同じ社会学者・宮台は「個々の快不快は公共性にはならない」との理由で、犯罪俳優の作品を全面的に排除するのではなく、ゾーニングで対処すべきと結論づけていた
俳優の名前をクレジットしておけば、嫌な人は見なければ済むから、それで十分だという
会田誠の公開講義も同じだと言ってたな