【プロレス】ベール脱いだ!ソ連レスラー 来日30年、ザンギエフさん…長州に敗戦は「モスクワの客が泣いたよ」
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2019年3月27日 夕刊
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モスクワ郊外で3月、「毎日子どもたちとトレーニングしている。まだプロレスもできるよ」と笑うザンギエフさん=栗田晃撮影
今から三十年前、平成の幕開けとともに、日本のプロレスに参戦したソ連のレスラーたちがいた。ペレストロイカ(改革)が後押ししたスポーツ交流。秘密のベールに覆われていた社会主義の大国からやってきた選手たちは、日本のファンを大いに沸かせた。来日した選手の一人、ビクトル・ザンギエフさん(57)が当時の思い出を語った。 (モスクワ・栗田晃)
待ち合わせの場所に一九〇センチ近い大男が立っていた。たくましい胸板は往年の面影を残すが、笑顔は柔和だ。現在はモスクワ郊外の町で、アマチュアレスリングの指導に当たるザンギエフさんは「日本の文化も食べ物も、何もかも大好きだった。また行ってみたいな」と懐かしんだ。
レスリング重量級でソ連王者に七度輝くほどの実力者だったザンギエフさん。しかし、一九八四年のロサンゼルス五輪をソ連がボイコットし、大舞台には恵まれないまま、引退した。
くすぶっていた思いを救ったのがプロレスだった。改革開放の流れの中、アントニオ猪木さん率いる新日本プロレスが八八年秋、未知なる選手発掘を目指し、ソ連国家体育スポーツ委員会と協力することで合意。ザンギエフさんにも誘いの声がかかった。
猪木さんらが見守った二度の選抜試験には約三十人が参加。ザンギエフさんやレスリング世界王者のサルマン・ハシミコフさんら三人が選ばれた。ロープの反動を使った動きや受け身などを学び、八九年二月に初来日した。
アマチュアスポーツから一転、華やかなリングへ。だが、「プロレスは決して『ショー』ではない。すごくハードな仕事だった」。新日本プロレスの道場に住み込み、トレーニングに参加した。明日のスターを夢見て、千回以上のスクワットをこなす若手たち。金メダルを目指していたころの自分たちと同じ真摯(しんし)な姿がそこにあった。
豪快な投げ技など確かな技術と、秘密めいた素性が注目を集め、ソ連選手は興行の目玉に。いきなり同年四月の東京ドーム大会のリングに立ち、五万人超の観衆を前にした。ザンギエフさんも「いままでレスリングの大会の観客はまばら。最初は面食らった」と苦笑する。
バスで日本中を移動し、試合をした。「ファンの反応は正直。いい試合をしたら盛り上がってくれる。やりがいがあった」。ソ連南部カフカス地方にルーツを持つ素朴で気さくな性格も、ファンに親しまれた。
◆長州に敗戦。モスクワの客が泣いたよ
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1989年2月、ザンギエフさん(右から2人目)ら初来日したソ連レスラーが出席して行われた記念イベント=ザンギエフさん提供
八九年末には、新日本プロレスがモスクワでソ連初のプロレス大会を開催し、一万二千人が訪れた。ザンギエフさんは長州力選手と対戦したが、敗戦。「たくさん応援に来てくれた人が悲しんでね。泣いている人もいたな」と振り返る。
九一年末にソ連は崩壊。新生ロシアとの間を行き来しながら、日本のプロレスへの参戦は六年間続いた。最後は一試合五万ドル(約五百万円)の提示をされるほど、評価を受けた。しかし、体の酷使に限界を感じ、レスラー生活に区切りをつけた。
その後、思わぬ形で脚光を浴びる。九〇年代に発売された日本の格闘ゲーム「ストリートファイターII」のキャラクターに、ソ連出身のレスラー「ザンギエフ」が登場。ゲームは世界的な人気となり、「日本のプロレスに行ったおかげで、どの国でも俺の名前を知ってくれている。そういう意味じゃ良かったかな」と笑う。
長州選手や藤波辰爾選手ら、三十年前、ザンギエフさんと同じリングに上がった中にも、まだ現役を続けている日本人選手がいる。それを伝えると、「俺も毎日トレーニングしているし、体形は維持している。日本に呼んでくれれば、いつだって闘える準備はできてるよ」と力こぶをつくった。 ガイルはジョジョのポルナレフ
名前は何故か敵から付けられてるけど ストリートファイターシリーズの日本の女キャラってゴミみたいのしかいないよねw
ゲームの中でも中国人に勝てないクソジャップw レッドブル軍団のトップはサルマン・ハシミコフだろ
ザンギエフは2番手くらいの立ち位置だったよな みなさんショータ・チョチョシビリのことも思い出してあげてください Uインターでのハシミコフ&ザンギエフvsオブライト&スバーンの米ソアマレス対決が面白かった記憶 ハシミコフvsスティーブウイリアムスの東京ドームは何のストーリーも無い試合だった スト2が流行ってた当時、リングスのロシア人プロレスラーに同名の奴がいたわけじゃないから
それっぽいオリジナルの名前だと思ってたけど
モデルがいたのか >>17
レッドブル軍団って、ハシミコフ、ザンギエフ、エブロエフの3人しかいないじゃん。 インド人はみんな手足が伸びて火が吐けると思っていました・・・ >>38
ハビーリ・ビクタシェフとかチムール・ザラソフとかいた記憶
顔とか技は覚えていないw ストU開発中はザンキエフじゃなくてウォッカ・ゴバルスキーだった ザンギエフは実在したのか
カプコンは名前を無断使用してんじゃね? >>11
ゲーム制作中にスタッフ間で混同が起きたせいだと聞いた ザンギエフの元ネタってレスリングのアレクサンドル・カレリンだと思ってた >>42
エンディングで若貴兄弟らしき力士が本田とちゃんこ食ってるじゃん >>11
ストzeroのローズとかモロにリサリサだからな スト2がパクりうんぬんって言いだしたらそれこそ
バイソンやベガはどうなんだって話だよなあ。
もちろんバイソン=タイソンで、ベガ=帝都大戦だし。 レッドブル軍団の入場曲良かったよな
試合は塩試合だったけど。
https://youtu.be/BnjJTQYv5eo えっ? ずっとスト2のキャラだと思ってたんだけと実在したの? >>42
そうなんだ、Eは原形とどめてないけど
バトルクロードなんかモロだったな この人よりサルマンハシミコフの方が印象が強い。IWGPヘビー獲ってるよな?
餓狼伝説のビッグベアなんてベイダーそのまんまなのによく訴えられなかったもんだ。 ザンギエフは切り込み隊長みたいな感じだっけ?でハシミコフがエースと。
ビガロ、ベイダーあたりとの試合は迫力あったな。 57歳というより77歳に見える
外人の老けっぷり半端ないな ザンギエフはロシア軍の先鋒だったよなハシミコフがチョチョシビリが大将 >>65
訴えられそうになったからライデンに戻ったんだよ まさか、試合する前に勝敗が決まっているとは夢にも思わなかっただろうな。
だが、そのおかげでとんでもない試合数をこなせるということも。 何度吸い込みスクリュードライバーに痛い目にあったか… この人とエルサムライの試合映像今つべで見たら、スープレックスのスピードが速すぎてサムライが死にそうになっててワロタ。 故郷の凱旋試合ぐらい勝たせてやれよ。
長州は日本人と思えないくらい冷たい奴だ。 レッドブル軍団は生まれつき骨格が生まれつきデカいフィジカルエリートばかりでめちゃくちゃ強そうに見えた
ドーピングもやってたのかもしれない さすがに30年近く経つからこの人がモデルって知らない人も多いんだろうな ヴォルク・ハン?というのもいたような気がする(´・ω・`) 当時リングスが存在していたらリングスロシア所属でもっと輝いたかもね スパ2の4人の新キャラはいまいち馴染めなかったなあ。
グラフィックもけっこう違うし、やっぱりあの12人が個性的過ぎるからね。
キャミィくらいかな、そこそこ人気出たのは。 ルー・テーズがザンギエフのスープレックスを絶賛していたのを思い出す。
一方、ハシミコフについてはオーバーウェイト(太り過ぎ)だと言ってあまり評価していなかった。 サソリ固めもなぜかマスターしてて
なぜかいつも決めポーズしてたなw サガットのタイガーショット(上)をしゃがみでかわせないのが辛いが、初代スト2だとダルシムもなんだよな ザンギエフは一番エンタメ性を理解してた選手だけどサソリ固めをかけながらガッツポーズをしたり明らかにやり過ぎたこともあった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています