>>751
主君のやらかしに関する見当違いの報復は当時ですら忠義とは異なる
体育会系の馬鹿侍がとにかく浪士の「喧嘩に勝った」という事実だけを見て壮挙だ仇討だともてはやしただけ
仕掛けた理由には当時も正当性がなかったからもし浪士が返り討ちにあっていたら馬鹿にされて終わっていただろう
江戸時代から昭和中期の庶民に赤穂浪士が人気だったのは実は忠義だからではなく、とにかく報復は全てに優先される聖戦であるという文化が生きていたから
これは今の韓国北朝鮮も持っている価値観