【セルジオ越後さん】 

1964-1965…コリンチャンス(11試合0得点) 
1967-1968…トレスポンターノ(ミナスジェライス州2部) 
1971    …ブラガンチーノ(サンパウロ州2部) 
1971    …パウリスタ(サンパウロ州1部) 
1972-1974…藤和不動産サッカー部(40試合6得点) 

コリンチャンスで活躍できず1年で戦力外。 
州2部のクラブへ移籍するも1年で退団。 
もちろんブラジル代表候補ではなく、五輪代表の出場記録もない。 
その後、ブラガンチーノ/パウリスタに在籍するが1年で辞め日本へ。 
指導員資格を取っていなかったため当時問題になり、 
賀川浩氏に泣きつき「さわやかサッカー教室」の特別指導員となる。 
指導力のないセルジオは子供たちにリフティングを見せるだけ。 
教え子50万人以上という数字(自称)は、 
資格を持ち全国を回って20年指導していたトム・バイヤー氏の数字。 

引退後に解説者の仕事を始めるが 
S級・A級どころか、コーチライセンス自体持っておらず 
監督経験もコーチ経験もなし。 
いつもその時々に目についた選手を批判するだけの「ネタ解説員」。 
2017年、日本のために顕著な功績を挙げた人物に送られる「旭日双光章」を 
なぜか政府から受け、以降日本を褒める事はほとんどなくなった。