>>99
(続き)
パック終了の数年後、野沢さんは文化放送(東京のラジオ局)で
「東京サンセット」という番組を始める
タイトルの通り夕方の番組で、生活情報を扱っていた
アシスタントがいたけれど、それは白石さんではなく文化放送の女子アナだった
この番組は、リスナーからFAXで「身のまわりの出来事」というのを募集していたのだが
ある日、中学生の男子から
「母さんがパチンコに行ったまま、まだ帰って来ない」
「夕方だし、お腹も空いたので早く帰って夕食を作ってほしい」というFAXが届いた
野沢さんはそれを読んで
「お母さん、あんたの息子が腹減らしてるよ」
「早く帰って来て夕飯作ってやってよ」と呼びかけた
ところが、それを聞いたアシスタントの女子アナが
「でもさあ○○君、キミももう中学生なんだから、自分でも何かを作ったらどうかな」と言った
この意見はある意味現実的なのだが、これに野沢さんが腹を立てた
「いや、この子はお母さんに『帰って来て』って言ってるんだから」
「でも…」
このあと二人の仲がみるみる険悪になっていくのが聴いているこっちにも伝わって来た
野沢さんが何故腹を立てたのか
「自分と意見が違う主張をする」事が許せなかったのか
「自分達の仕事は、リスナーの主張を伝える事で、意見をする事では無い」という事で怒ったのか、今となっては解らないが
結局このあと、二人はロクに話をすることなくその日の番組を終了
その後、野沢さんは一人でこの番組を切り盛りする事になる
(相手の女子アナは、アナウンサーから「取材記者」に異動する)
そして、次のクールくらいから白石さんが登場する事になり
その先の改編期で番組名が「言う気リンリン ナチチャコワイド」に変わる
当時「野沢さんの首に鈴をつけられるのはやっぱり白石さんなのか」と何となく安心した

「『野沢那智』論」が出来たのかどうかはわかりませんが
ご冥福をお祈りいたします