【サッカー】レアル、逸材FWキエーザ獲得か(元イタリア代表FWエンリコ・キエーザ氏の息子)…フィオレンティーナは約76億円で放出容認
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レアル・マドリードが、フィオレンティーナに所属するイタリア代表FWフェデリコ・キエーザの獲得を目指しているようだ。
イタリア紙『コリエレ・デッロ・スポルト』が7日付で報じている。
複数ポジションこなせるキエーザを巡っては、かねてからユヴェントスやナポリといったイタリアのビッグクラブをはじめ、
マンチェスター・Uやバイエルンといった国外の強豪クラブが注視していると報じられており、獲得レースにレアル・マドリードも参戦するようだ。
また、フィオレンティーナは適切なオファーがあれば放出を容認する姿勢をみせているようだ。
報道によると同クラブは6000万ユーロ(約76億円)以上のオファーで手放すという。
キエーザは1997年生まれの21歳。元イタリア代表FWエンリコ・キエーザ氏の息子で、2016−17シーズンのセリエA開幕戦でトップチームデビューを果たした。
昨年5月にはイタリア代表にも招集され、今年3月にデビュー。フィオレンティーナとは2022年までの契約を結んでいる。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190209-00905017-soccerk-socc
2/9(土) 21:22配信
https://amd.c.yimg.jp/im_siggMSx.SWuzNA3iicLlkBwgCg---x400-y254-q90-exp3h-pril/amd/20190209-00905017-soccerk-000-2-view.jpg
https://www.soccer-king.jp/wp-content/uploads/2017/09/GettyImages-1106525.jpg 選手を育てるチームと、選手を買い集めるチーム
金があるかないかだよね >>44
元所属クラブのヴィトルル・コンスタンツァに戻って10番
父ゲオルゲ・ハジが会長兼監督で16-17にリーグ優勝してる キエーザの息子
シメオネの息子
クライファートの息子
まだまだいそう 伝説のフィオレンティーナ
キエーザ
バティストゥータ
ミヤトビッチ
このときの興奮は今も忘れられない
びっくりするぐらい機能しなかったけど キエーザって身長170だった記憶あるけどこいつ何センチ? >>63
ファン・セバスチャン・ベロン自身がデビューしたクラブでもあり
欧州から帰国してリーグ優勝や09年リベルタドーレス杯優勝に貢献
魔法使いといわれた父ファン・ラモンがリベルタドーレス杯3連覇しており
親子2代での南米王者となる
シメオネの監督初タイトルはこのクラブでのリーグ優勝
(ほぼ同時期に帰国したベロンも加入して優勝に大きく貢献)
>>79
サンプドーリアからレンタルに出されてた
息子のフェデリコは1997年10月25日生まれだが
今の息子の年齢(シーズン中に22歳)のときはサンプドーリアにいったん復帰していた(26試合1得点)
結果が出ずBモーデナに再レンタルされ15点、Aクレモネーゼで14点
戻ってきたサンプで95-96に22得点 >>29
ゾラ、ヴィアリ、ラバネッリ、カジラギ
いっぱいいい選手いたな
バッジョはもちろんの事 >>49
ちょうど没落期だったしな
マラドーナカレカで勝ってた時期は凄かったよ >>125
95-96のセリエA得点王
ラツィオのあとナポリとレッジャーナを経てC1リヴォルノに移籍
ここでC1・Bと連続得点王になりA・B・C1と3カテゴリの得点王に
最後はリヴォルノをセリエAに引き上げ、A残留を果たして37歳で引退
>>151
ボクシッチはユーヴェ1年だけで前後はラツィオ
CFとしての得点力はカシラギのほうが上だったな
ゼマン体制化のラツィオ3トップは右ランバウディ(アタランタB落ちで移籍、ゼマンのフォッジャ時代の教え子)
中央がカシラギかボクシッチ、左がシニョーリ
96-97はボクシッチがユーヴェに行っててプロッティが入ってた >>49>>205
その頃(在籍93-94〜96-97)のナポリの若大将格だったのが
今年からアビスパの監督になるペッキアだったのよな
ペッキアがナポリに入った年の監督だったリッピの引きでユーヴェに行って
その年にナポリは最下位でB落ちした
GKタリアラテッラ
DFマトレカーノ、ファビオ・カンナバーロ、アンドレ・クルス、タランティーノ
MFパーリ、ボルディン、ブーゾ、ベニト・カルボーネ、ペッキア
FWマッシモ・アゴスティーニ 今は再び強くなったナポリはともかく、サンプドリアの話をしても信じてもらえない可能性
マンチーニキエーザですよ マンチーニはどんな相手と組んでもちゃんとコンビネーションとれてたから凄かったな
今の現役の代表選手より巧いと思うわw >>212
欧州の主要国でイタリアだけ代表30ゴール超える選手が出てこないんだからこうなったのも当然なところあるよな スーパーサッカーセリエA、イエモンのso young思い出すわ
あとオープニングの編集が格好良くて好きだった フィオレンティーナ時代のゴール量産してた時はマジで凄かった キエーザ親子、クライファート親子、シメオネ親子
親子とも代表 ファチャディカーネ
WOWOWのセリエAで流れるエンディング曲 エンリコの方鈍足とか言ってやついるけど嘘だろ…
めっちゃ足速かっただろ >>29
フランス大会の時はフォワードだけで10人組めるぐらいいたからね >>186
スタジアムは殺伐として怖いけどド迫力だったし
選手の個性が際立っていて、ピッチにいるだけでも説得力があるスター選手が何人もいたよ
黄金時代だね サッカー選手の移籍額は異常過ぎるわ。何らかの規制すべきなんじゃ >>197
パルマでの試合だね
パルマのスタジアムがこじんまりとしてサッカー専用でいいんだよな
パルマの街も田舎町で治安も良いしきれいで好きだった
レストランでボンゴレを食べたよ >>201
ミヤトビッチが全然マッチしなかった記憶
翌年もイタリアに観戦に行ってアルテミオフランキで見たけど全然目立ってなくてほぼ記憶にない たしか俺が行ったときにサレルニターナという南部のプロビンチアのチームがセリエAにいて
そこはサポーターが過激なことで知られていて
確かカップ戦を中立地のそこで行ったら爆弾が投げ込まれて
それを除去しようとしたレフリーの指が吹き飛んだ事件が勃発していた。
そして、その年確か降格することになるんだが
その最後の試合の敵地の試合へと向かうサポを乗せた列車でサポが列車内で火をつけて
車両が燃えて数人死ぬ事故が起きていた記憶
当時のセリエAは色々な面でサッカーとは戦争でありスポーツではないを体現していて
それはもう殺伐としていて迫力があり試合会場では
つんざくようなサポーターの声とブーイングでピリピリとした空気で、スポーツを超えたサッカーの醍醐味を楽しませてくれたわ 試合前にピンクのガゼッタ紙を購入して予想スタメンを見て
試合翌日は試合の採点を見る
サッカー好きにはたまらなかったわ
週1回オマケで冊子がつくんだが、それはちょうどペルージャの中田特集で
外地でのそれには日本人として誇りを感じたし感動して今でも取ってあるお宝だね。 >>124
親父のどこが鈍足だよ
瞬間的なダッシュでDF振り切って小さいモーションからドーンと・・
好きだったな、あの怪我さえ無ければな まさかキエーザの息子が一番出世するとはなあ
キエーザいた頃はアズーリも前線豊富で目立ってなかったけど >>220
キエーザは代表落ちしてたんだよな、モンテッラと一緒に
んでフランスのデシャンが「イタリアのあぶれたフォワード貰えたら絶対にフランスが優勝する」とか言ってた
キエーザはラバネッリの病気辞退で結局フランスに行けたけどすごいメンツだったな >>20でなんということかカンナバーロが抜けていたわ
テュラムとのCBはセリエAでも屈指だったな >>72
レアルの話題なのにジダンの息子やジョレンテが出てこないなんて なんかセリエAおっさんスレと化していて場違いだった >>118
それユーベだろ
これパルマ、ブッフォンも当時いたけど キエーザってまぁまぁの選手なのに持ち上げすぎだろ
ウイイレ厨か?
代表では選ばれても控えド安定なのに
大事な時に毎回怪我してたな、これも才能だね クライファートの息子とかも期待する意味わからん
コイツ自身ユース年代で期待でかかったがそれ以降は未完の大器で終わった選手
トラップとかトリッキーなプレーはうまかったけど戦力としてはあかんやつだったろ エンリコのほうはセリエAダイジェストやってた頃、現役だった人かな ヴィエリ
デルピエロ
インザーギ
の次あたり
モンテッラとかデルベッキオと争うレベル
身体能力高かったな シーズンごとの乱高下激しいから安定した選手ではなかった
全盛期20年くらい前だし記憶では絶好調時のイメージが残ってんだろうな 当時のセリエはスターだらけだったのは確かだがだからこそ美化されてる選手はいるだろうな マドリーをレアルと略すな
レアルと言ったらソシエダだろ 守備が堅いイメージのアズーリだったけど
親父キエーザの時代はいいFW多かったね
ビエリ・インザーギ、モンテッラ、トッティ、デルピエロ
彼らに比べるとインパクトが薄かったけど献身性と確実性は素晴らしかった
パルマ20番でプレースタイル似てたのはディ・バイオ >>39
シエナ時代のキエーザとフローのレジェンド凸凹2トップが妙に印象に残ってる >>245
2000年辺りの得点ランキングでクレスポ、シェフチェンコ、キエーザ、ビエリが争ってたイメージがあるな
代表だと能力的にも存在感的にもビエリが別格って感じだった
デルピエロやインザーギの代わりはいくらでもいたね
シニョーリでもモンテッラでもいい
この頃のイタリアのFWは代表クラスだらけだね
まあオランダはさらに強力で、ビエリクラスのFWが
クライファート、ハッセルバインク、ベルカンプ
その下にニステル、マカーイ、ファンホーイドンク当時はこんな感じ >>57
マラ以降ボロボロだったやん。まぁフィオも経営反して4部堕ちするが >>237
まぁシニョーリとかゾラのほうが間違いなく上だけどな 大型ストライカーとしてはヴィエリが別格ちょっと前ならヴィアリで後ならトニ
点取り屋って感じならインザーギを筆頭にモンテッラとキエーザとシニョーリ
チャンスも作れるテクニック型ならバッジオとデル・ピエロとトッティが別格その下にゾラ、マンチーニ
こんなイメージ >>252
ゾラとかマンチーニは他の国なら絶対的エースだったな
あの時期のイタリアは10番が充実しすぎて供給過多になってた。 シメオネの息子もフィオレンティーナにいるね
ウイイレオンラインのガチャで当たった >>253
ゾラはマジで上手かった下手すりゃバッジョより上手かったかも >>103
ベロン背低くね?
こいつ180ないんじゃ >>209
GKゼンガ
DFマンニーニ、ヴィエルコウッド、フェッリ、セレーナ
MFユーゴヴィッチ(プラット)、ミハイロヴィッチ、ロンバルド、エヴァーニ
FWマンチーニ、グーリット(途中で復帰)
控:サッケッティ、マルコ・ロッシ、サルサノ、インヴェルニッツィ、マスペーロ、
サルサーノ、メッリ、ベッルッチ、ベルタレッリ
これが
こうなった
GKパゴット(ゼンガが開幕直後に負傷し長期欠場)
DFバッレーリ、マンニーニ、フランチェスケッティ(フェッリ)、サッケッティ
MFカランブー、セードルフ、ミハイロヴィッチ、エヴァーニ
FWマンチーニ、キエーザ
控:セレーニ、ラモニカ、ペサレジ、サルサノ、インヴェルニッツィ、ベッルッチ、ベルタレッリ
さらにキエーザ引き抜かれ
GKフェッロン
DFバレーリ、フランチェスケッティ、ミハイロヴィッチ、ペサレジ
MFカランブー、レーグル、ヴェロン
FWマンチーニ、モンテッラ、カルパレッリ
控:セレーニ、マンニーニ、ディエン、エヴァーニ、サッケッティ、サルサノ、ヤコピーノ
このシーズンにデビューし、00-01までいたヴェルガッソラには移籍後(トリノとシエナ)よく得点された記憶 >>227
これこそ中田のペルージャが生き残りをかけて戦い
最後の降格枠がサレルニタナになったときのことじゃなかったなと
(それも試合前でなくて、降格した腹いせに放火だったかと)
33節でサンプドーリア、ヴィチェンツァ、エンポリの降格が決まっててあと1枠
ピアチェンツァ 40 11-7-15
ペルージャ 39 11-6-16
サレルニタナ 37 10-7-16
ピアチェンツァとサレルニタナがピアチェンツァで直接対決
ピアチェンツァが勝つか引き分ければ残留してサレルニタナ降格
サレルニタナは勝てば直接対決の結果(得失点差より優先)でピアチェンツァを上回り逆転残留
サレルニタナが勝った場合、ペルージャは引き分けでピアチェンツァとPO、負けで降格 >>28
ラニエリがプレミア優勝監督になったのが1番驚いたなw
もちろん岡崎がいるチームでって事で >>248
見る目なさすぎ
オランダにヴィエリ以上なんていなかった
そのころならニステルが少し劣るレベル
クライファート?は?足元うまいだけの決定力カスのゴミだろ 身体能力タイプは20後半で一気に衰えるからな
ヴィエリもルーニーもこのタイプ
高い技術もあったのに・・・笑 もうイタリアのFWはあんま活躍できるイメージないな
インモーもガッビアディーニもザザも結局みんなイタリアに戻ったし
国内でプレーするのが一番 マンチーニ
「ヴィアリ
モンテッラ
キエーザ
はワシが育てた」 親子二代でチェコ代表としてユーロ出場のカドレツ親子、父ミロスラフはユーロ96準優勝の守備の要
息子ミハルもユーロ12で8強の主力、同予選ではDFながら4得点(PK3) >>208
つーかペッキア日本に来てるのか
昔wccfで使ってたわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています