阪神・淡路大震災が1月に起き、2カ月後に地下鉄サリン事件が発生した1995年(平成7年)に、芸能界を揺るがした“事件”。それが、羽賀研二(57)と梅宮アンナ(46)のペアヌード写真集発売だった。撮影秘話をアンナ本人が語る。

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父娘と彼氏の三角関係。二人の熱愛が報じられると、梅宮辰夫(80)が交際に大反対したこともあり、マスコミは3人を連日追い続けた。過熱する当時の報道を、

「鬼ごっこみたいな感じだった。捕まえられるもんなら、捕まえてみろみたいな。記事の写真を自分で選んだこともあります。だって、どうせ載るならちゃんとした写真が良いでしょう」

と、振り返るアンナ。カメラマンに篠山紀信を迎え、メキシコ西部の海岸で撮影した二人のヌード写真集『アンナ 愛の日記』(新潮社刊)が更なる燃料となり、世間の関心はますます燃え上がった。


写真集は爆発的ヒット

「彼の借金返済のためって報じられたけど全然違う。篠山さんに撮ってもらって、思い出に残したいという私の発案だったの。自分で電話番号を調べて、篠山さんに連絡したんです」

ファッションの一環、との意識だったが、父・辰夫には「裸では撮らない」、と嘘をついて日本を離れた。

「飛び降りちゃいなよ」

撮影現場を知る共通の知人が、当時を語る。

「実は、当時二人の関係はギクシャクしており、空気を察知した篠山さんは、一向に撮影を始めなかった。
が、ある夜、篠山さんが、『アンナちゃんと研ちゃんは面白いね。普通のカップルはシーソーみたいに、男女の愛の重さで上になったり下になったりする。
でも二人の場合、アンナちゃんの愛が大きすぎるから、彼女がずっと下、研ちゃんが上にあがりっぱなしだ』と話し始めた。
そして、一呼吸置いて、『アンナちゃん、飛び降りちゃいなよ』と言ったんです」

愛情の上に胡坐をかく羽賀に対し、彼女が離れれば、有頂天から奈落へ転げ落ちると伝えたわけである。

寸鉄のごときその言葉に心を貫かれた羽賀は焦って態度を改め、彼女との関係を修復。絡み合うヌード撮影も翌朝から順調に始まった。

アンナ本人が語る。

「写真集の話が決まった時、私は開口一番、『どこで撮影できるんですか』『タイトルはどうしよう』って。でも、彼の聞いたことは、『篠山さん、本出したらいくらになりますか』だけ。お金に忙しい人だなと思った。
余裕が無いと人間的につまらなくなっちゃうんですよね。私とは価値観が全然違うんだと感じましたし、写真集への考え方に、大きなギャップがあったのです」

アンナが羽賀とのシーソーから降りるのには、5年の月日を要した。

「億単位の負債があった彼の代わりに借金を返した額は数千万円だったけど、当時は愛してたから何の苦も感じなかった。父に『焼け石に水だよ』と言われたけど、『私が稼ぐから大丈夫』って答えましたもん。
でも、あまりにも激動過ぎて燃え尽きたんだろうな」

その後、彼女は2001年に結婚し娘を産むが、2年後に離婚。一方の羽賀は、07年に詐欺・恐喝未遂で逮捕、13年に実刑判決が出て、現在も服役中だ。

「良いことも悪いことも、自分のしたことは返ってくる。謙虚に、真面目に生きてほしかった……」

 羽賀は奈落からまだ這いあがれないでいる。

「週刊新潮」2019年1月3・10日号 掲載
http://news.livedoor.com/article/detail/15865632/

2019年1月13日 5時58分 デイリー新潮