>>63
小鶴誠は、箱庭球場(狭くて有名な後楽園も大阪球場も改築前でより狭かった)と、よく飛ぶラビットボールに、
日本球界でおそらく最初の打撃コーチ新田恭一に仕込まれたゴルフスイングと呼ばれるフォローの大きいアッパースイングでホームラン量産。
体重が63キロくらいの当時でも軽量の非力をカバーすべく、
腰をフル回転の無理な打撃でホームランを打ったので、
腰痛のためピークが短い。
あと、甲子園や六大学のスターでもなく、
巨人阪神など人気球団にも所属せず移籍も多くて、
位置付けの難しい選手だったかもしれん。
ラビットボールは、戦前の手巻きの全然飛ばないボールの反省から、
機械巻きに人工乾燥でよく飛ぶボールとして開発された。
あまりによく飛んでホームランが増えすぎて野球が大味になったので、
飛ばないボールに変えられたくらい飛んだらしい。