朝青龍はいま酒を飲んでいない。

 禁酒を始めてもう5年以上が経つ。「50歳まで酒は止める。50歳までに狙うところを狙う」。現役時代の反省を生かせずにモンゴルでも酒席でトラブルに巻き込まれたのをきっかけとして、人生を目いっぱい生き抜こうと心に決めたようだ。

 現在38歳。50歳になってから栓を開けるために自宅に世界中の酒をずらりコレクションしながら、いまはビジネスの道に邁進している。

 引退後は母国で実業家として成功を収め、不動産事業などに加えて最近ではモンゴルで栽培したそばを日本に輸出するビジネスに力を入れている。ちょっと変わったところでは中国の巨大IT企業アリババの創業者、ジャック・マーとも同氏の映画で共演するなど関係を築いている。

有言実行の性格は角界入りした時からだった。明徳義塾高から高砂部屋に入門し「5年で横綱になる」と宣言した。「もし横綱になったら」と部屋のタニマチとは巨大なダイヤモンドをもらう約束を交わした。

 強烈な向上心と勝負根性、そして火を噴くような猛稽古を実らせての超スピード出世。ダイヤモンドと第68代横綱の座をつかみ取るのに5年どころか4年もあれば十分だった。

 最高位に上り詰めてからは土俵内外でトラブルが絶えず、品格を問われて批判を受けることも多かった。今回の稀勢の里の引退劇は多くの人に横綱の在り方を考えさせる契機となったが、朝青龍もさまざまな形でその価値観を揺さぶった1人だった。

 そんな彼と四六時中一緒に過ごした付け人はさぞや大変だったに違いない。だが、Number972号の取材で会った当時の付け人たちは「ファミリーみたいに扱ってもらって自分らは楽しい思い出しかない」と一様に言っていた。

やりたい放題のヒール横綱、であったのは間違いない。

 だが一方でタニマチと飲みに行けば「今日はこいつ頑張って相撲に勝ったから小遣いやってくださいよ、社長」と若い衆に気を配り、引退後も元付け人のハワイでの結婚式には仕事の合間を縫って弾丸スケジュールでモンゴルからお祝いに駆けつけた。

 そんな面倒見の良さと親しみやすさもあるのが朝青龍だった。

 そんな性格だから同じ金色のまわしを締めた元横綱・輪島と酒を酌み交わした時もすぐに打ち解けたという。付け人の1人が懐かしそうに振り返る。

 “黄金の左”の異名をとった輪島に対し、朝青龍も左の下手さえ取れば「どうやっても大丈夫」と絶対の自信を持っていた。もし夢の対戦が実現したとしたら相四つでの真っ向勝負だ。

 「俺が現役なら朝青龍には負けないよ!」

 「いやいや、兄弟子! そこはちょっと待ってください」

 「いや、同じ左では俺は絶対に負けない」

 横綱同士の和気あいあいとした意地の張り合いを見られたのも近くにいた人間だからこその贅沢だった。

昇進してしばらく経った頃、付け人の1人は貴乃花に付いていた力士からこんなことを言われたという。

 「10年ぐらい横綱に付いていても俺たちは名前でなんて呼んでもらえなかった。お前らのところはすごくフレンドリーだよな」

 どちらがいい悪いの話ではないだろう。付け人への接し方ひとつとっても貴乃花は孤高であり、朝青龍は気のいいあんちゃんのような横綱だったということである。

 四つ相撲がいれば押し相撲もいる。早熟がいれば晩成もいて、有言実行がいれば言葉少なに多くを語らぬ人もいる。取り口が違うように考え方も個性も千差万別。

 一口に横綱といっても頂点を極めた72人にはそれぞれの綱の色がある。

Number Ex
2/18(月) 8:01
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190218-00833504-number-fight