>>309
手倉森兄が住友で無茶苦茶やってたが、
その時出来た人脈から熊谷が鹿島入って
熊谷が怪我して地元帰ってたときに
こいつどうよ、と高校の同級生がみせたのが
小学生の柴崎
鹿島が唾つけたのは黒田監督より早い
コンタクトとり続けながらも熊谷は代表候補くらいまでいけた
結局多種の怪我が主因で引退したが
すぐに就任したスカウトとしての最初の仕事は
柴崎との契約

青森東部サッカー文化の直系にして
象徴なんだわ、柴崎
それを受けての青森山田の隆盛