X



【Eテレ/進む混血化】なんと最新の研究で現代日本人のDNAが韓国人や中国人に近付いていることが判明!それを知った小島瑠璃子も驚愕!

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001ラッコ ★
垢版 |
2019/04/06(土) 01:05:50.15ID:efTRSZsU9
※2019年3月30日(土)午前11:00〜11:30にNHK-Eテレで放送の「サイエンスZERO 日本人成立の謎。弥生人のDNA分析から意外な事実が判明」より抜粋

■弥生人のDNAで迫る、日本人成立の謎

ナレーター「遥か昔、日本列島に暮らしていた弥生人。私たちの祖先にあたりますが、一体どんな人たちだったのでしょうか?
その解明を目指す新たな研究プロジェクトが立ち上がりました。研究の柱はDNA分析です。最近の技術で弥生人の骨から取り出された遺伝情報。
その中には日本人成立の謎を解く重要な手がかりが秘められていました」

人類学者(篠田謙一)「現代の私たちが持っている遺伝子の一番おおもとはどこかというと、実は弥生人。今まで漠然と言っていた日本人成立のシナリオが相当細かい形で分かってきます」

■最大規模!弥生人のDNA分析

ナレーター「DNA分析の舞台は鳥取県東部にある弥生時代の青谷上寺地遺跡。20年前、道路工事の際に偶然発見され、大きな注目を集めました。
研究者たちを驚かせたのは弥生人の脳。日本最古の人の脳が3つも見つかっているんです。さらに、木製品や土器など多様な遺物が出土し、保存状態の良さで知られます。
DNA分析のリーダーは国立科学博物館(副館長)の篠田謙一さん。古代人のDNA研究の第一人者です。篠田さんが注目するのは弥生時代の地層から発掘された人骨」
https://i.imgur.com/1oopJoT.jpg https://i.imgur.com/YraoLoE.jpg

(VTRを見ている)司会・小島瑠璃子「ああ、歯も綺麗に残ってる」

ナレーター「この遺跡では、全国的にも出土例が少ない弥生人の骨が100体以上見つかっています」

篠田謙一「なんといっても、弥生人の持っていたDNAはおそらく私たちに非常に多く入っている。ですから今、弥生人自体のDNA分析をやっていくことによって、我々との関係をもっと詳しく知っていこうと」

弥生人のDNAは8割が現代日本人に入っている
https://i.imgur.com/GQsLO9I.jpg

ナレーター「水田稲作が伝わったことで始まったとされる弥生時代。紀元前10世紀頃から3世紀頃まで、およそ1200年続いたとされています。日本人の成立にとって、とても重要な時代でした」

    前10世紀    3世紀
縄文時代 → 弥生時代 → 古墳時代
(※国立歴史民俗博物館の研究より)
https://i.imgur.com/r8USilu.jpg

ナレーター「元々、日本列島には縄文人が暮らしていましたが、弥生時代になると、九州北部に大陸から渡来人がやって来ました。この時代に日本列島にいた人たちのことを弥生人と言います。
九州北部に上陸した渡来系の人々が東に広がっていく過程で、縄文系の人々と交わり、現代日本人が成立したと考えられてきました。
そのプロセスを科学的に解明するため、今回(山梨大学で)37体の弥生人の骨でDNAを分析することにしました。これだけの規模の調査は初めてのことです」
https://i.imgur.com/WtnF8rg.jpg https://i.imgur.com/J3zaIbN.jpg https://i.imgur.com/Qwo30wW.jpg

山梨大学の??「これらをクリーニングしてからDNAを抽出する」

ナレーター「遺伝情報を記録するDNAは細胞内の核とミトコンドリアの中に存在しています。篠田さんたちはまず、数が多く分析がしやすいミトコンドリアDNAを調べることにしました。
ミトコンドリアDNAは母から子へと受け継がれる遺伝子。母系の祖先がいつ、どこで生まれたのか、ルーツを辿ることができます。DNAが残っている可能性がある側頭骨や歯を削り、抽出を試みました。
当初、篠田さんが立てた予想です。九州北部に渡来した人たちが山陰に来るまでには縄文系の人と交わりが進んでいたはずです。
そのため、渡来系と縄文系の割合は7:3くらいになると考えていました。しかし、分析の結果は篠田さんの予想とは大きく違っていました」
https://i.imgur.com/eiFBmmA.jpg https://i.imgur.com/Rp8IAcE.jpg

>>2-5あたりに続く)

<番組公式サイト>
サイエンスZERO 日本人成立の謎。弥生人のDNA分析から意外な事実が判明 - NHK
番組予告動画あり:https://www4.nhk.or.jp/zero/x/2019-03-24/31/27785/2136698/
0002ラッコ ★
垢版 |
2019/04/06(土) 01:06:23.24ID:efTRSZsU9
>>1の続き)

篠田謙一「僕らが今までずっと分析してきた縄文人に見られるタイプがほとんどない。これは大陸から入って来たタイプなんだろうということになる。それは圧倒的で、もうちょっと縄文系が入って来ると最初は思っていた」

ナレーター「母系のルーツが明らかになったのは32体。そのうち、縄文系は1体だけで、他は全て大陸にルーツを持つ渡来系でした。このことから、大陸から直接、青谷に渡来して行った人たちがいた可能性が浮かび上がってきたのです」
https://i.imgur.com/IFzhVEA.jpg

篠田謙一「弥生の社会のあり方というのは、まだ実際のことはほとんど分かっていないので、これって一体なんなんだろうなというのはちょっと頭の使いどころというか、考え直さなきゃいけない」

■DNAが解き明かす、弥生人の意外なルーツ

小島瑠璃子「大きく今まであった、今まで想定されていたことと全然違うことが分かってきているんですねえ」

司会・森田洋平アナウンサー「そうなんですよねえ。日本人成立のシナリオが変わってくるかもしれないということなんですけど、詳しくは調査リーダーの篠田謙一さんに伺っていきます」

小島瑠璃子「篠田先生、元々あった定説が覆る時っていうのはガッカリ感? それともワクワク感?」

篠田謙一「むしろ研究っていうのは思った通りのものが出てくると結構つまんないものなんですね。ですから、悩みはするんですけど、新しいものを考える材料が出てきたという意味では非常に良かったなと思っています」

小島瑠璃子「想定よりも広い範囲に渡来系の人が上陸していたっていう可能性もありますか?」

篠田謙一「はい。逆に言うと、そう考えないと説明は付かないだろうなと思っています。ですから、今まで非常に狭い地域に人が入って来たんだという考え方をしていて、
僕らが一般的に考えるのは、弥生時代は北部九州に人が入って来て、特に時代的にも弥生の最初の頃に入っていたと考えていたのが、相当違うんじゃないかということがちょっと見えてきたというのが今回の結果だと思います」

小島瑠璃子「本当に科学の力、DNA解析の力で歴史だったりとか、私たちがどこからやって来た、どこが本当のルーツなのか、そういうところまで見えてこようとしてるんですねえ」

森田洋平「そうなんです。っで、ミトコンドリアDNAから分かってきたのは、今のことだけではないんですね。こちらをご覧下さい。実は渡来人たちのルーツも新たに分かってきました。
これだけ渡来系の方々が多かったってことが分かってきましたが(渡来系31:縄文系1)、この人たちのルーツ。こちら」

小島瑠璃子「かぁぁぁぁ〜〜〜」

森田洋平「シベリアや中央アジア、そして中国、朝鮮半島、東南アジアと、実に多彩だったんですね」

渡来系30体→B4:2体、B5:2体、C:1体、D4:15体、D5:1体、G:1体、M7b:4体、N9a:4体(※残り1体は図には見当たらず)
縄文系1体→M7a:1体
https://i.imgur.com/nlAay5o.jpg https://i.imgur.com/UNsUMOQ.jpg

小島瑠璃子「そうですかあ。一口に31体の渡来系と言っても、これだけ広く散布しているんですか?」

篠田謙一「そうなんですね」

小島瑠璃子「どういうことだ〜?」

篠田謙一「大陸の広い所から人を集めて、最終的に朝鮮半島経由で入って来たと考えるのが一番普通なんですが、ああいうタイプというのは今から数万年前に大陸で成立していますので、
その後、大陸の中で色々動きながら、最後、日本列島に入って来る入口の所に人々が集まったんだと考えればいいと思います」

小島瑠璃子「こんなに色んな地域の方のDNAが入った方々がいた?」

篠田謙一「そうなんですね。種類は沢山あるということが非常に面白くて、普通、古代の社会だと、同じような人たちがずっと長い間住んで、互いに結婚していくというイメージがあるんですが、
そのような状態が続くと、タイプは凄く減っていきます。段々1つか2つのタイプに収束していくんですね。それが、ここは非常に多彩なタイプがそのまま残っている。これは大きな都市であるとか、そういう所だと、こういう出方をする」

森田洋平「国際都市のようなイメージだったんですか?」

篠田謙一「そうですね。この分布を見れば、そんなイメージは湧いてきますね。常に人が流動的に動きながら暮らしていたような村の姿が見えてくると思います」

森田洋平「何となく今の山陰のイメージとはちょっと異なりますね?」

小島瑠璃子「そうですね。今の東京のような」

(続く)
0004ラッコ ★
垢版 |
2019/04/06(土) 01:06:54.27ID:efTRSZsU9
(続き)

篠田謙一「そうですね。考えてみれば、この地域というのは、むしろ大陸の方を向いているわけですよね。それで、直接大陸から人が来られる場所にあるわけですから、そういう意味では、古代の一番人が動きやすい場所であったことは間違いないと思います」

小島瑠璃子「ふ〜〜〜ん」

森田洋平「さあ、この渡来系の人々がいつ、何のために、この青谷に渡って来たのか、その謎に迫ります」

■最新科学で迫る、渡来系集団の謎

鳥取県埋蔵文化財センター青谷調査室

ナレーター「DNA分析の結果は、長年遺跡を研究してきた鳥取県の専門家にとっても予想外のものでした。注目したのは、縄文系の骨が1体しか無かったことです」

鳥取県埋蔵文化財センター・M田竜彦さん「主になっているのは明らかに弥生土器なんですけど、その中に縄文的な属性を備えた土器が散見される。つまり、(遺跡の住民は)かなり縄文の系統が色濃く残っている可能性があります」
https://i.imgur.com/cbFg158.jpg

ナレーター「青谷上寺地遺跡は弥生時代前期から古墳時代にかけて、およそ800年続いた遺跡です」

前10世紀  弥生時代   3世紀
  │ 前期 │ 中期 │ 後期 │ 古墳時代
      ←青谷上寺地遺跡→
https://i.imgur.com/4SLT4v8.jpg

ナレーター「骨よりも古い時代の地層からは縄文系の土器が複数見つかっています。このことから、縄文系の人がこの場所に集落を作り、暮らし続けてきたと考えられてきました。しかし、DNA分析の結果はほとんどが渡来系。
どこかの時点で住民が入れ替わっていた可能性が出てきたのです。その時期は一体いつなのか。研究プロジェクトは弥生時代後期の地層から出土した人骨の年代を科学的な分析で絞り込むことにしました。
用いられたのは、放射性炭素年代測定法です。骨に含まれる放射性炭素、炭素14が時間の経過と共に一定の割合で減っていく性質を利用した手法です。
骨の中のコラーゲンから炭素を取り出して年代を割り出します。分析から1ヶ月、結果が明らかになりました。年代測定を担当した藤尾慎一郎さんたちのチームです」
https://i.imgur.com/IsFOfYE.jpg https://i.imgur.com/HYJgJIT.jpg

国立歴史民俗博物館・藤尾慎一郎教授「だいたい2世紀代ぐらいに来たのではないかと計算しています。青谷という手がかりが一つ出てきたので、
DNAと年代を測ることによって、より時期が明確になったので、(渡来したのが)いつ頃という話がこれからどんどん議論できる状況になってくるでしょうね」
https://i.imgur.com/ObfCCC0.jpg https://i.imgur.com/32g9Rre.jpg

ナレーター「青谷の骨は2世紀代のものだと確認されました。つまり、渡来系の人たちは大陸から2世紀代にまとまって青谷にやって来た可能性が浮かび上がってきたのです」
https://i.imgur.com/XVVJXYt.jpg

■弥生後期にも渡来!? 浮かび上がる交流

小島瑠璃子「う〜〜ん、凄いですねえ。どの時代の人の骨かっていうのまで分かる機械があるんですねえ」

篠田謙一「今までは、実はあんまり人骨自体の年代って測ってなかったんですね。これが炭素14を使って割と簡単に測れるようになったのが最近のことなんですね。
ですから、それぞれの人骨がいつ頃のものかっていうのが、きちっと決まるようになって、また新たなシナリオが作れるようになったということになります」

小島瑠璃子「先生たちは今どういう説が一番濃厚だと考えてらっしゃるんですか?」

篠田謙一「私たちは今まで、弥生の初め頃に大陸から人が稲作を持って入って来て、日本の社会が大きく変わっていった、
それで、その人たちがどんどん人口を増やしていって、周りの人と一緒になっていって大きくなった、という考え方をしてたんですね。
ところが、2世紀の後半に大陸から来たばかりのような人たちが出てきたということになると、相当考え方を変えないといけないなと考えてます」

小島瑠璃子「ふ〜〜〜ん。じゃあ本当に広い年代に渡って、色んな所から次々と、長きに渡って交流があったと考えた?」

篠田謙一「ということなんでしょうね。それがまた日本人の私たちに残す遺伝子をどのように変えたんだろうということが、これから考えなきゃいけない問題なんですけど」

森田洋平「この2世紀に大陸から様々な品々が青谷に入って来たということも出土品から分かっているんですね。こちらは中国の貨幣」
https://i.imgur.com/msFzc6X.jpg

小島瑠璃子「貨幣も出たんですか〜」

(続く)
0005ラッコ ★
垢版 |
2019/04/06(土) 01:07:24.69ID:efTRSZsU9
(続き)

森田洋平「はい。さらに、鉄。これは日本ではまだ生産されていなかった鉄を加工した品々なんですね。さらに、ガラスもまだ日本では作られてはいませんでした」
https://i.imgur.com/MOq0NaZ.jpg(鉄製品)

小島瑠璃子「勾玉だ」
https://i.imgur.com/kXts16Y.jpg(ガラス製品)

森田洋平「そういった素材を加工したという遺物も残っているんです」
https://i.imgur.com/OTMYCgv.jpg(ガラス製品)

小島瑠璃子「こういうものが入って来てるということはどういうことが考えられるんですか?」

篠田謙一「おそらく、朝鮮半島、中国と直接の交流があった可能性はあります。勿論、こういう様々な大陸の遺物というのは北部九州でも大量に出てくるわけですし、
それがこの青谷の地域でも出てくるということになれば、その交易の範囲というのも非常に広かったのかなと思いますけど」

森田洋平「こういった考古学的なものと、DNA解析という科学的な知見が見事に一致したと考えればいいんですか?」

篠田謙一「そうですね、今のところは矛盾した議論にはならないですよね。大陸から直(ちょく)で来たような人たちがそこにいるかもしれない、遺伝子を見たら、それで分かる。
一方では、大陸から来たと言われているものがそこに入っているということになるわけですから」

小島瑠璃子「全部、一筋でシナリオが綺麗にまとまりますよね」

篠田謙一「そうですね。ただ、直接来るというのはあまり考えていなかったものですから、そこをどういうふうに考えたらいいんだろうというのがこれからの問題ですよね」

■殺傷人骨の謎解明に期待

ナレーター「DNA分析が進む青谷上寺地遺跡には解明されていない謎も残されています。男性の腰の骨に刺さっているのは矢じりです。他にも武器によって傷付けられた骨が複数見つかっているのです。2世紀の青谷で何があったのか」

殺傷痕

M田竜彦「集団と集団との争いがあったことを知ることができると思います。今行っているDNA分析の結果を踏まえて、色んな角度から研究を進めていく必要があるんだろうと思っています」

ナレーター「青谷上寺地遺跡の骨から歴史の空白を埋める研究が続いています」

■日本人成立の過程解明へ 鍵を握る核DNA

森田洋平「さて、ここまではミトコンドリアDNAの分析結果について主に見てきたんですけど、もう一つ遺伝情報を伝えるDNAが核DNA。この分析も現在進んでいるんですけど、そもそもミトコンドリアDNAと核DNAは何が違うのかこちらをご覧下さい。こちらが」

篠田謙一「核のDNAなんですね。ミトコンドリアのDNAというのは実は1万6500のGATCの繋がりでできています。それに対して、核のDNAは30億塩基対と言われていて、30億が連なっているということで、
実際の情報量が全く違うわけです。ミトコンドリアと比べると18万倍ぐらいになります。核DNAはよく体の設計図だと言われますけど、私たちの体の中で起こっていること、
それから、体自身を作るもの、全てがここに記載されているわけですね。ですから、これが分析できれば、ミトコンドリアのDNAとは比較にならないくらい様々なことが分かるということになります。
ミトコンドリアのDNAは母から子供に伝わるんですが、核のDNAは両親から子供に伝わりますので、両親の家系をずっと追っていくことができるということになります。
もっとやると、体の設計図ですから、その人が例えば肌の色は何色だったのかとか、髪の毛は縮れていたのかとか、ある病気になりやすいかとか、
もっと言えば、血液型が何だったんだろうといったことも調べることが可能になります。
ですから、古代人の様々な形質、体の特徴というのをDNAの分析で知ることができるようになるということになります」

ミトコンドリアDNA:1万6500の塩基の連なり
核DNA:30億の塩基の連なり
https://i.imgur.com/yVVfgDS.jpg https://i.imgur.com/mO7Wgc6.jpg https://i.imgur.com/f46y4p9.jpg

小島瑠璃子「凄い…。凄いですね。過去の方の健康診断までできちゃうようになっちゃうんですね」

篠田謙一「そうですね」

小島瑠璃子「はあ〜〜」

森田洋平「っで、その核DNAですけど、弥生人の核DNAの分析を進める中で、日本人の成り立ちを紐解く重要な発見があったんです」

(続く)
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています