[無党派者の視点から]

自分が大臣だったら何と言ったかリアルに考えてみれば分かる事に過ぎないが、
政治に淫している者たちは、あまり知能程度が高くない人も多いようなので、
この場合の「がっかり」が、意味もさることながら、なぜ不適当な言葉だったかを教えてあげよう。
日本語は、擬態語や擬音語が発達した言語だと言われている。
これにより、微妙なニュアンスをも感覚的に伝える事が可能となり、バリエーション豊かな言語になっている。
ただし、「感覚的」であるがゆえに社会的、公的な場面で使うにはあまり相応しくない言葉でもある点に注意が必要なのだ。
「がっかり」とは言うまでもなく擬態語から派生した副詞であり、そもそも一国の大臣が人前で使うべき言葉ではない。
言葉というものは、仮に意味が似通っていても、その時と場所において相応しいものとそうでないものがあるのであり、
その両方の表現を知っていて適切に使い分ける事が出来るのが「大人」だとか「社会人」と呼ばれるべき存在なのだ。
逆に、いつまで経っても適切な言葉遣いすら出来ない者は、社会の主要な領域から排除されてもやむを得ないのである。
ましてや昔は「末は博士か大臣か」と言われた程、人が目指すべき最高の地位とみなされた職である。
5ちゃんねるに投稿しているような連中と同レベルでは困るわけだ。
「がっかり」……意味もさることながら、そういう言葉を安易に使う、人として最低限の礼儀すら弁えていないような人間が我が国では今や大臣をしている…この事実は重い。
時代は移れど、政治商人にとっても冠婚葬祭で気のきいたスピーチをするなどは基本中の基本のはずだろう。
それすらまともにやって来なかったという事だろうか。
今さら、「政治家は言葉で出来ている」などという説教じみたことは言うまい。
さりながら、社会人の基本すらなっていない者が大臣とは、いかにも少子国家に相応しい惨めで残酷な事態だと突き放さずにはおれない。
勿論、若い皆様には大変申し訳なく心苦しい事態ではある。
ただ、これから皆様が作る国家は、皆様がこれで良いと思えるものを作れば良いのだし、その権利は皆様にあるのだから、
どうか今しばらく堪忍して下さいと、この異常な低知能大臣にかわって頭を垂れ切にお願いするしかない次第だ。