元プロ野球選手の清原和博氏(51)の母弘子さんが5日に大阪市内で死去していたことが15日、分かった。78歳。奈良県出身。葬儀・告別式は近親者で執り行われた。
死因は明らかにされていないが、数年前から体調を崩していた。清原氏は最愛の母を失った悲しみの中、6日に厚生労働省主催の依存症に関する啓発イベントに出席していた。

 6日の厚生労働省主催のイベントで、2016年に覚せい剤取締法違反で有罪判決を受けて以降、初めて公の場に姿を見せた清原氏。その前日の5日、母弘子さんが亡くなっていた。

 本紙の取材によると、清原氏は5日に弘子さんの容体急変を知り大阪入り。知人は「残念ながら、お母さんの最期に立ち会うことはできなかったようです」と明かした。
清原氏は6日、大きなショックを胸に帰京。悲しみをこらえてイベントに出演し、自身の体験談を交えて依存症に悩む人にエールを送った。7日に再び大阪に戻り、
同日の通夜と8日の葬儀・告別式に参列した。

 明るく面倒見のいい人柄だった弘子さん。やんちゃな清原氏を時に叱咤(しった)激励しながら、スーパースターに育て上げた。少年時代、甲子園のテレビ中継が流れると
「あんたもここに出るんやで」とハッパを掛け、その気にさせた。奈良県天理市出身で、息子を天理高校に進学させようと天理教の信者になったが、PL学園への
進学が決まるとPL教に改宗。毎晩20キロのランニングを課し、自身も自転車で並んで走った。清原氏が甲子園に行くためにできることは何でもやった。
1985年のドラフトで清原氏は巨人入団を熱望したが、その巨人は桑田真澄氏(50)を指名。失意のどん底にいた息子に「あんたが勝手に巨人に片思いして
フラれただけや」と名言を発し立ち直らせた。清原氏が引退を決めた時は、墓参り途中の坂道で弘子さんを背中におんぶして告げ、母子一緒に泣いた。
弘子さんは数年前から認知症を患い、清原氏の事件は理解していなかったという。

 清原氏は事件後の心境を「誰にも会いたくないという生活の中で、死にたくなった時なんかに思うのは、親不孝なことをしたらあかんなということ」と
明かしていた。事件で多くの人が離れていった中、親友であり続けた男性が17年に急死。最愛の母も失ってしまった。それでも、常に明るさを忘れなかった母の姿を胸に
前に進んでいく。

スポニチ
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