0001砂漠のマスカレード ★
2019/04/13(土) 20:05:42.86ID:+BB+/6ma9「うーん、なかなか書きにくいなあ」
ふだん色紙を求められると「生涯一捕手」「野球(しごと)に学び 野球(しごと)を楽しむ」などの座右の銘を、スラスラと揮毫するノムさんだが、「令和」には大苦戦。
特に「令」の字は書くことがなかったようで、何十回も練習した上で、7枚ほど書いた中から納得の1枚を選んだ。
その姿を、亡き妻、沙知代さんが見つめていた。
「いつも見られているんや」。野村さんはいま、2017年12月に亡くなった沙知代さんが生前過ごしていた部屋を、自室にしている。
一枚板のテーブルに、大きなテレビ、ファクス…。
野村さんの「マネジャー兼プロデューサー」だった沙知代さんは、勝手口に近いその部屋を専用リビング兼事務室にしていた。
野村さんは隣の広いリビングで自分の時間を過ごす。カップを手に「かかあの淹れたコーヒーが一番うまい」とつぶやき、テレビを見るのが常だった。
突然の別れとなった1年4カ月前。荼毘(だび)に付されるまで、最後の時間をともに過ごしたのもこの部屋だ。
息子の克則さん夫妻が「病院から(葬儀の)式場に向かうとママは寂しがる。おうちに帰らせてあげたい」と訴え、家族と近親者だけで送った。
野村さんはその後、妻の思い出が詰まった部屋に引っ越した。
愛用品がそのまま残され、出会ったばかりの頃から亡くなる直前まで、数十枚もの沙知代さんの写真が飾られている。ベッドも運び込んだ。
「どこを見てもかかあがいる。サッチーが毎日お迎えに来ているようなものだよ。
こんな先の短いオレに『令和』を書かせようなんて、君らも何を考えているんだか」。
野村さんは穏やかな笑みを浮かべ、沙知代さんのたくさんの笑顔に見守られながら、新たな元号を揮毫した。
「昭和は選手、平成は監督。令和になって…やることもないなあ。まあでも、首から上が元気なら、野球はできるよ」
令和元年、6月29日に84歳になるノムさん。「四十、五十は洟(はな)垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ」。新たな一万円札の肖像に選ばれた渋沢栄一の名言を夫に言い聞かせ、「仕事があるだけで幸せよ」と尻をたたき続けた沙知代さん。
令和の世でも、亡き妻の笑顔に尻をたたかれ、ノムさんはスタジアムで躍動する選手たちに厳しくも温かいまなざしを送り続けることだろう。
2019.4.13 11:15
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