【野球】伝説の大投手・村田兆治「メジャーリーグが一番欲しがったのは…」604試合 215勝177 敗33S 3.24
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伝説の大投手・村田兆治「メジャーリーグが一番欲しがったのは…」マサカリ直言で野球界を一刀両断!
ロッテ黄金期に君臨した大エースには、メジャー球団が群がった!? 215勝レジェンドが明かす「投手論」とは!!
インタビュー開始早々、村田兆治氏(69)はサイン用のボールをフォークボールの握りで持ち、こう言った。
「これを取ってごらん」。本誌記者が取ろうとすると、力を入れても、人差し指と中指に挟まれたボールはビクともしなかった。
村田 今でこそフォークボールは俺の代名詞のように言われるけど、最初から投げられたわけじゃない。プロ1年目から、いろんな変化球に取り組んだよ。
ただ、チェンジアップは体が前に突っ込んでしまって、どうしても自分の投球フォームには合わなかった。
でも、フォークは真っすぐと同じ腕の振りで投げられるから、自分の投球フォームに合っていたんだよね。
あとは、少年時代から阪神の村山実さんに憧れていたのも大きかったかな。
あの頃の阪神は打線が弱くてね。そんな中で村山さんは孤軍奮闘、必死で投げていた。
しかも武器はフォークボール。だから、自分もフォークを投げるピッチャーになりたかったんだ。
でも、マスターするのは容易じゃなかった。なんとかものになったのは4年目。
初めて2ケタ勝利(12勝8敗)できたんだけど、その間、血のにじむような投球練習をしたし、右手の中指と人差し指の間に牛乳瓶や特注の鉄の球を挟んだりもした。
フォークを投げられるようになったのは、そうしたトレーニングの賜物だったんだ。
村田氏のもう一つの代名詞が、軸足をくの字に曲げ、右肩を深く沈めた状態から投げ下ろす「マサカリ投法」だ。
このフォームが完成した背景には、1973年にロッテの監督となった金田正一氏の存在があった。
村田 ピッチングフォームで一番大事なのは、足と膝を使って投げること。打ち取りたいと思う意識が強くなると、どうしても体が早く突っ込む。
これを避けるためには、左膝を高く上げ、右膝を沈み込むようにすればいいというのが、俺の出した結論なんだ。
でも、このフォームで投げるには、走り込んで下半身を鍛えないといけない。
ちょうど、そんなことを考えている頃に、金田さんが監督になったのは幸運だったよ。文句を言いたくなるくらい、とにかく、よく走らされたから(笑
http://dailynewsonline.jp/article/1650774/?page=2
2019.01.13 19:00 日刊大衆
https://www.news-postseven.com/picture/2018/06/jiji_murata_choji.jpg
https://baseballmaniaa.com/wp-content/uploads/2017/07/mig-2-219x300.jpg
http://npb.jp/bis/players/41043826.html
成績
https://www.youtube.com/watch?v=XkJ85UgcN8I
村田兆治【現役最後の登板】1990年10月13日(川崎球場)
https://www.youtube.com/watch?v=Ugy1hmnQVto
1981.11 村田兆治 日米野球
https://www.youtube.com/watch?v=PoNyCjQvJg0&t=17s
村田兆治 黄金期西武打線に真っ向勝負 1989年
https://www.youtube.com/watch?v=bO-u_aD2l5s
マイク・ディアズ村田兆治の引退試合でホームラン 俺のフォークはスピードがあるから、キャッチャーの視界からも消える。当然、捕球は難しい。でも、だからといって後逸したら、空振りを奪っても意味がない。
当時、そんな俺のフォークを、体を張って受け止めてくれたのが、袴田英利だった。あいつとのバッテリーはノーサインで投げるレベルまで行ってたからね。
そのほうが俺もテンポよく投げられるし、相手チームにサインを盗まれる心配もなくなる。
でも、サインなしでフォークを捕るなんてプロのキャッチャーでも至難の業だよ。あいつが何度も指を脱臼しながら、必死で練習していたのを俺は知っている。
ただ、打たれて負けると、「おまえのキャッチングが悪いからだ」なんて、袴田に当たることもあった。ストレス発散の相手にしてしまっていたんだ。
若い頃は俺も血気盛んだったからね。野手のエラーで点を取られたりすると、頭に血が上って、ベンチに戻るや扇風機を投げてぶっ壊したこともあった(笑)。
でも、袴田は、そんな俺に黙ってついてきた。
本当に愚痴をこぼしたかったのは、ノーサインで球を捕らされたあいつのほうだったと思う。もちろん俺も感謝していたし、お互い信頼関係があったということ。
余談だけど、いまだに袴田からはお中元やお歳暮が届くからね。あいつも俺への感謝を忘れていない(笑)。
■野村克也監督に攻略されて
全盛時の村田氏のフォークボールに対し、他チームも手をこまねいていたわけではない。
フォームのクセをつかみ、攻略の糸口を見つけたのは、南海の野村克也監督だった。
村田 俺がフォークを投げるかどうか、最初に見破ったのはノムさんだったね。マサカリ投法では、右腕を下に降ろした瞬間、ボールの握りが丸見えになる。
南海はフォークの握りが見えると、三塁コーチが口笛を鳴らしてバッターに教えていたんだよ。
俺のフォークは、ほとんどが低めのストライクゾーンからボールになる。つまり、フォークと分かれば振らなければいい。
■巨人対阪神戦のような大観衆だったら
それに、あの頃のパ・リーグの試合はどこも閑古鳥が鳴くような状態だったから、口笛がよく聞こえるんだよ。
巨人対阪神戦のような大観衆だったら、まず聞こえないからね。このときばかりはセ・リーグの球団に移籍したくなったよ(笑)。
でも、相手が策を講じたなら、こっちは、その上を行く技量を見せないといけない。
それでこそプロ。俺は投球モーションの途中で、フォークとストレートの握りを自在に変えるテクニックを身につけた。
これで、今度は相手が翻弄される番。わざと相手打者にフォークの握りを見せてから、ストライクゾーンに速球を投げたこともある。
こうした切磋琢磨と技術革新があったから、通算で215勝もできたんだ。
■大谷翔平や田中将大、野茂英雄らがMLBで活躍したが
野茂英雄、佐々木主浩、上原浩治、田中将大、大谷翔平。これまでメジャーリーグで成功した日本人投手の多くは、
フォークやスプリットなど“落ちるボール”を武器にしていた。実は村田氏もまた、メジャー垂涎の選手だった。
村田 今でも“メジャーに行っていたら成功したか?”なんて聞かれるけど、俺は自信を持って「イエス」と答える。
事実、日米野球では、いつも好投できた。投げるたびに、真っすぐとフォークでメジャーリーガーをキリキリ舞いさせたし、
向こうの監督がアメリカに連れて帰りたいピッチャーとして一番に俺の名前を挙げていたよ。ちょっと生まれるのが早すぎたかもな(笑)。 今の日本人ピッチャーが、海を渡るか、日本に残るか、考え方はさまざまだろうけど、メジャーに行った以上は、やっぱり向こうで成功してほしいよね。
今、気になるのは、やはり大谷翔平だな。
俺は大谷の入団当初から、二刀流を続けるより野手に専念したほうがいいと思っている。
確かに真っすぐは速いし、スプリットの精度も高い。
でも、今のフォームだと、どうしても肘や肩を痛めやすいはずなんだ。それなら打つほうに絞ればいい。
背筋力が強いからインコースを引っ張れるし、高めなら振り遅れてもレフトスタンドに持っていける。
打者に専念して、あのまま日本に残っていたら、張本勲さんの安打数(3085本)や、王貞治さんの本塁打数(868本)という大記録を破る可能性もあったんじゃないかな。
まぁ、それはもうかなわないわけだから、メジャーでホームランのタイトルくらい獲ってほしいよね。間違いなく、大谷は、それが可能な逸材だと思うよ。
村田氏のインタビューは次回も続く!
むらたちょうじ:1949年、広島生まれ。マサカリ投法から繰り出される剛速球と落差の激しいフォークボールを武器に、215勝を挙げた球史に残る剛腕投手。 フォークと言えば杉下です
村田と言えばストイックとかまだやれんじゃねーのです あのねクマティーが日本人歴代投手中ではトップだと認めた
大投手なのだ^_^ いや、50代後半で140キロのストレート投げてたんだから普通に伝説だろう そうなんだよな。
1978年秋にシンシナチ・レッズが来た時の全日本も、
25勝した鈴木啓は打ち込まれたけど、村田は抑えていた。
ハッタリでなく本当にメジャーで通用しそうな雰囲気を漂わせていた。 野茂のフォークも西武が見抜いて伊原が声を出してたな 理にかなってる。
おっさんが球速出すにはこの投げ方しかない 野茂までは速球とフォークだけでも通用したな
佐々木は通用しなかったから向こうでカーブも投げるようにしたと言ってたが 大谷くんは変化球と直球で表情が違うのでバレバレだったという >>1
動画見たことあるけど
変なフォームだよね
普通に投げたら
もっとスピード上がりそう 必殺のフォークに加えて歴代最速候補にも挙がる速球があったからな >>11
松坂の横浜×PLの時もPLの3塁コーチが松坂がフォーク投げるときは声出して合図してたからね
今も昔もプロもアマも同じなんだよな まさかり投法懐かしいねえ
松沼とか山田のアンダースローもカッコ良かった
広島の大野も凄いフォームで魅了された 晩年は金田との確執で不本意の引退をさせられた。
千葉移転まで現役で伝説のピンクユニホーム着てほしいかったよw ケガからの復帰後は、サンデー兆治って使われ方で
大事にされてたけど、
今は、普通の先発投手が週1回の登板だものなあ。
それだけ、現在は消耗が激しいのかもしれないけど。 ほー
大谷には打撃のほうに才能あると見込んでいるのか マジでとんでもないレジェンドだけど、しゃべらせないほうがいい人 村田兆治のラスト登板にて、久々の一軍先発捕手として出場した試合が自身にとっても最後となった。
これは村田からの「俺のキャッチャーはお前以外にいないんだ。だから俺と共に去るんだ」
「お前とじゃなきゃ終われないんだよ」
という指名によるものだった。
試合後、袴田は村田に報道陣が群がるのを尻目に一人泣きながらベンチに戻りかけた。
これに気付いた記者から「やはり村田さんが引退となると寂しいですか? 」と聞かれ、
「ていうか僕も今日で引退なんです」と答えている。 疲れそうなフォームだけど意外と肩は負担かからないのかな >>1
反日チョンマスカレード
在日大衆
在日デイリーニュース
チョンメディアのアクセス稼ぎスレしか立てない反日アフィカス
速報性の無い記事でスレ立てすんな マウンドが日本と違ってかたいから
あの投げ方だと ケガすると思うけど ザトペックって何だよwwとか思っててyoutubeで村山の投球フォーム(スロー)見たら滅茶苦茶カッコいい 村田のフォークの握りが凄いのはわかるが、その頃メジャーではスプリットフィンガーが流行りだして、フォーク?そんな球時代遅れでしょ?みたいな風潮になってしまったのが可哀想だった ギリギリ現役で見れた大投手
最晩年でも黄金期西武を力でねじ伏せてたけどな
クソ弱いロッテで215勝できた理由が分かった
投げる球に説得力があった >>1
文句のつけようのない実績と実力だからな。
金やんと違って、話を盛ってないし・・ 当時のロッテで名球会入りは凄いわ
それを考えると、恵まれすぎた環境でギリギリ200勝した巨人堀内の小物感よ ノーサインでフォーク?
どんな罰ゲームだよ?
酷いな。 ロッテで勝ち越してるのは立派だけど
今はクソザコ楽天で勝率7割の田中将大がいるからどうしても見劣りする 獲得したタイトル
最多勝 1回(1981)
最優秀防御率 3回(1975、1976、1989)
セーブ王 1回(1975)
ベストナイン 1回(1981)
奪三振王 4回(1976、1977、1979、1981)
前後期MVP 2回(1977後期、1981前期)
月間MVP 1回(1981/4)
プレーオフMVP 1回(1974)
プレーオフ敢闘選手賞 1回(1981)
MIP1回(1979) 最後の年も10勝してるからなw
まだやれるんじゃないの、って引退が昔は多かった 燃えプロ1988版でマサカリ投法を再現してくれた時はちょっと感動したw 何年か前にウォーミングアップで遠投100メートル何本もやってたけど
単純に100メートル投げられることが凄い スーファミのスーパープロフェッショナルベースボールのマサカリ投法のモーションは素晴らしいの一言
トルネードもドット絵で完璧に再現してたな 村田がアメリカでイチローの試合を観戦に行った時
「今日は楽しんで行って下さい」と挨拶した後でキッチリ先頭打者HRを打った
という話が好きだ >>7
クソ弱いロッテで肘の手術で2年くらい休んでる 永久欠番でなんらおかしくない選手。
NPBは功労者に冷たいなぁ。
特にロッテみたいなクソ球団はわかっていない。 金田と張本
帰化したかしないかで人格も大きく違うな >>21
アンダースローなら近鉄にいた佐々木修もカッコよかったぞ >>10
草の現役時代のピッチングを見るとまるでキャッチボールで球速もない。何で300勝出来たのかわからないレベル。村田は何で215勝しか出来なかったのか不思議なレベル。 コイツみたいのが本当の老害
金田正一とか広岡とか山崎武司みたいなクズ
星野仙一とか野村克也なんて可愛いもんだよ >>6
違うよ
杉下はフォークをほとんど投げてない >サインなしでフォークを捕るなんてプロのキャッチャーでも至難の業だよ。
>ストレス発散の相手にしてしまっていたんだ。
性格はクズなのね シーズン後に日米野球があると知ると、この人は投げるのかなと真っ先に思った
小学3・4年生だったけどそう思ったな >>56
優勝もしてるし昭和50年代は有藤リーレオン落合と強力打線だったりもあるからな
最下位チームから最多勝投手が出ることもあるし西武黄金時代の工藤や郭は防御率のわりに勝ち星はイマイチ
投手の能力は勝ち星よりイニング数と防御率とは思うが
飛ぶボールに狭い球場で完投が当たり前で登板間隔の短い時代に勝てる投手は先制点を与えない勝負処は抑えるが点差のある試合では抜く(失点が増えても結果勝てば良い)等は無視できない
防御率では計れない
勝ってナンボ
勝ち星の多い投手が優秀
鈴木>山田>東尾>村田>堀内 スライダーもよく投げてた
フォークよりもスライダー多め 50代で144キロ投げて、63歳で135キロ投げていた人 あのとんでもなく狭い川崎球場を本拠地にして防御率一点台で21勝ってのはすげーよ 名球会の試合かなんかで捕手の古田が変化球捕って
「あれ?○○さんの時代にこんな球無かったですよね?なんで投げられるんですか?」
って言ったら「ん?だって練習してるもん」って答えたのってこの人だっけ >>16
老害ってゆうたるなよw
気難しいのは確かだろうがさ パンチ佐藤が、東尾は「打てるもんなら打ってみろ!」っていう球を投げて、村田は「打てない!」っていう球を投げてくると言ってたな この人は確か離島の少年野球大会を主催したりしてる人で、ただ若い奴に文句行って悦に入る老害とは違うぞ 袴田が我慢の人格者で良かったな
ノーサインで変化球とか絶対取れないよ あのマサカリ投法は、本拠地がとてつもなく狭い川崎球場だったから生まれたと言っていたね。外野フライ上がるとかなりの確率でホームランになっちゃうから、ピッチングフォームで幻惑する必要があったらしい。 >>1
「村田は俺にはっきりとフォークの握りを見せた。それでもかすりもしなかった。」 トレーニングで熊野古道を匍匐前進で完歩したって聞いたな 大投手なんだけど監督のオファーがこない人(´・ω・`) 村田の「ノーサインでフォーク」ってネタじゃなくてガチだったのか
あのボールをノーサインで捕るなんてナックルボールを捕るのよりも難しいだろうな >>16
怪我で苦労してるから理論とかしっかりしてるし精神論者でもないんだけど、いかんせん国語力がないんだよね。人に分かりやすく何かを伝えるという能力が決定的に欠けている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています