【野球】ベテラン平野謙が愛のムチ。若き清原和博に「あいさつに来い」1683試合 .273 53本 479打点 230盗塁 1551安打
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西武×ヤクルト “伝説“となった日本シリーズの記憶(25)
【ベテラン】西武・平野謙 前編
四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。
1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、“黄金時代“を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ1980年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。
森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。
1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。
両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。両チームの当事者たちに話を聞く連載の13人目。
第7回のテーマは「ベテラン」。百戦錬磨の手練れたちは、何を考え、何を思い、後輩たちの範となってチームをけん引したのか。まずは西武・平野謙のインタビューをお届けしよう。
【プロ15年目、感覚のズレが出始めていた】
――1992年、そして翌1993年の日本シリーズについて、みなさんにお話を伺っています。
平野 1992年、そして1993年の日本シリーズね。あの頃は、日本シリーズで勝つよりも、パ・リーグで優勝するほうが難しかったような記憶があります。
――西武は、広岡達朗監督時代の1985年、森祇晶監督になってからの1986〜1988年、そして1990年から1994年までの10年間で9回もパ・リーグを制覇しました。
平野さんが在籍した1988年から1993年の6年間だけでも、5度のリーグ優勝を経験しているにもかかわらずですか?
平野 記録を見れば確かにそうなんでしょうけど、個人的にはパ・リーグでの戦いがとても厳しかった印象が残っています。
もちろん、「普通にやっていれば日本シリーズには進出できる」という印象もあったけど、
僕の場合は先のことを考えるよりは、目の前のペナントを終えてから次の日本シリーズのことを考える、という感じでしたね。
――この頃のライオンズは、まさに円熟期に入っていたように思います。当事者として、当時の平野さんはどのように自軍のことを見ていましたか?
平野 すでに“出来上がっている“選手が集まっていたチームだったという気がします。
ただ、僕自身のことで言うと、1992年にはすでにプロ15年目の37歳、1993年は16年目の38歳でしたから、出来上がりすぎて“とうが立っている“感じでしたけどね(笑)。
特にこの頃は、自分の感覚と実際のプレーに、少しずつズレが出始めた頃でしたしね。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190423-00010003-sportiva-base
4/23(火
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/t/tf-zan96baian-m-stones14/20160229/20160229215145.jpg
https://cdn.findfriends.jp/img.sp.baseball/player_image.php
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https://sp.seibulions.jp/cmn/images/news/20170521/ph_hirano01.jpg
https://stat.ameba.jp/user_images/20150707/22/r2dcyo1/ac/11/j/t02200315_0692099213359559428.jpg
http://npb.jp/bis/players/41043863.html
成績
https://www.youtube.com/watch?v=AWN_lHvSB7k
中日ドラゴンズ 新チャンステーマ 平野(ライトスタンドより)
https://www.youtube.com/watch?v=nShZ8vVQZcM
91西武ライオンズ選手別応援歌より 平野謙のテーマ
https://www.youtube.com/watch?v=0AB37MrEjGU
パワプロで平野謙(千葉ロッテ)の応援歌を作ってみた。 ――「感覚のズレ」とは、具体的にはどのようなことでしょうか? 1992年も1993年も、ゴールデングラブ賞を獲得しています。まだまだ衰えていたようには思えませんが......。
平野 いや、むしろ逆ですね。守備のほうの衰えが顕著でした。
打つほうは、もともとあまり好きじゃなかったし、こだわりもなかったので、「打てても、打てなくてもどうでもいいや」って思っていたんです(笑)。
感覚の差が出始めたのは、まずは守備からでした。たとえば、「これは補殺できるぞ」と思った送球がアウトにならなかったり、
「これは捕れるぞ」という打球が捕れなかったり、そういうことが少しずつ出始めるんだよね。
――当時はまったく、そんなことを感じさせないように見えました。
平野 そうですね。それは公にはしていなかったけど、実は内緒で少しだけグローブを大きくして、「道具でカバーしよう」と考えていました。
この頃は、目も肩も脚力も衰えつつあったけど、特にフットワークが悪くなってきたので、それまでよりも少し前に守るようになっていました。
【選手それぞれが、自分の役割をきちんと理解していた】
――ライオンズの黄金時代には「二番・ライト」という固定した役割を与えられていましたが、どんな意識を持ってこの役割を演じていたのですか?
平野 当時のライオンズは、それぞれの役割が明確でしたよね。一番・辻(発彦)が塁に出て、二番の僕が送って、秋山(幸二)、清原(和博)、(オレステス・)デストラーデのクリーンアップで得点を稼ぐ。
そういう役割がありました。
僕が意識していたのは、そんなに難しいことじゃなくて、「一番が出塁すれば、きちんと送ろう」「アウトカウントによってはエンドランもあるぞ」ということ。
あるいは、「一番が出塁しなければ、自分が何とか塁に出よう」ぐらいの意識でした。
――チャンスメイクをした上で、強力クリーンアップにつなげようという意識が強かったんですね。
平野 確かにそうですね。三番、四番、五番が強固だったので、一番、二番の役割も明確だったんだと思います。
ただ、結果的にあの頃のライオンズは強かったけど、自分が二番でレギュラーだったんだから、
決して「黄金時代だった」とは言えないと思いますけどね(笑)。決して謙遜なんかじゃなくて、本当にそう思うんですよ。 ――では、仮に平野さんよりも守備率のいいライトや、もっと打率の高い二番打者がいれば、本当の黄金時代だったとお考えですか?
平野 うーん、どうでしょうね。ただ、あの当時の西武は個性的な選手が揃っていたのでお客さんは楽しかったと思うし、そういう意味では黄金時代だったのかもしれないですけど。
さっきも言ったけど、選手それぞれが自分の役割をきちんとわかっていて、その役割を忠実に演じることで、チームとして機能していたんです。
みんな、サインを出されなくても「次はこうすればいいんだ」と理解していました。自分の考えとベンチの考えが一致すると、失敗も少なくなるんです。
――ライオンズ投手陣の印象はいかがでしたか?
平野 この日本シリーズの印象で言えば、タケ(石井丈裕)がすごかったですよね。でも、他にも(工藤)公康だ、ナベ(渡辺久信)だ、(郭)泰源だって、いくらでもいいピッチャーがいた。
「誰が一番すごいか?」って聞かれても、ひとりの名前を挙げるのは難しいぐらい、すばらしいピッチャーばかりでしたね(笑)。
https://www.youtube.com/watch?v=xn-Dfpf1nGA
ロッテ 平野 【ベテランとして、清原の面倒を見ていた】
――1992年当時は38歳の大宮龍男さんに次ぐ、37歳でした。年長者として、ベテランとしての役割などはありましたか?
平野 年齢で言えば、僕は上から二番目だったし、外からやってきた(1987年にトレードで中日から移籍)選手だったので、逆に周りが僕に気を遣ってくれました。
ただ、キヨ(清原)との接し方は自分なりに意識しましたね。いつもロッカーでは、「おいキヨ、いるんか? あいさつに来ないから、いるのかいないのかわかんねぇよ」って言ったりしましたよ。
――清原さんに、そのように接したのは理由があるんですか?
平野 鳴り物入りで入ってきた男だから“腫れ物に触る“というのか、周りが扱いに困っている部分があったんです。
でも、僕のような外から来た人間にとっては、そういう部分は関係ないからね。
「あいさつもまともにできない」という噂は聞いていたけど、彼もまだ子どもだったから。のほほんとしている部分もあったし、おっとりした部分もあったから、「やかましい先輩がひとりぐらいいてもええやろ」って思って、そういうことを言ったんです。
――すでにベテランという立場になっていたし、生え抜き選手ではないからこそ、フランクに清原さんとつき合おうとされたんですね。
平野 まぁ、そういうことですね。おかげで、その後もキヨとはいい関係が築けたと思いますよ。
後に、僕がロッテの二軍監督で、彼がジャイアンツのファームで調整していたときに、よくジャイアンツ球場で一緒になったんです。
そのときにも、アイツはすぐに駆け寄ってきて、あいさつしてくれるようになった。まぁ、ベテランとして僕がやっていたのは、それぐらいのことでしたね。 辻:体が大きいのに(185CM)守備がめちゃくちゃうまい。よく守備の練習をしてもらった。
平野:一発でバントを決める。肩が強く、計算してバックホームするから絶対に途中でカットするなと言われていた。
秋山:抜群の身体能力を誇る。メジャーでも通用したのではないか。長打力ではゴジラ松井と並んで日本人トップ。
デストラーデ:ここぞという場面では打たないが2線級の投手からよく打って打点ホームランを稼ぎ、タイトルを取られた。
石毛:強力なリーダーシップを発揮し、選手を叱り飛ばす。自分もよく怒られた。
伊東:とにかく怖い。
田辺:やさしい先輩。ワンバウンドの送球をしてしまったときなど「キヨ、ごめんな」と謝ってくれる。
森監督:やさしい。打てない時期が続いても「いいんだよ、今までお前の打撃で散々勝ってきたんだから」と言ってくれた。
伊原コーチ:最悪。殴られたこともある。 清原による黄金時代メンバーの印象
辻:体が大きいのに(185CM)守備がめちゃくちゃうまい。よく守備の練習をしてもらった。
平野:一発でバントを決める。肩が強く、計算してバックホームするから絶対に途中でカットするなと言われていた。
秋山:抜群の身体能力を誇る。メジャーでも通用したのではないか。長打力ではゴジラ松井と並んで日本人トップ。
デストラーデ:ここぞという場面では打たないが2線級の投手からよく打って打点ホームランを稼ぎ、タイトルを取られた。
石毛:強力なリーダーシップを発揮し、選手を叱り飛ばす。自分もよく怒られた。
伊東:とにかく怖い。
田辺:やさしい先輩。ワンバウンドの送球をしてしまったときなど「キヨ、ごめんな」と謝ってくれる。
森監督:やさしい。打てない時期が続いても「いいんだよ、今までお前の打撃で散々勝ってきたんだから」と言ってくれた。
伊原コーチ:最悪。殴られたこともある 清原による黄金時代メンバーの印象
辻:体が大きいのに(185CM)守備がめちゃくちゃうまい。よく守備の練習をしてもらった。
平野:一発でバントを決める。肩が強く、計算してバックホームするから絶対に途中でカットするなと言われていた。
秋山:抜群の身体能力を誇る。メジャーでも通用したのではないか。長打力ではゴジラ松井と並んで日本人トップ。
デストラーデ:ここぞという場面では打たないが2線級の投手からよく打って打点ホームランを稼ぎ、タイトルを取られた。
石毛:強力なリーダーシップを発揮し、選手を叱り飛ばす。自分もよく怒られた。
伊東:とにかく怖い。
田辺:やさしい先輩。ワンバウンドの送球をしてしまったときなど「キヨ、ごめんな」と謝ってくれる。
森監督:やさしい。打てない時期が続いても「いいんだよ、今までお前の打撃で散々勝ってきたんだから」と言ってくれた。
伊原コーチ:最悪。殴られたこともある 辻:体が大きいのに(185CM)守備がめちゃくちゃうまい。よく守備の練習をしてもらった。
平野:一発でバントを決める。肩が強く、計算してバックホームするから絶対に途中でカットするなと言われていた。
秋山:抜群の身体能力を誇る。メジャーでも通用したのではないか。長打力ではゴジラ松井と並んで日本人トップ。
デストラーデ:ここぞという場面では打たないが2線級の投手からよく打って打点ホームランを稼ぎ、タイトルを取られた。
石毛:強力なリーダーシップを発揮し、選手を叱り飛ばす。自分もよく怒られた。
伊東:とにかく怖い。
田辺:やさしい先輩。ワンバウンドの送球をしてしまったときなど「キヨ、ごめんな」と謝ってくれる。
森監督:やさしい。打てない時期が続いても「いいんだよ、今までお前の打撃で散々勝ってきたんだから」と言ってくれた。
伊原コーチ:最悪。殴られたこともある ロッテ時代精神的に追い込まれた闇の部分の方を詳しく聞きたい 職人のイメージが強い人だけど
星野に手をあげろと言われ正直に
手をあげ西武に放出など意外に
きかんぼうな所もあるよね。 星野相手に造反して中日を追われ西武黄金期の外野の一角に
交換トレードで中日へ行った小野は1年で賞味期限が切れてた お前みたいな五月蠅いのがいたから
清原がシャブやったんだろ 守備は上手だったな。
とって投げるのが一番早かった。
みんな真似したんじゃないか。 辻って185pあったんだ。176pくらいのイメージだった。 >>19
これ本当だw
デブバカは胃が付いてたなw 中日時代、星野監督に「帰れ!」と怒られて本当に帰ったら翌年トレードで出された。 西武の強さ=2番ライト平野だったな
実際は羽生田や吉竹でもその役割ができたのかな >>6
日ハムの腫れ物の大谷はよけいに腫れ上がってアメリカに逃げちまったな、クククゥン >>8
いいぞがんばれライオンズ
萌えよライオンズ >>22
結果的には西武行って良かったよね
田尾は西武行きは失敗だったけど出身地阪神に行けたので結果オーライ >>6
けど清原がシャブで捕まった後は関係断絶してるんだよな? 【西武黄金期OB】
田淵 監督経験あり
東尾 監督経験あり
森繁和 監督経験あり
石毛 監督経験あり
辻 監督就任中
秋山 監督経験あり
伊東 監督経験あり
工藤 監督就任中
渡辺久 監督経験あり
田辺 監督経験あり
大久保 監督経験あり
清原 監獄経験あり
※野村、伊原の現役時代は黄金期前なので除外
※田尾は黄金期在籍だが西武OBとして扱われる機会がほとんどないので除外
コーチのみは含めてないし、その他独立リーグや学生野球の指導者まで含めたら監督・コーチ経験者はまだまだいるからな
レギュラーも控えも多くのOBが指導者として球界に携わっているという事実
西武黄金期はいかにレベルの高い野球をやっていたかがうかがい知れる >>41
清原がシャブで捕まった後は関係断絶って薬関係と思われたくないやろからかね >>41
別にもとからプライペートで親交があるわけでもないから断絶したわけじゃないだろ >>1
先輩たちの愛のムチも清原には逆効果だった。
後輩を思いやるどころか、奴隷扱い。 全盛期の秋山はメジャーに行ってもトップクラスだったと思う 秋季キャンプで1001「オレのやり方に不満のある奴は今すぐ挙手してくれ。出て行ってもらっても構わない」
唯一挙手したのが平野だった >>50
田淵 森繁 石毛 田辺 大久保「せやな」 >>7
聞かれたから答えてんだろ
老害の意味調べて出直してこいよしょんべんこぞうが >>42
黄金時代という選手としての経験と監督、コーチとしての実績がブランドになるんだよな
よく知らんけどwikiみる感じ巨人のV9もそんな感じかな >>51
星野もちゃんと活躍の場を与えた。
ムカついて干すことも出来たけど
「今の平野ならいいトレード出来る」と
きっちり計算も出来る。 >>55
「黄金」かは微妙だが野村ヤクルトも。
監督は少ないがコーチでバリバリ。 きよまー 「ちっ 平野ちぇんぱい 部活引退したのにまた来てるんゴWWW 中日時代の平野のセンターからのバックホームが至高だった
低いワンバンで、ピシャリと中尾がキャッチしてアウト 清原がロッテだったら牛島組長や愛甲がいてかわいがられただろ >>63
村田も。
平沼尻アタックの後、ロッカー室に謝りに行ったら
清原「村田さん、メッチャ怖かった」
※ソース失念 打撃に拘りあったら二千本打てたんじゃないのかなぁ
差がついたどうでもいい場面でも集中して一本打てるかどうかが大きいと大島が言ってた
ハムに移籍したときにその教えを受けたから田中幸雄はあんなんでも二千本打てたんだよ >>8
3番バースがタイムリー
4番掛布がホームランー 森は信用しない
絶対に広岡の功績だ
おれに信用して欲しければ
大洋で勝てよバ〜カ >>57
本人の資質もあるけど当時のオリックスは貧乏くじだよな 清原なんて見た目だけのこけおどし
本物は立浪さんみたいなんだって >>58
野村の功績は
古田 宮本 稲葉 嶋
といったリーダー作りだな >>63
そのかわいがられてただろというのがどちらにも取れるのが怖いw >>67
サイン盗みで やっと勝てる〜
阪神タイガースwww >>69
PLより弱い大洋www
クソしかいなかったじゃねーかw 星野に追い出されたけど中日じゃ絶対無理だった1億円プレイヤーになったから良かったね >>51
どのみち当時の中日の主力野手はほとんど出されたしな
中尾上川大島宇野田尾
中日のまま引退した(させられた)のは谷沢くらいか? 谷沢の引退って新シーズンのキャンプ始まってからだったな
星野と喧嘩して辞めたんだろうね >>22
その1年でタイトルホルダーになれたんだから小野にとっても良いトレードだったと思う 平野のあれ好き
星野「不満があるヤツは言え!」
平野「はい」
トレード
このスピード感がたまらないね
まあ田尾と平野は中日史上ワンツー変人なんだろうなあ
宇野が常識人エリアに入ってしまうぐらいに >>85
田尾や平野や専修一般で入った中尾らは今の時代だったら絶対野球やってないタイプ
元々体育会に肌が合わないんだろう 中尾は江川と同じく騙されて慶応受けて落ちたんだよな >>76
古田が監督として活躍した実績がまるで皆無。監督をゴールとしてるならそうかも知れんが。 通算打率が2割7分越えてるんだな
NPBの犠打記録は川相の533が最多で、2位が平野の451
打撃に専念すれば2000本打てたかもな 古田は現役時代からリーダー、
組織のトップとしての資質は皆無じゃなかった? 古田はなあ
ワールドベーに対して第一回は
「試みは分かりますがペナントの方が大事なのは言うまでもない事ですから」
みたいなコメントしてたんで
さすが古田! とおれは感心したんだよ
里崎のクズと違うぜ! と
それが第何回かは解説者席に座ってしまい
負けられない戦いがそこにあるみたいな態度になってた
古田よ恥ずかしくないのか?
里崎と同レベルでお前はいいのか?
おれはいやだ
里崎とは違う所を見せてくれ
ついでに里崎氏ね >>90
むしろ選手会会長として高く評価されてたな >>89
犠打は打数に入らず打席数にカウントされるから多いと打率は上がるんだよな。 こんな3流じゃなくて超1流に話をききにいけよ
長池とか鈴木草とか
いつ死んでもおかしくない歳になってるんだし >>93
うーん、まああの時はナベツネというわかりやすい悪役がいて必要以上に正義の味方として持ち上げられた気もするね。まあ世論を完全に味方につけあの状況でストを決行した手腕や実行力は見事だけど、まあ現役時代から人望はゼロだった気もする。 古田は江夏や落合のような悪い人間じゃないけど空気読めなくて思ったことを口に出してしまう子供っぽいところが
ある男だといわれてるね
ヤクルト監督時代もフロントに要望出しすぎて煙たがられて今はヤクルト出禁になつてるはず 古田はキャラクターと違って、かなりのがらっぱちだもんな。
解説でもたまにコイツとか言ってたりするし。
東尾や江夏ですら解説の場ではそんな事言わないのに。 >>82
星野は初めて監督になる時、自分の現役時代を知る連中(除く宇野)を悉く追い出したからな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています