そもそも、なぜ借金をしなければならなかったのか。
96年に日本プロ野球史上初の1億円中継ぎ投手になるなど、選手時代にガッツリ稼いでいたのではないのか。

「00年のオフに戦力外通告を受け、それから家族で渡米してメジャーリーグに挑戦したんですけど、00年の年俸は1億3000万円。
ところが、アメリカでは独立リーグやマイナーだったので、2年間でもらえたのは、月15万円を半年だけ。
03年に帰国してオリックスでプレーした年は年俸600万円。そこから税金を引かれ、家族の生活もあって……。
それでも、引退した時はセカンドキャリアに手応えがあり、返せると思っていた。派手な生活はしていないし、隠し財産もありません」

「誠意を見せて返済し続けるしかない」

さて、愛媛県出身の佐野さんは松山商業高校から近畿大学を経て、91年、ドラフト3位で近鉄バファローズに入団。

1年目から活躍し、薄毛の自虐ネタで球場を沸かした。野茂氏とは近鉄時代の同僚で親しかった。

「数年前、甲子園で解説の仕事をした時、彼も来ていたので、せめて謝罪しようとしたんですけど、顔さえ合わせてくれなかった。でも、そりゃそうです。
裁判には、反論できることは何もないので出廷しませんでしたが、謝罪の手紙を送り、返済を再開しました。
これからは誠意を見せて返済し続けるしかない。去年から芸能事務所にサポートしてもらい、パチンコ店のイベントの仕事などの話をいただけるようになりました。
裁判が大きく報じられて、仕事をくださいと言えるようになったので、もっと積極的に仕事を増やし、助けてくれた人たちを裏切らないようにしたいと思っています」

30歳の時、5歳下の一般女性と結婚。大学2年生の長女、小学5年生の長男の家族4人で、7年前に大阪から東京へ拠点を移した。

「借金のことは、裁判になって初めて家族に打ち明けました。嫁さんは『なぜ話してくれなかったの』と、かなりショックを受け、今はパートで働きに出てくれています」

何とか踏ん張って、再起してほしい。