【野球】ビル・ガリクソン なぜメジャー20勝投手はわずか2年で日本球界を去ったのか?「日本では忍耐と我慢を学んだ」
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/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】江川卓の代役としての期待
もうじき平成が終わり、令和が始まる。
そうなるとふと気になったのが、約30年前に昭和が終わり、平成が始まるころのプロ野球界はどんな選手が注目されていたのだろうか? ということだ。
2月にファミコンソフト『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』が発売され、3月に東京ドームが開場した1988年(昭和63年)春の『週刊ベースボール』を確認してみると、ひとりの投手を集中的に取り上げている。
巨人の新外国人、ビル・ガリクソンである。
なにせ、その実績がずば抜けていた。全米2位でエクスポズからドラフト1位指名。
79年に大リーグ・デビューをして以来、レッズ、ヤンキースと渡り歩き、9年間で通算101勝86敗。
なんと来日前年まで6年連続12勝以上を記録。
身長190センチ、体重100キロの大型右腕はメジャー・リーグの年俸調停委員会の交渉期限が切れると、まさかの日本球界行きを決断する。
2年契約、総額330万ドル(約4億2900万円)の当時としては破格の好条件で巨人入りが発表された(日本人選手の最高年俸は落合博満の1億3000万円)。
しかも、まだ29歳の若さである。当然、20勝を期待され背番号は20。
前年に日本球界を沸かせたボブ・ホーナー(ヤクルト)以上の大物と話題を集め、引退した江川卓の代役を務められる新エースとしてチームに迎え入れられた。
早速、週べ2月1日号では表紙を飾り、「ベールを脱いだ怪物 ガリクソン まるごと大研究」特集が大展開。
ヤンキースではマーチン監督との関係は良好とは言えず、年俸も90万ドルから60万ドルへのダウン提示を受け、
80年代後半はバブル景気絶頂でMLBとガチンコのマネーゲームを戦えたNPBという選択肢が急浮上。
すかさず巨人が名乗りを上げ、日本球界初の前年大リーグ2ケタ勝利投手が来日する。とにかくこの時期のガリクソンは絶賛の嵐だ。
「契約更改のときも、江川さんの穴を埋められるすごいの取ってくださいよって、お願いしたんです。
ガリクソンが来るとは思わなかったな」と饒舌に語る若大将・原辰徳。「1本、ものすごい柱がデ〜ンと据えられた感じだろ。
よ〜し、今年もオレは自分のことを精いっぱいやればいいんだって気持ちになる」なんて笑う絶好調男・中畑清。
評論家の小川邦和氏は「阪神のキーオでさえ楽に2ケタ勝てるレベルでのガリクソン登場。
これはやっぱり、去年のホーナー並みの大変な騒ぎを引き起こしそうだ」なんつって興奮のあまり他球団の助っ人をディスる始末。
日ごろは慎重な王貞治監督でさえ「ローテーションの軸で20勝は期待していいだろう。
江川の穴は十分、埋まる」と勢いに乗ってV2宣言。ほかにも「巨人ヤング3本柱に火をつけたガリクソン効果」とあるが、
88年当時の3本柱は平成を代表する斎藤雅樹、桑田真澄、槙原寛己ではなく、桑田と槙原、そして水野雄二で“MMK”と呼ばれていたことが今となっては新鮮だ。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190424-00000005-baseballo-base
4/24(水) 11:01配信
https://www.zakzak.co.jp/images/news/180715/spo1807150003-m1.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/dekirugonta/imgs/8/1/81e4b5d8.jpg
https://pbs.twimg.com/media/C_n8BWUVwAUhA0l.jpg
https://nipponbaseball.web.fc2.com/personal/mpitcher/bill_gullickson.html
成績 糖尿病と闘いながら
ガリクソン・フィーバーはしばらく続き、プロボクサーのマイク・タイソンが表紙を飾る『週刊サンケイ』3月10日号では、
「現役大リーガー ガリクソン、金田以来の30勝投手になるか?」とすさまじい特集が組まれている。
おそらく、日本球界で30勝を期待された投手はガリーが最後だろう。週べ4月11日号にも独占ロングインタビューが掲載され、
「マスコミから何パーセントの仕上がりか聞かれても、答えようがない」なんて嘆いてみせ、日本の生活環境に戸惑いを見せる。
「ベリー・エクスペンシブ(高い!)。日本で野球をやるよりも、生活するほうがはるかに難しさを感じる。物価は高いし、安い好みのレストランを探すんだって大変だ」
それでも2歳の娘が小学校に入るまでは日本で野球を続けたいと将来のビジョンを語り、
持病の糖尿病については「ボクは積極的に生きたいと思ってるから、病気と闘いながら野球を続けるつもりだ」と前を向くメジャー・リーガー。
インシュリン注射は1回2本を毎日、自分で打つ。低血糖からマウンド上で身体の震えを覚えても、動揺を顔に出さず打者を抑え、ゆっくり歩いてダッグアウトまで戻り、飴をなめたこともあったという。
真新しい東京ドーム1年目、スーパー助っ人もスタートは順調だった。王巨人の柱を託されたガリクソンは快調に飛ばし、初登板から3連続完投の4連勝で4月月間MVPを受賞。
ピッチャーゴロやライナーを素手で捕りにいくメジャー仕込みの気迫のプレーも話題に。
ついでに4月27日にはゴールデンルーキー・長嶋一茂(ヤクルト)に神宮球場でプロ初ホームランを許すおまけつき。
あらゆる意味で昭和最後の春のプロ野球の主役は、ビル・ガリクソンだった。しかし周囲が30勝もいけると盛り上がる中、5月から急失速。
それでも夏場に意地を見せ盛り返し、最終的には14勝9敗、防御率3.10。14完投はリーグ最多というエース級の数字を残してみせた。
当時まだ20歳の桑田真澄と親しくなり、長男にクレイグ・クワタ・ガリクソンと名付けたことも話題に。
メジャー復帰後、最多勝に
さあ、2年目の平成元年は藤田元司新監督のもと20勝と思ったら、キャンプ中に左ヒザの半月板を損傷。
アメリカに戻り手術を受ける苦難のスタートとなった。5月に戦列復帰するも、わずか7勝。
終盤は右足太もも肉離れにも苦しみ、巨人対近鉄の日本シリーズ第6戦を前にした移動日に米国へ帰国する。
故障でシリーズの登板が不可能だったためだが、邪魔者を追い払うかのような最後の日々。
コーチたちはことあるごとに「ガリーに負けるな」「ガリーを追い越せ」と若手たちを叱咤激励したという。
「1年目はみんなが私を神様のように扱った。ところが2年目は監督もコーチも日本人の若い投手を育てることに必死になった。それはいいが、私が敵にならなければいけない理由が分からない」
そう嘆いたガリクソンは、来日時の喧噪が嘘のように静かに巨人を去った。
90年にはアストロズでメジャー復帰を果たし10勝を挙げ、デトロイト・タイガースへ移籍した91年には、32歳で自己初の20勝に到達、ア・リーグ最多勝に輝く。
同チームには元阪神のセシル・フィルダーも在籍し、44本塁打、133打点で2年連続の二冠獲得。
日本球界復帰組の活躍であれだけ遠かった大リーグとの距離がわずかに縮んだように感じられたものだ。
その2年後には週刊ベースボールの企画で、現役を引退した元巨人の同僚ウォーレン・クロマティがガリクソンを直撃インタビュー。
「日本では忍耐と我慢を学んだ」なんて神妙に語りつつも、クロマティからナガシマさんがトウキョウ・ジャイアンツの監督になったと教えられると二人でこう笑い合う。
「知ってるよ、ナガシマなら。彼にプロ入り第1号ホームランを打たれた投手がビル・ガリクソンだよ。このオレだよ、神宮で、ね」
「それはカズシゲ・ナガシマさ、息子のほうだよ(笑)」
もし、巨人が3年目のガリクソンを残留させていたら、長嶋巨人でも背番号20がローテで活躍をして、その後の球史は大きく変わった可能性が高い(94年の中日との10.8決戦は存在しただろうか?)。
わずか2年の日本生活。それでもニューヨークの新聞が「金だけにモノをいわせて、ビルや土地、名画を買いあさる成り金日本が野球にも進出」と書き立てたあの時代、
昭和と平成を股にかけた年俸総額330万ドルのビル・ガリクソンは、好景気に沸いた80年代後半のニッポンを象徴するバブリーな超大物助っ人投手でもあった。
https://www.youtube.com/watch?v=HDuAdW2vmUQ
ガリクソン東京D初登板(1988.4.9 G+)
臨・兵・闘・者・皆・陣・列・財前直見が大好きです! 日本の野球を経験してメジャーに戻るとみんな活躍するんだよな あだながゲリクソンって苛められてたやついたな
こいつが由来だったのかな? ピッチャーゴロとか下手したらライナーまで素手でキャッチしに行ってたよな カムストック!カムストック!
スクリューボール魅せろ!
カムストック!カムストック!
ohカムストック! ジャイアンツの助っ人Pで最も活躍したのってガルベスじゃないの ガリガリガリクソンのもとネタか
一茂初ホーマの記事はよく覚えてるわ MMK?
つうかその頃はまだ巨人投手陣に
三本柱という概念は無かっただろう 「地球の裏側に変なベースボールがあった」と言った人だっけ ホーナーか、自分はこっちの方がインパクトある、ヤクルトは選手探しが上手いと当時思ったな。 どこかのマスコミのインタビューで「私は巨人に飼い殺しにされた!」とか言ってなかったっけ。 >「1年目はみんなが私を神様のように扱った。ところが2年目は監督もコーチも日本人の若い投手を育てることに必死になった。それはいいが、私が敵にならなければいけない理由が分からない」
↑日本メディアの悪い部分だな
斎藤佑樹もそうだな
フィギュアならあんだけ騒いで応援してたザギトワを今では日本メディアは敵視して紀平の敵扱いしてるもんな 息子にクワタと名付けた人だっけ
なお、当の桑田の息子は・・・ ゲーセンのワールドスタジアムの名前が ガリ だった >当時まだ20歳の桑田真澄と親しくなり、長男にクレイグ・クワタ・ガリクソンと名付けたことも話題に。
へーわし若者やから知らんけど 親日外人やん いや単なる桑田LOVE? その当時から既にインスリンを打つほどの病状でありながら今に至るまで存命中なんだな。 ガルベス 46
グライシンガー31
マイコラス 31
ゴンザレス 27
マシソン 25
メイ 22
ライト 22
ホールトン 21
ガリクソン 21
シコースキー 12
チョ 11
パウエル 10 ガリクソンと隆の里の活躍が糖尿病への認識を世間に広めたな。 ガリクソン、呂…あのころの助っ人はインパクトあったな〜。 >>43
不摂生でなったんじゃなくて
生まれつきインシュリンが出ないタイプの糖尿だからね >>33
日本って酷いねこうやって折角の親日外人を日本嫌いの反日にさせる バブル期は物価が世界一だったからな
助っ人外人でも生活苦だったのか >>39
・・・は、球界を代表する和製マダックスと呼ばれる大投手に成長しました
こんな夢を見た。 広島に育ててもらってヤンキース入団したとたん日本ボロクソ言ったの誰だっけ? >>42
正解?w
何でくだらんウソつくんだよお前…。 ガリクソンってそんなすごかったのか。
しかもアメリカに戻ってからも
20勝してる年もあったという。
糖尿病であんま大したことない選手だと思ったわ。 >>39
むしろマットをガリクソンって名前にした方が良かったな なついな
インシュリン注射と素手でボール捕球しようとしてた印象が残ってるわ この実績で2年総額330万ドルとか牧歌的な時代だなぁ、今だとゼロ1つ足しても全然足りんだろw ホワイト スミス クロマティー ガリクソン バーフィールド マック
あの当時の巨人の獲得する外人はメジャーリーガーでネームバリューは凄かったな クレージーライトといえば、デーブ・ジョンソンも思い出すね バーフィールドの強肩は流石メジャーとビビった
尚打撃 88年当時の日本は大リーガーからしても物価の高い国だったんだな
失われた20年で物価が上がらず今はすっかり外国人が安く旅行できる東南アジアみたいな国になった >>65
ガリクソンは桑田のこと大大大好きだったけど 桑田はガリクソンのことを愛していたの? 突然引退をした江川がドームのこけら落としの阪神とのオープン戦で始球式をした記憶 >>12
ガリクソンってガタイの割にはスピードボール投げれないのか 年金リーグみたいなものだろ
そんなやる気出るわけない 御茶ノ水でガリクソンを見たよ
嫁を連れて散歩していた
身体はデカかったが、服装も質素でスター様みたいな自意識やオーラはなかったな
本当に素朴なアメリカの田舎の青年という感じ 小学生だったから、テレビや大人の言う事鵜呑みにしてたんだけど、
今、当時の江川の動画見ると目付きの鋭さと寂しさにしびれて悶える
かっこいい…
今はすっかりおしゃべりなデカイおっさんだけど、
監督もしてほしかったよ…
江川と掛布がこんな感じになるなんて当時想像してた日本人一人もいなかったんじゃ?
藤田監督好き
王きらい >>3
30登板しないピッチャーがどうやって30勝できると? >>78
そう、デカしメジャーでの実績もあるしでかなり期待されたが、スピードはそんなになかった
槇原や桑田より遅いくらい
王監督も「球が重そうだね。30勝いけるよ」と言ってたが、速いとはいわなかったな
桑田はガリクソンを見て、自分でもメジャーでやれるだろうと自信がわいたと 甲子園でロイホワイトと淡口のキャッチボール見て
当時小学生の俺はさすが肩強いなと思ってた >>1
斎藤、桑田、槇原
更には、香田、宮本
水野、広田、吉田、木田
高い金を出してまで、要らなかった ちなみにガリクソンからプロ初ホームランを打った一茂は
チームが負けるもヒーローインタビューをすることになる 確かにクレメンスみたいなフォームで150キロ出してくれると思ってたのが140キロくらいしかでなくてちょっとガッカリしたわ >>33
育てることに必死になったってのもまたオブラートに包んだ表現するのな
ルールのためのルールのローカルルールの仕込みだろうに メイクドラマだかミラクルに貢献したマント?だかなんか
フォーク放る投手の評価が低すぎんぞG党 今の助っ人はラーメン食わせてれば機嫌いいから楽だな >>82
経済事情だね
野球選手の年俸が低くて、一方で地上波テレビや野球中継、スポーツ紙も日本経済も絶好調
巨人阪神のスター選手なら、現役をやめてキャスターや解説者になる方がはるかに儲かったし、財テクブームだったしな
二人ともさっさと引退して、副業で借金して、古巣以外からのコーチのオファーとかを片っ端から断ってな
そんなこんなで、現場に戻らず歳を食ってしまった >>87
長嶋の穴埋めにジョンソンを取ったように江川の穴埋めなんだろう
のちに松井の穴埋めにペタジーニを取ったな
まあ、補強を怠らないのはいいことかと 巨人でやったあとメジャーに復帰して最多勝取ってるんだな
今でいうマイコラスみたいな感じ。日本で微妙な投球術身につけたんだよ 6年連続12勝以上の安定感のある先発投手に、ヤンキースが60万ドルの提示とは
メジャーの年俸は本当にバブリーに高騰したな
この成績なら今のメジャーは10倍以上の年俸だろう >>87
要らなかったではなく、
要らなくなってしまっただな
失礼
フィルダーと、ガリクソンの活躍で、メジャーに興味を持った人もいると思う >>99
日本の打者はチビでストライクゾーンが狭いしなかなか振らないからコントロールが良くなった 91年のデトロイトにはガリクソン、フィルダー、バナザードがいたよな
バナザードは即クビになったが >>39
桜美林大学でレギュラー取れないレベルだからしゃーない 一茂にプロ入り第1号ホームランを打たれて、
「感想?バックスクリーンにぶち込まれた投手に何を言えと?」 当時の給料って巨人が世界一だったとか言われているけど
ヤンキースで60万ドル7800万円程度ならホントなのかもしれんな ガリクソンで最も有名なのが一茂の初ホームランと息子のミドルネームだからなww >>1
すげえ大物だったんだなw良く日本に来てくれたものだわ。 >>1
誰も指摘してないけど写真がマシソンになってる
剥奪だろさすがに ホワイト、スミス、クロマティ、バーフィールド、シェーンマックと
メジャーでも相応の実績を残した錚々たるメンツ >>94
マリオだな。胴上げ投手が川口になってる事からわかるように、後半は打ち込まれてしまった 槙原がスーパーエースへの階段を駆け上がってた頃だな、股関節やってからはポンコツの3番手に定着しちゃったけど89年のあのピッチングは今でも覚えてる そういえばMLBで労組が揉めて、嫌気が差したな大物が来てたような 阪神とオリで使い物にならなかったボーグルソンが
メジャーでボーゲルソンとして活躍したからなぁ
本人は日本でコントロールの大事さ学んだのが大きかったと
言ってるようだが >>120
それだマリオ・ブリトー
何回か贔屓のチームがセーブくらったから覚えてる >>94
マント(笑)
おまえら常に記憶ボロボロやな クロマティ
以外はポンコツが多いよな
トマソンとか www 広島にいたルイスもバリバリのメジャー
広島で調整してメジャー復帰 かっとばせキヨハラくんで、ガリクソンをガソリンにしてたネタみたなw 差別されたんだろうねぇ、わかる。
クソジャップなぞ消滅すればよいのに。 >>80
>>137
誤送信。パチョレックは横浜。広島からヤンキースはソリアーノじゃないか? ガリクソン&フィルダー
マイコラス
成績が上がった人たち 槇原と斉藤ってあんま区別つきにくいけど
それが2人もいるんだから巨人ずるすぎだよね そういえばキーオってアメリカに帰ってから頭に打球が当たって意識不明の重態って聞いたけど
大丈夫だったのかな。 >>58
ソリアーノだな
試合前とかに野村謙二郎にコーヒーを淹れさせられたりするのが屈辱だったと言ってたな
同じ外人でもメジャーから来た選手と違い、ドミニカのカープアカデミー出身だから、
日本人の若手と同じように先輩に使われたのね こっちよりも呂のデビューがインパクトあったからな
クロマティも吉村も離脱して終わった感じ >>146
凄かったな
変化球打てないの発覚するまで 呂がホームラン連発の頃に落合は、
「呂なんかよりクロマティの方が上」と断言していたな わずかって普通そうだろう、メジャーでまだ通用するならなおさらだわw >>146
本塁打打たれたヤクルトのギブソンも初登板初先発だったな クロマティはあんまり現役メジャーって感じしなかったな
成績はそれなりなのに
体が小さかったからかなあ?w 糖尿病でインスリン打ちながらプレーしてた人だっけ? >>52
土地はそうだけど、食料品とか電化製品は
むしろ下がっていった時期だよ 忍耐と我慢て
思いっきりバッターにぶつけて自分から殴りにかかる乱闘してただろ >>29
モウイッポン!とかCMしてたな。
なんのCMか忘れたが。 中日の山崎とガチでやり合って負けたピッチャーな。
山崎最強だわさ。 29歳で毎日インシュリン2本注射て、
もう死んどるな >>164
しあわせのかたちに、なんかガリクソンっぽいやつ(鼻に動力パイプ
みたいなのかささってたような)が出てきた覚えはある。 >>153
アメリカをはじめ他の先進国は物価も賃金もこの頃より何割も上がったのに、
日本だけ横ばい、微減という。 >>110
今時のMLB選手はそういう返しをしないんだよね
球団から受け答えについても教育を受けるから
つくづく時代は変わったぜ >>1
すでに分業は導入されてたけど、それでも
「完投できなきゃ半人前」が根強かった時代。
試合後半にガス欠で炎上とかあったから微妙な評価。
ちょうど30年前、甲子園でどんでん岡田に
逆転満塁弾食らってグラブ投げる。
以後二軍暮らし。 ガルベスが川村から打った満塁場外ホームラン消してんじゃねーよ!
ようつべ ガリクソンは球は早くないし変化球もたいしたことなかったからなんで勝てたのかわからなかった。
野球部の友達に聞いたら、背が高いのに沈み込んで投げんるから振りかぶってから投げるまで日本のピッチャーより時間がかかり、結果タイミングが取りづらいど言っていた。 アンダーハンドかと思わせといて
強引に真上から投げ下ろす
結構個性的な投球フォームでしたな 笑っていいとものさんま
一茂が巨人のガソリンから
センターバスクリンへホームラン! >>173
そうそう。
球は遅くはないが速くもなかった。真っ直ぐ(4シーム)でMAX145キロくらい。カーブ、スライダーが良かった印象。
いわゆる、『球の“持ち”が良い』ピッチャー。投げるときに『球の出どころ』が見えにくいので打者からしたらタイミングがとりにくい。球速以上に速く感じてしまう。 >>176
嫌いだった。著者で日本野球をボロクソに言ってるよ。『地球の裏側に違うベースボールがあった』みたいなタイトル >>175
神宮でね。あれは一茂のプロ1号だったはず >>151
それでも183センチだから181の原辰徳よりはデカイ >>1
1991年、2年連続二冠のフィルダー
でもMVPはチーム成績も下のリプケンで
「フェアじゃない!」とフィルダー激怒
(なおセイバーはリプケン>フィルダー) 時代が違うが、マイコラスのがずっと凄い球投げてたな
当時はメジャーの投手は皆、常時150kmの速球を投げるという幻想を抱いてたんで、拍子抜けしたよw >>176
今でも日本が好きらしいよ
イベントにもゲストで来てたし ガリクソンと言えば糖尿病。
栗山と言えばメニエール病。
と世間に認知させたな。 >>18
キャッチャーが山本だったか専任だった様な >>41
アメリカ人からするとクワタとかタナカとかの響きがメチャカッコいいらしい。日本人からするとシャーザーとかマダックスのがカッコよく聞こえるけど 日本人の名前をつけられた息子はグレたりしてないかな? >>45
田淵が花粉症を広めた
広岡達郎で痛風という病気を知った 江川て空白の一日、ルール無用の悪党だろ
それの代わりじゃあね スプリットを初めて日本で投げた投手じゃなかったか? >>185
野茂がアメリカに行く時に鈴木啓示が、
「大リーグ言うたら150キロの豪速球で変化球もキレて、
コントロールのええのがゴロゴロおるんや。
野茂なんて通用するわけわ」とか言ってたな。
俺もそんな印象だったけど、野茂はメジャーで通用したし、
野茂のメジャーでの試合を見て、メジャーにも球の遅いのやコントロールの悪いのもいると知った。
でも今のメジャーは先発でも150キロが普通だから、鈴木は予言したともいえるか。 >>1
イニエスタよりも堪え性が無かったんだなw
これじゃ、メジャーからイニエスタ?相当する選手は日本に来ないわなw >>200
村山実は深く挟むフォークと、スリークォーターからのシンカー気味のフォークの他に、
浅く挟む速いフォークも投げたとか。
だから、村山が元祖SFFともいえる。
村山が日米野球でデトロイトタイガースにノーヒットノーラン寸前の時に、
あちらの監督が「村山のムービングファストボールをなんとか打て」と指示したとか。 お前らわかってないな
この回顧録の肝は、
「アメリカで年俸90万ドル、物価がアメリカより高い!」
って言ってるところだよ。
30年経って、どうだ?
日本の大卒初任給23万
平均年収420万。
物価は変わらず
日本は30年前のままだ。 >>203
ガリクソンの問題じゃないだろ?
イニエスタだって三木谷があんだけ全面擁護と介護で人集めたりせずに
もうあんなのいいって若手育成に舵を切ってたら多分日本出ていってるわ
堪え性がないのは球団の人間
「若手育成はいいが何で自分が敵になるのか」っていうような環境がおかしい >>1
ピッチャー返しを素手で取るプレーも話題になったな
送球が早くなるのと、やっぱ手が大きくて分厚いのが理由だろうと言われていた >>204
実況やゲームでSFFの標記されたのがガリクソンが最初だった気がする。 燃えプロ88の外人投手のフォームはガリクソンだったなw >>41
クロマティも次男のミドルネームに「オー」と付けてるw だいたい1年目だけで2年目はこんなもんだろ。
メジャーが年俸1億なんて時代で、
落合も1.3億なんて狂った時代。
落合のせいでNPBの年俸はレベルに合わない狂ったものになったろ。
バブルとはいえ、FAと読売が更に上げまくって今じゃ6.5億
レベルは3A以下なのに世界絵一番レベルと釣り合わんわw 巨人は実はガリクソンの前にもっと大物と交渉してたが決裂したとかって記事見たことある
キチガイ染みた提示金がその交渉先の球団に送り込まれてきたとかって
当時のメジャーNo.1クローザーだったとか オープン戦でもテレビ中継されてたような、ガリクソンの日本デビュー戦。
最速144キロで篠塚にホームラン打たれてた記憶あり。
篠塚はインタビューで、速いな〜打てるかな〜と思いながら振ったらホームラン打っちゃってた、
みたいな事を笑いながら答えてたかな。 この頃毎日巨人テレビやってたから嫌でも選手知ってたな
最近覚えたベンツ注目してやってくれ 他のも読んだけど、外国人選手に対してやたら厳しいな >>48
1型はウイルス感染して膵臓がやられてもなるからきつい >>220
名クローザーのゴセージは90年にダイエーに来たね
もうヘロヘロで往時のスピードはなかったが 巨人は大リーグに追いつき追い越せが社是だからさ
外人には冷たかった
今は変わったけどね >>26
江川、西本、定岡は3本柱って呼ばれてたぞ。ただ水野が3本柱に数えられたとは知らんかったわ(´・ω・`) サンチェっていたなあと調べてみたら14年も前に死んでるやん ハゲ薬→ガトームソン
糖尿→ガリクソン
な。
この辺を逆に覚えてる奴が多い >>151
最近ならAJに始まりアルフォンゾ・ソリアーノ
フリオ・フランコ、ロイ・ホワイト、レジー・スミス
ビル・マドロックら大物とならぶ、
「名球会基準外の日米2,000本安打」で、
「安打数がMLB>NPB」の選手、クロマティ >>94
マントはクビが決まってるのに二軍で練習させられてた この頃は日本が世界一の経済大国だったから、メジャー屈指の投手が日本に来ても物価が高いと感じたし、
日経平均が下がるとニューヨークもロンドンも下げ、日経平均が上がるとニューヨークもロンドンも上げていた
大久保の立ちんぼは金髪白人が山ほどいて、国際色豊かな美女がズラっと通りに並んでた >>186
日本の野球は否定的だけど日本は好きなのかな。 >>3
円高だからな
ドル建てで考えたらとんでもなく物価が高く感じるだろうな 今、日本人が海外に行くと
全ての物価が高く感じる・・・マジ悲しい
昨年行ったアメリカ、カナダはともかく、
先週、台湾に行った時ですらそう思った >>204
SFF懐かしいね。80年代後半MLB ではやってた記憶が。
今の野球解説、野球用語だとフォーク=スプリットになっちゃってるよね。もともとは速くて落ちが少ないフォーク、だったのに。 ネバネバダ州ミシシシッピ川のガリクソンさん(108)ですか >>16
ピッチャーに守備は求めていなかった時代だしね
盗塁やバントされまくりの対策された >>233
江川と西本は「定岡は完全に格落ち」ってネタにしてるw >>29
ボブ・ホーナーも契約がこじれたパターン
プラザ合意で超円高になったからメジャーリーガー
でもマネーゲームで横取り出来るようになった
今の年俸水準じゃ無理だけどねw >>35
アンドリュー・ジャクソン
「金なんてどうでもいいから野球がやりたい」と
実績にしては破格の年俸で獲れた 当時は鈍臭そうな外人が来たなあとしか思ってなかったが
>>1読むと割とすごい人だったんだな
でもメジャーで10勝挙げたとか言われてもピンと来なかったし >>68
うん
当時は今に比べたらメジャーリーガーの年俸が
一桁低かった >>234
サンチェいたなあ〜
名前の最後がZなのがカッコよかった
あれでサンチェスみたいな読み方にはならないんだな 阪神のマットキーオの方が良いピッチャーだと思ってたがな
この頃は外国人枠は二人で、どこも野手偏重だったから凄い外国人投手は少なかったな おまえら最近まで四国でマニー・ラミレス観れたの忘れてるだろwww >>88
代わりにブラウンという外野手を獲得
怪我で出場試合数が少なかったとはいえ打率.282
本塁打7本 29打点は来年に期待出来たのに解雇 >>96
しかしバブル崩壊もあって残ったのは莫大な借金・・・ >>「ベリー・エクスペンシブ(高い!)。日本で野球をやるよりも、生活するほうがはるかに難しさを感じる。
>>物価は高いし、安い好みのレストランを探すんだって大変だ」
あの当時はまだアメリカ人から見て日本は物価高かったんだな
今は逆転しているけど ファミコンの燃えろプロ野球では
山田久志 鹿取義隆 村田兆治
桑田真澄 山沖 らに混じって
外人は全部ガリクソンの投球フォームだった ガチのメジャーであることには異論がないが、
正直30勝とかバカかよ。
もう金田みたいに毎日投げてた時代じゃないし、中5日とかだったろ。 池田って高校時代騒がれたけど、
そんなに実績もないし、この頃にはもう放出候補レベルになりそうな選手だったイメージだが
そんなに安定して毎年二桁もなかったが、人気あったから切られなかったのか?
それ言い出すと荒木もそうなんだがw
そう言う意味じゃ桑田はすごいな >>259
当時は今みたいにアジアからの輸入食材なんて
あんまりなかったし 俺はサンチェとモスビーが好きだった
モスビーの目が良い >>248
アンドリュー・ジョーンズだってば
メジャーで50HRかつ十年連続GGの超大物なのに間違えられるとは >>242
そもそもフォーク自体が和製英語
アメリカではみんなスプリット 昔は現役の一流メジャーが日本に結構来てたんだな
そしてそこまで圧倒的な成績でもなかったんだな
野茂が道を切り開いたとかいうけど昔から日本人はメジャーで通用してた? バッターならロイ・ホワイトとかレジー・スミスとかもいたよなー(´・ω・`) >>163
高卒1、2年目の山崎がそんなことするわけないやろ そういや藤田監督は桑田を抑えにしたがってたんだったな
ガリクソンがケガで離脱したからその案も立ち消えになったが 阪神ときのフィルダーはオープン戦の最初は扇風機やったけどオープン戦後半からアジャストしだしてシーズン入っても大活躍
パリッシュとホームラン王争っとったけど指骨折離脱 >>272
ピッチャーなら何か通じるモノがあればワンチャン
当時来てた大物からの評判だと確か今中が人気 >>272
昔は実績超一流の高齢選手がよく来日してたんだよ
打撃はさすがだが肩がぶっ壊れてるとかそんな選手が
多かった ガリクソンとか見ると、斎藤雅とか桑田とか槇原も
メジャーで結構いけたんだろうな
もちろん個別には斎藤は左打者に弱い、桑田は投げる不動産屋でアニータと付き合い女の趣味が悪い
槇原は鳥目とか弱点はあったんだけど >>279
前年怪我で100試合ぐらいしか出てないのに3割30HRの超大物が来てだな ダイエーにゴセージとかシグペン、ケビン・ミッチェル
ロッテにマドロック、フランコ
西武にフェルナンデス
巨人にシェーン・マック、横浜にレイノルズ
ここらはMLBでもけっこうな実績あるんじゃねーか >>280
槇原は半月板損傷が痛かった
あれで球威が落ちた むしろ今の方が日本人のレベル落ちてない?
野手は壊滅的だし、投手もダルとかマエケンの成績みると この頃は巨人応援してたな
江藤が移って来た辺りで萎えたわ 話題だけでたいしたことなかった印象
150超えるスピードボールもなかったし >>110
あの時点では一茂は大物になりそうな気配があったよな >>1
何かいかにも書いた本人が取材したような記事にみえるが、
これ昔の記事を勝手に引用してるだけだぞ?
酷すぎ >>268
forkball でいくつも英文サイトがヒットするし、和製英語ではない
今はスプリットがよく使われるだけで ガリクソンってアメリカ帰ってからも活躍したんだな
なんか安心した >>290
バルビーノ・ガルベス
>>288
マスミじゃなくてクワタ
>>291
いや全くw >>295
ディスティファーノ知っててゲーリーやバンスロー知らんのか >>253
読売がサンチェスで登録しようとしたら本人から「俺の名前はサンチェだ」ってキレられたらしい >>281
ホーナーが打率.327の31本塁打だったっけか。当時の130試合制でも55本塁打は狙えたわな >>298
そんな奴知らん
オレはヤクルトの八重樫、中日の宇野、広島の高橋と達川しかしらん
古き良きテレビ時代のスター選手しか知らん 二年目で既に干されていたし残念ながら
軟投派なので20勝以上を期待するのには少々無理があった。 >>303
いやシュートは当時は流行りだった。縦よりも横の時代だったからね。 当時流行りのシュートに外人選手は対処できなかった。
映画・ミスターベースボールでもそのシーンは描かれてるね。 日本の打者は当てるのが上手いからね。
ガリーのようなタイプは日本ではカモになった。
無双できたのは数か月だけだった。 糖尿病を患っていたので健康不安もあった。
糖尿病患者を支援する基金にも募金していた。 球が遅いのでさすがにこれでは20勝は厳しいと思った。
ハーシュハイザーやデニス・マルチネスら軟投ピッチャーがメジャーでは無双していたけどね。
日本では違った。
ハーシュハイザーやマルチネスも日米野球では打たれていた。 メジャーの乱闘シーンとが凄まじかったので怖い人かと思っていたけど思いのほか紳士だった。 ガキの頃でよくわかってなかったけど、すごい投手だったんだなwww >>311
つまり他の投手もみんな15勝くらいはしてるわけか >それでも2歳の娘が小学校に入るまでは日本で野球を続けたいと将来のビジョンを語り、
この子はその後プロテニスプレーヤーになってランキングもつき何度か来日している。 軟投ピッチャーがメジャーで活躍する時代だったから当時の日本のピッチャーが海を渡ってたら
面白かったかもね。 ファミスタの時期にタイミングよくガリクソン居るんだよな
それで覚えてる人のが多いと思う >>220
>>231>>282で言われているけど
デーブ・スチュワートは85年に獲得しようとしたが、何かのおとり捜査に引っ掛けられたのが響いたのか獲得見送り
その2年後にMLBで20勝しやがった。代わりに来たのがサンチェ
あと獲得しようとしたのが
デーブ・リゲッティ:NYYで獲得2年前に46S
ジャック・モリス:獲得2年前に21勝。マジに凄い投手で86年の日米野球で来日したが落合を初めほとんど誰も打てなかった
アトリー・ハムメーカー:12勝が最高。確か日系人。なおオールスターの歴史で唯一満塁ホームランを打たれた投手
ダニー・ダーウィン:獲得を見送った翌年に防御率1位に... >>256
チャンスに極端に弱かったんよ彼は
あと、アル・ヤンコビックに似てた >>265
モスビーって空振りしてからバットを元の位置に戻す速度が極端に早かったよな >>192
郭泰源でガングリオンを知った
「審判は石ころ」ということも西武ライオンズは教えてくれた >>283
>巨人にスミス、ロイホワイト 実績あったよ
>>1
虎のマットキーオはピーク過ぎてたわな
リースタントンも たしかカムストックって外人いてさ
当時は大差ないような気持ちでみてたけど、今ウィキペディア見ると全然実績違うのな >>87
88年当時の斎藤雅樹はノミの心臓を理由に干されていた。
覚醒するのは藤田監督が復帰した翌年から。 ムービングファーストボールを初めて知ったのはこの時
NPBのボールだとメジャーほど変化しないんだろ
NPBからメジャー行く投手にはボールの違いガーとか言うくせに
メジャーからNPBに来る投手にはそういうこと考慮しないからなw 2つ目の燃えプロだっけなデモ画面が一茂とガリの対戦 デモ画面だからやっぱりホームラン打つんだけどごく稀に三振する 縦のスライダーを流行らせた人。江川はスラーブと呼んでいたが。
日本での成績自体は大した事はなかったが一流メジャーリーガーらしく日本球界に影響を
与えて帰っていった。 この時代のガリクソンはノーランライアン以上の成績
そんなのが日本に来たのは驚き スクリューボールとか七色の魔球の人か(´・ω・`) 球威があってボールを芯で捉えきれない、そんな投球だったな なんか同じくらいの頃?かな?
いやに脚の細いモスビーっていたよね >>280
ガリクソン自身が「斎藤桑田槙原はメジャーと比べても世界最強のユニット」って言ってたからなあ パチョレック
ポンセ
ブーマー
オグリビー
ブライアント
郭泰源
バークレオ >>321
ラルフ・ブライアントはスイングより速かったよw 中日の真面目外人ケン・モッカは、今は大学の野球部のコーチらしい >>41
クロマティの息子の名前を
コーディ・オー・クロマティとして
王貞治監督の名前をミドルネームにしたことに習ってやったんだよ >>279
だいたい駄目なやつじゃんw
そしていつの頃か、凝りてきたのか読売すらも3Aから選手集めるようになった。
というか、読売に来るやつの外れ率がおかしい。
大洋くらいの目利きが居ない 今はニューヨークの方が東京よりはるかに物価が高いというが。 ケン・モッカってメジャーリーグのどこぞの監督してたよ クロウの著書では、
家族で訪れたあるレストランでフロントに「Japanese Only!」と入店拒否されたが最後の一押しだったと書いてあったな>離日決断 >>89
その日試合で2ホーマー放った岡崎はめちゃがっかりしたんだよな>一茂さえ打たなきゃ自分がスポ紙一面トップだったのにと メルセデスなんか25歳年俸850万だもんな
時代は変わったんだよ >>272
ほぼ終わってた大物とか多かったし
あとはメジャーに定着できない3Aがメイン
3A→日本経由でメジャーってのは90年代の数選手だけだろ >>328
干されてはいない。中継ぎで6勝している。 >>334
スクリューボールはカムストックでないかい。 >>350
岡崎が一面?(ヾノ・∀・`)ナイナイw >>321
動きが気持ち悪かったよね、
いつも落ち着きなくカクカク動いていて >>252
これを打ったら最後と言われて小早川に逆転打たれたが、
その後に日シリ投げたんだよなあ >>321
モスビーは小学校の通知表に落ち着きがないって絶対に書かれたであろうぐらいバッターボックスで動いてた >>330
メジャー球は作りが粗くて縫い目も高いから、
スライダーとか回転をかける曲玉はよく変化するし、
フォーシームもお辞儀しにくいと思うが、スプリットみたいな無回転系は逆に変化が少なそう。 フォーシームもお辞儀しにくいと思うが、スプリットみたいな無回転系は逆に変化が少なそう
逆では >>362
フォーシームは重力に逆らって上に向かって変化する球ともいえるわけで
縫い目が高いと空気抵抗が大きく、その分回転による変化(つまりこの場合お辞儀が少なくなる)も大きいかと
違うの? >>359
今は亡き広島市民球場でのホームランか。142キロだったが糸を引いたような真っ直ぐの軌道でめちゃめちゃ速かった。 >>348
モッカいたなあ。懐かしい!w 巨人のジョンソン、ロッテのバレンタインとか日本球界経験者のMLB 監督って微妙に多いよね 20勝でもサイヤングとは無縁だったし、
前年も14勝だったけどアストロズを解雇。
数字の割りに内容がイマイチちゃうん?
知らんけど ガリクソンも
長嶋一茂にホームラン打たれて
巨人ファンまでが大喜びしてる状況が
理解できんかっただろw >>369
ヒント 球場
ドームがデカイ(セでは一番)時代 >>361
> 無回転系は逆に変化が少なそう。
無回転系こそ、縫い目の高さや粗さに変化の不規則さが関係しているので
ナックルボーラーの生存の余地がある>MLB しかしメジャーでやれてる選手が
90万ドルから60万ドルに減俸とか
その金なら日本もとりにいけるわなあ
野球にしろサッカーにしろ
なんで30年でこんなに年俸あがったんだ >>366
日本もナベQや伊東とか韓国や台湾経由の監督がいるしな
外国で苦労した方が指導者として成長するかも >>374
テレビが地上波からケーブルテレビやネット配信やらに移行してきたり、
スマホやタブレットで動画をただで見る時代。
そんな中でスポーツだけは結末がわからないので生視聴に有利で、
テレビやDAZNみたいなネット配信に放映権を高く売れるからとかなんとか。
あと、音楽もソフトからライブへ回帰しているし、スポーツも生観戦で客が集まると。
それと、直接的には選手会のおかげか。 >>355
先発と抑え以外価値が無い時代の中継ぎは立派に干されだよ
先発が打ち込まれたら取り敢えず2〜3イニング放らされる様な時代 >>365
俺もリアルタイムで見てた組だけど、江川は特に速いわけじゃなかっぞ
あの頃だと小松、鈴木孝、津田なんかは速かった
江川は伸びがすごかったイメージ >>379
鈴木って中途半端な横〜スリークウォーターで140くらいしか出てないけど
https://www.youtube.com/watch?v=ySGb9Cb649I
今見るとレベル低いなしかし >>380
この頃の孝政は肘を壊して腕を下げ技巧派に絶賛転向後 俺はトマソン、ホワイトのヤンキースコンビが好きだった。 当時は外国人の投手は少なかったからな
1チーム3人までだったっけ?
外国人といえば大砲狙いだった >>384
2人までだね
近年は枠が緩和されてやたら外国人の速球投手が多くなった >>338
それ、キーオも同じようなこと言ってたな
「読売のピッチングスタッフは世界最高だ」
とか >>379
全盛期がユーチューブにアップされてるけど
目視でも伸びが異常
それでもスピードガンは138くらいが最高 >>374
共通点を見出すなら自由な移籍だろ。
自由すぎるがゆえに争奪戦になり、競争で上限が上がっていく。
サラリーキャップなんて後で作っても正直遅いわな 村田兆治 1989年40才
https://www.youtube.com/watch?v=PoNyCjQvJg0
1985年トミージョン手術で1990年10勝で引退したけど、まだ数年は余裕でできた マック鈴木も日本きたときに
1日に何回も挨拶するのがだるいって言ってたなwwwwwwwwwwwww メジャーの一線級の投手というと、当時のイメージでは物凄い速球というのを漠然とイメージしてたが、
スプリットフィンガーで芯を外して次々打ち取っていくのが本当で、それを実際に試合で見れたのが新鮮だったな。 >>350
岡崎って近鉄との日本シリーズでも大活躍したのに駒田にMVP持っていかれるし色々と持ってないやつだよな >>394
「野球観が変わった」の90年の日本シリーズでもひとり気を吐いてたのにな。 いたいた
五月になってノックアウトされまくりで、五月病かよって周りでネタになってた >>1
最後の行で、王監督が斎藤雅樹に敗戦処理をやらせていたことを思い出した >>393
スプリットフィンガードはそうだけど当時はまだmoving fastball は一般的ではなかったね。MLB でも。
速球fastball といえば直球(4シーム)がほとんど。 >>330
40年ぐらい前やろ
レッズ来日、トムシーバーがムービングボール投げてたから 今から思えば『西本聖(巨人→中日) の速球はほとんど2シームだった』と言える。『シュート』は日本語英語だよね
向かって右に曲がる『カーブ、スライダー、カットボール』と同じように、
向かって左に曲がる『遅くて曲がりの大きい落ちるシュート、真っ直ぐの軌道でスライドするシュート、ほぼ真っ直ぐで打者の直前で曲がるシュート』みたいな。 ■森友・加計騒動は「財務省と新聞各社による自作自演」でした
新聞を消費増税の対象外にしてもらう代わりに財務省の推進する消費増税を
賛美する記事を新聞各社は書いたのですが、国民の反発を買ってしまい
軽減税率で確保した利益以上に解約が続出して大赤字に。
新聞各社はかねてより記者クラブを通じて癒着している官僚機構、その親玉である
財務省に部数をアップするようなスクープを提供するよう求めたのです。
その結果、「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」から暴力団と関わりのある財務省の
キャリア官僚が、ノンキャリの職員を犠牲にすることで疑獄事件を捏造するに
至ったのです。
経営難でオウム化する新聞社と税金を私物化する財務省による他に類を見ない
人類史上最大の報道犯罪に財務省の解体待ったなしの様相を呈してきました。 >>359
シーズンでも2回投げてるねw
13勝5敗とはいえ防御率は江川にしてはボロボロの3.51
だもんなあ
日シリのローテーションが桑田西本江川槇原桑田水野
これで優勝しない方がおかしいな
(まあ西本と江川はきっちり負けてるんだが) >>405
7勝した加藤初は先発してなかったんだ>日シリ >>52
上野に(渋谷より安いという意味で)服買いにいくと
Nikeとかnew balanceとかロゴがプリントされただけの
だっせー白いTシャツが1000円もした。
今なら1000円でも色々なTシャツ買えるけど、そういうのは3800円くらいした。
今、1000〜2000円もあれば、通学につかえるリュック買えるじゃん。
あん時は5000円でも難しかった >>402
シュートは英文サイトでは、日本初の変化球でリバーススライダーと説明されている 権藤は全く同じ握りでフォーシーム、シュート、カーブ、チェンジアップなどを投げ分けたとか
中日にいたドン・ニューカムというサイ・ヤング賞投手の教え
稲尾もそうか >>408
わかる
だから吉田栄作のアメカジ風が流行った時は助かった
スタンスミスにリーバイスの501か505にヘインズの白いTシャツでも何とかなった
アメ横なら並行輸入で安く買えて、うまくいけば全部で1万円ちょいだし 全米2位のドラ1で22歳から6年連続で12勝以上の29歳
こんな投手が今日本に来たら2年100億でもキツいな
当時はバブルで日本もメジャーとの札束合戦に勝てたのか
黒田の5億ですらヤンキースからすれば格安過ぎて驚かれたからな >>259
ニューヨークの一蘭のラーメンは一杯2000円くらいする >>374
日本が上がらなさすぎなんだよ
景気回復してないのに増税とかセルフ制裁してなければ
20年デフレに沈まず10億円プレイヤーなんてワードが誕生してたはず 日本企業の内部留保はバブル期よりも今の方が高いんだよな
企業がバブル崩壊のトラウマで無駄に金を溜め込んで、国民に金が回らないというか
バブルのハートランディングを指揮した橋本龍太郎のせいかね メジャーなんか速球と微変化速球もどきで外すのようなばかりだろ。
変化球主体で進んできた道すら違った。
野球は野球でしかない。
地球の裏の別競技は正しいだろ >>397
あれは山倉が悪かったんだけどね
有田に替えて調子取り戻した それほどじゃなかったからなガソリン
むしろよくあんなんが帰って20勝できたな
実はレベルが低かったアメ野球 >>393
当時紳助は、
ガリクソンはMLBの尾花
と言ってたな>どっちかと言えば技巧派で、
中4日でガンガン投げる しかしあの頃は年俸提示でメジャーに引けを取らなかったっていうのがすごいよなバブル期の日本。どうしちまった日本 >>1
こいつライター気取りのブロガーだけど、
昔の他人が書いた記事の切貼りやってるだけ >>413
当時はメジャーの年俸が今に比べたら安かったのと
急激な円高で円換算では同じ予算でもワンランク上
の選手が穫れるようになった
どケチ南海ホークスがバリバリメジャーリーガーの
バナザードを獲得出来たくらいだもん >>416-417
そもそも「日本のバブル崩壊は総量規制のせい」という
旧大蔵省が渡部昇一に拡散させたデマのせいで話が
歪んでるんだよなあ
当時のマスコミは日本が輸入を増やさないことに業を
煮やしたアメリカが強制的にバブルを潰したと普通に
報道してたのに >>409
おぉ。reverse sliderか。言われてみれば名訳だわ。
高倉健が出た日米合作映画『ミスター・ベースボール』でもシュートは日本独特の変化球として描かれていたよ
落ちぶれて日本にやって来た元MLBスター選手が『シュート』に苦戦する。字幕でもSHOUUTO?What's that? みたいな >>401
トムシーバーは4シームだろ
江川みたいな球質 >>413
何かの本で読んだが長嶋茂雄は一時的に野球選手としては世界最高年俸を貰ってたらしい
一時的というのは、長嶋が契約更改した後に、メジャーのある選手も契約更改して長嶋を抜いたから
それでも世界2位ということになる >>417
橋本は1997年の大型緊縮でも大失政をしてる
正直言ってバブルハードランディングよりそっちのほうが罪深い
日本経済が変質したのはあれが原因
あのまま何もしなければ元の安定成長路線に戻ってた
95年〜96年あたりはだいぶ景気が回復してたし たった2年しかいなかったのか、そのわりには巨人の外人でクロマティの次に出てくる名前がガリクソンだな >>374
野球は観客増員、グッズ収入増の球団努力、ポスティングによる外貨獲得
サッカーはDAZNマネーがでかい >>436
橋本龍太郎は大蔵省にハメられたんだよ
そのことを死ぬまで悔やんでた 150キロ!ときくと凄いなあとワクワクする。でも、そういう素材はまさに「出会い」だ。それより
まっすぐは140km前後で制球力そこそこ、球種は複数あるってな選手を養成したほうが
いいんじゃない。それと今の投手はカーブ投げがホントに減った。カーブはスピードが遅いか
ら危険というイメージがあるのでしょう。 >>445
簡単な話で当時は東アジアの工業製品の質が大した
ことなかった
だから円高になっても国内産業が海外製品との熾烈
な競争にさらされることもなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています