから楽だな >>82
経済事情だね
野球選手の年俸が低くて、一方で地上波テレビや野球中継、スポーツ紙も日本経済も絶好調
巨人阪神のスター選手なら、現役をやめてキャスターや解説者になる方がはるかに儲かったし、財テクブームだったしな
二人ともさっさと引退して、副業で借金して、古巣以外からのコーチのオファーとかを片っ端から断ってな
そんなこんなで、現場に戻らず歳を食ってしまった >>87
長嶋の穴埋めにジョンソンを取ったように江川の穴埋めなんだろう
のちに松井の穴埋めにペタジーニを取ったな
まあ、補強を怠らないのはいいことかと 巨人でやったあとメジャーに復帰して最多勝取ってるんだな
今でいうマイコラスみたいな感じ。日本で微妙な投球術身につけたんだよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています