呂比須ってあまりエピソードを語ってもらえないが


1997年9月12日に帰化すると[17]、その16日後の、ワールドカップフランス大会予選の対韓国戦で日本代表デビューを果たす[3]。
なお、日本の法務省は、元の国が国籍離脱を認めていない場合は、二重国籍者を容認する。ブラジルは国籍離脱を認めていない為、日本帰化以降、呂比須は日本とブラジルの二重国籍者となった。

イランとの第3代表プレーオフ決定戦の直前に母が病死し、岡田武史監督から帰国を促されたが[27]、代表選手としての務めを果たすために[7] 代表帯同を続け、
イラン戦にも途中出場。この試合でも呂比須のボール奪取から本大会出場を決定させる岡野のゴールデンゴールに繋がるなど、日本のワールドカップ初出場への大きな原動力となった。

1998年に行われたワールドカップ本大会では途中出場ながらグループリーグ3試合に出場[17]。対ジャマイカ戦では中山雅史のワールドカップにおける日本人初ゴールをアシストした