89年からは代打が増えたが……

プロ初打席も、初本塁打も代打だった。代打では配球を読み、1本で決めてやろうという意識で打席に立ったという。
87年からも2年連続で20本塁打を超え、89年には4月12日の中日戦(神宮)で西本聖に
バットを真っ二つに折られながらも右翼スタンドへ運ぶ奇跡の本塁打もあったが、その後は代打での起用が増えていく。
ただ、それは次なる奇跡の本塁打へとつながる伏線だった。

18試合の出場に終わった92年には、

「戦力外になると思って周囲に挨拶していた」

ところ、新聞でも引退を報じられる。ヤクルトは14年ぶりのリーグ優勝。
迎えた西武との日本シリーズ第1戦(神宮)は延長戦に突入する。出番は延長12回に回ってきた。

一死満塁。すでに40歳となっていた。たちまち2ストライクと追い込まれたが、
続く3球目、インハイのストレートをとらえると、打球は右翼席へと飛び込んでいく。日本シリーズ初の代打サヨナラ満塁本塁打だ。

「打った球なんて覚えてないけど手応え十分。震えちゃったよ」

あと一歩のところでヤクルトが日本一を逃すと、野村克也監督に申し入れて現役を続行。
翌93年、ヤクルト15年ぶり、自身2度目の日本一を見届けてバットを置いた。