60年前の板東は、練習でも1日何百球って投げて、
チームに投手1人しかおらんから、どんな過密日程でも毎試合完投。
でも坂東の時に延長18回再試合ができた。

40年前の牛島は、選抜で連投が続いて、
決勝戦の箕島戦はもう肩肘痛くてしょうがなかったらしい。
当時はエースが投げて完投が当たり前、満身創痍でマウンド上がって、箕島打線にフルボッコ・・・。

20年前の松坂は3回戦の星稜戦から決勝まで4連投。
星稜の待球作戦で、140球くらい放ってる。
翌日PL戦で250球は記憶に新しい、でも次の日朝から試合もうめちゃくちゃ。
テーピング姿が痛々しかったけど、明徳義塾戦も9回マウンド立った。