【話題】「ドリームキャスト」発売20周年。あのCMで一世風靡したセガの湯川専務を探せ! ★2
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1998年、CMに登場したひとりの人物が日本中の注目を集めた。湯川英一、"セガの湯川専務"として人気者となった人である。
あれから20年。彼は現在、どこで何をしているのだろうか。
この企画は「専務と話がしたい!」と思い立った、湯川専務の捜索記録である。
■大物クリエイターが語る湯川専務
ゲーム会社、家電メーカーなどが続々とゲーム機を開発し、「次世代ゲーム機戦争」と呼ばれていた1990年代。
「メガドライブ」「セガサターン」などのハードでゲームファンの心をつかんでいたセガが、満を持して世に出したのが「ドリームキャスト」だ。
今年で発売20周年。かつてCMで話題となった"専務"こと湯川英一(ひでかず)氏に当時の話を聞いてみようと連絡先などを調べたものの、情報が出てこない。
ならば、専務を知っている人に連絡先を尋ねてみよう。そんな軽い気持ちで湯川専務探しが始まった。
まず最初に訪れたのは、湯川専務が勤めていた会社であるセガ(現・セガゲームス)。
『龍が如く』シリーズの生みの親で、来月発売される、木村拓哉主演の映画・アクション・推理が融合したゲーム『JUDGE EYES:死神の遺言』の総合監督・名越稔洋(としひろ)氏が取材に応じてくれた。
──20年前、どのようなゲームを作られていましたか?
「サッカーゲームの『バーチャストライカー』の開発に関わっていました。
あの頃、私は家庭用ゲーム機のソフト開発はやってなくて、ドリームキャストの発売を知ったのは、世の中の人が知ったタイミングと同じ。それだけ社内でも秘密の存在でしたね」
──ではドリームキャストについて、あまり詳しくない?
「そんなことはありません。ソフトの開発者目線だけでなく、ユーザーの視点から見ても、いいマシンだと思います。
高速インターネット環境が整備されていない時代に通信機能を搭載するなど、新しい取り組みにチャレンジしています。
おそらく、開発者、ユーザーの声にすべて応えようと、いろんな機能を取り入れていたんですよ」
──2001年、セガはドリームキャストの生産中止と、家庭用ゲーム機事業からの撤退を発表しました。
「いろんな機能がてんこ盛りで、家庭用ゲーム機でやれることをすべてやったので、終わり方はよかったと思います。
ただ、ソフトを開発する立場としては、悔しさと申し訳なさがありました」
──CMで話題の湯川専務とは、お仕事をされましたか?
「たまに会議で一緒になりました。豪快で明るい方。部下からは親しまれて、トップからもかわいがられるお祭り男。
最後に会ったのは、セガを退職されてから3、4年後。一緒に飲みに行きましたが、元気そうでした。今どうされているかはわかりませんが」
キャラがCMと真逆という発見はあったが、専務につながるものは得られなかった。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181216-01077740-playboyz-ent
12/16(日) 6:20配信
https://i.ytimg.com/vi/E4zy69-F2Rs/maxresdefault.jpg
https://i.ytimg.com/vi/Jio8SzgrhPo/maxresdefault.jpg
https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0406/users/ed9e2f59edf6554bdde6ff018dc7fcf0430418d7/i-img1200x900-1529276021wkyoah1181028.jpg
前スレ 2018/12/16(日) 06:29
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1544909399/ ■あの編集長なら知っているかも
次に、ゲーム業界に幅広い人脈を持っていそうな人物から情報を得ようと、ゲーム総合誌『週刊ファミ通』の元編集長、浜村弘一氏にアプローチ。この方なら、専務と縁の深い人物を紹介してくれるかも。
──浜村さんにとって、ドリームキャストは、どんなマシンでしたか?
「今思えば"早すぎた名機"ですね。それとオンラインゲーム時代の扉を開いてくれたのが、このハードでした」
──『ファミ通』編集部内で話題となったゲームは?
「『ファンタシースターオンライン』は盛り上がりましたね。私もかなりプレイしました。
ゲームのプレイヤー同士がリアルに結婚するということで、そのカップルが『ファミ通』の読者だったご縁で、
ゲーム内で行なう結婚式の仲人をやらせていただきました。ほかにも『ジェット セット ラジオ』とか『スペースチャンネル5』とか......」
──具体的なタイトルを出したら止まらないですね!
「当時のセガにはユニークなクリエイターがたくさんいましたから、面白いソフトが多かった。
ゲーム屋が作ったハードだったことも、魅力的なタイトルが多かったことにつながっていたと思います」
──どういうことですか?
「ゲームソフトも作っているセガのハードですから、『ユーザーにいろんなジャンルのゲームを楽しんでもらおう』という考えが中心にある。
なので、格闘ゲームやレースゲームなどの定番のジャンルだけでなく、『シーマン』とか『ルーマニア#203』のような、ユニークなゲームもたくさん出ていたんです」
──ゲームメーカーが出すハードだから、多様なソフト作りができたと......ところで、湯川専務が今、何をされているかご存じですか?
「当時は、いろいろとお付き合いがありました。昔気質で義理堅く、人情の熱い人で、よくお酒を飲みに行きましたね。
セガを辞められた後、クオカード社に行かれて、15年以上前『ファミ通』の読者プレゼントの件でお会いしたのが最後だったかな。今、どうされているかは......」
──お話ありがと......。
「そういえば、JOGAというオンラインゲーム団体の事務局長の川口さんが、セガのOBの方々とつながりを持っていると聞いたことが......」
なんと! ここからセガのOBの連絡先が得られれば! ■専務と一緒に働いたOBにコンタクト
早速JOGAに連絡をすると、川口氏からこんな提案が。
「私が企画している『ゲームビジネスアーカイブ』のトークライブに、セガのOBの方をお招きしています。その方たちに当たってみますね」
そうして、川口氏から紹介してもらった、元セガの青木直喜氏が取材を快諾。編集部にお越しいただいた。
「家にあった当時のグッズを持ってきたよ。これが専務のサインで、あと、これが専務の写真が箱にプリントされたドリームキャストで......」
──貴重なアイテムをありがとうございます!
「当時、私がサードパーティ事業部で、ドリームキャストのソフトを作る外部メーカーの窓口の部署にいまして。一方の湯川さんはドリームキャストの"顔"になって」
──専務はどんな人?
「派手に遊ぶ人でした。『六本木にいるんで飲みに来い!』なんてことがよくありました」
──お仕事の思い出は?
「(親会社の)CSKからセガに初めて来たとき、『ロボピッチャ(セガが開発したおもちゃのピッチングマシン)って社内にあるかな? あれ使ってみたかったんだよね』って話していたのが思い出に残っています。
明るくて、みんなを集めて盛り上げるのが上手でした。『新しいゲーム機をみんなで盛り上げていこう』という時期でしたから、湯川さんのような人は必要だったと思います」
──現在、湯川専務がどうされているかはご存じですか?
「もしかしたら、元社長の佐藤さんなら知っているかも」
さすがにセガの元社長なら、知っている可能性が高そうだ! すぐさま連絡を取り、元セガ代表取締役社長の佐藤秀樹氏の元へ向かった。
「あの人は遊び好きでしたね。カラオケがうまくてね。正直『この人、仕事できるのか?』と思いましたけど、誰からも好かれる人物だったね」
──当時、専務の出ているCMをどう思われましたか?
「宣伝は面白かったね。けど、売れなかった。セガのクリエイターたちは優秀だけど、アーケードゲームをずっと作っていたから、長時間プレイする家庭用のソフト作りがうまい人はいなかった」
──ところで、専務は今、どうしているかご存じですか?
「どうされているかはわかりませんが、クオカード社で社長をされていたので、聞いてみたらどうでしょう?」
■湯川専務は永久に不滅です!
佐藤氏の取材後、クオカード社に問い合わせてみたものの、結局、個人情報は教えられないとのことだった。
発売20年の節目の日までに専務を探そうと捜索。人柄を知れたりグッズをゲットできたりはしたものの、残念ながら本人と会うことはできなかった。
だが、ドリームキャストから生まれた名作ゲームのことを思い出すと、夢中になって遊んでいた記憶があふれ出るように、
専務はあのときの哀愁漂う姿のまま、現在も、そして30年、50年後の未来も、僕たちの思い出の中では生きているのだ! ドリキャスのロードス島戦記・邪神降臨は何度もプレイした ドリキャス大コケの歴史で一番闇が深いのが秋元康とチェキッ娘の存在 ルーマニア203て今のスマホやタブレットのタップと相性いいと思うんだけどなあ >>14
カカトじゃなくて?最新作?
知らなかったわ ドリキャスは外れソフトが少なくて何勝ってもわりと楽しめる シェンムーとリアルサウンドはワゴンで新品100円だったわ ドリームキャスト買ったけど、あんまり遊んでないのに2年くらいで壊れたなー
シェンムーが最高に良かった
インターネット機能あるとかセガの時代を読む力って凄かったんだな
出すの早すぎて売れなかったみたいだけど バーチャストライカー面白かったよなぁ
コツはタッチライン際でドリブルする事
相手がタックルしてきてもほとんどマイボールでスローインになった SEGAと言えば
何で始めは
PSよりも圧倒的に売れていたサターンがその後負けてしまったんだろうか?
ちょっとの期間はあったものの
ほぼ同時に発売され
その前に
アーケードであるゲーセン界隈で
初の3Dによる対戦格闘ゲームである
「バーチャファイター」が人気を博していて
家庭用への初移植、そして完全移植とは言えないとは言え
あくまでも当時としてはであるものの完全移植に近い移植を実現したことで
サターン版「バーチャファイター」爆売れ大ヒット!という事もあり
セガ・サターンがロケットダッシュできって行った!
今では信じられないだろうけど
発売開始してからSONYであるPSよりもサターンの方がずーーっと圧倒的に優勢を保っていたのに
ある頃から突然下剋上が始まり、そのままサターンは沈んでいったんだろうか・・・?
未だにどうしてあーなったのか分からない PSOは今遊んでも面白い
よくあんな傑作が生まれたなあって不思議 ワイはドリキャスではなくムキャと呼んでいたが、周りには浸透しなかった
湯川専務はセガの追い出し部屋に行かされたんじゃなかったか エターナルアルカディア遊びたい
steamとかで出してくれないかなぁ >>26
バーチャファイター2発売時に最高潮に盛り上がったけど
その直後FF7がプレステで出ると発表されて一気に流れが変わった >>27
なるほど!
日本のゲーム界を代表する
人気RPGシリーズであるドラクエ、FFを筆頭に
スクウェア、エニックスそれぞれ両方のタイトルがPSに取られた デイトナUSAとリッジレーサー比べれば逆転されるのは明らかだった >>26
サターンは高コストすぎたから
そこそこのコストで生産ラインが安定してたPSの値下げ路線についていけなくなった 1998年に出てネット機能があったのが凄いな、当時PC高かったし
PS2のFF11が発売してようやくネット回線普及し始めたかな インタビュー先の関係者は疎遠になっていても携帯にアドレスは入ってるだろうから、連絡くらい取れるだろうに…… 仕事できてみんなから慕われても結局仕事やめたら疎遠になるんだから会社の人付き合いって無駄だよな
って思わせてくれる取材ですな >>33
そうそう、当時中学生やったけどそれでサターン売ってプレステ買うようなのも出てきて
完全にプレステ一択になってた
FF7は衝撃だったなぁ >>26
ff7って理由は有名過ぎるほど有名だと思うが。 >>9
もう秋元がCMやったくらいでどうにかなる段階ではなかった、が真相な気がする
自分だけは損しない立ち回りはもう手慣れたものだったろう >>26
まず大前提として、初期にサターンが圧倒的に売れていたという認識が間違い
10%も変わらないおそらく5%位
PS100万台前の段階のそんな差は誤差レベル
初期にSSに食いついた人間がゲーム好きだったゆえ、ゲーム界隈ではサターンが勝ち組扱いされていたが、実売はいうほどの差はない
当初より、伊集院がやっていたゲーム番組で、鈴木紗理奈がPSみて思わず「欲しい」言ってしまうほど、一般への訴求力はPSの圧勝
SSは2D機で3Dはオマケ
PSは3D機で2Dはオマケ
というハードの設定思想がPSの時代へ導いた
PSは家電流通と音楽出版の流通を使って、仲卸(任天堂で言う初心会という卸団体)のような中間流通をバッサリ削除して
定価5800円というSFCの半額以下の設定で販売
SS7800円都の価格差も大きい
当時CDプレス工場をほぼ独占していたため、生産の即応性を確保して、店頭在庫を増やさずに、必要量だけ追加生産していくことで、
流通在庫をコントロールして値崩れを防ぐ方式も採用
買い手がいつでも同じ値段で売ってるので、長期的にソフトが売れるようになり、在庫不足からプレミア価格になる事もなくなる
サターンはハード部品の確保に手間取り、生産が追いつかない状態で、機会損失にぶち当たる
PSも店頭在庫は少なかったが、比較的順調に供給され続けることで機会損失は少なくなった
PSは新規参入のハードルを思いっきり低くして、開発環境も250万で構築できる総合的な環境を提供
おかげでフロムソフトなどの新規参入組からアタリが出てくる
PSの初期を支えたナムコが変態技術者集団で、PSの性能を使い切るために開発環境まで手を出して
それをソニーがサードに配布する好循環が生まれる
FF7の発表
SSはハードの設計上、低価格化が困難な構造から、PSの改良版商法に太刀打ちできなかった
発売当初、SSのハードを分解したソニーの技術屋連中がそれを見越してガッツポーズをしたという裏話がある
などが主な理由 >>26
96年ぐらいからバイオとか鉄拳2とかパラッパとかが出てプレステが一気にぐっと伸びたのよ。
決定打となったのはスクウェアの移籍とFF7の発売だけど、その前あたりからサターンは逆転されつつあったよ >>26
ライト層狙いがうまかったんだよ
多くの人に買ってもらうために
ゲーマー向けのゲームだけじゃなくて
パラッパみたいな明るめの雰囲気作りがうまかった
ゲーマー向けだけじゃないって点で
ヲタクを毛嫌いしてる層が買いやすい雰囲気を作り出してた バーチャより闘神伝とかいうクソゲーの方が面白そうに見えたからな >>44
自分が絡んだ番組のスポンサーに宛がって 秋元だけは私腹を肥やしてるんだよね
セガっ子はチェキッ娘になんて興味ないよ >>1
ちょいちょい良作あるのにかませなあたり箱が正統後継者だな ハードの差として
SSの3D機能は、2Dスプライトの変形を3D座標に並べてポリゴンぽく見せる疑似ポリゴン
PSの2D機能は、3Dのテクスチャ付きポリゴンを2Dに並べる疑似スプライト
SSは動画再生フォーマットが無い
PSは動画再生にMotionJPEGを搭載
この二点がわかりやすい違い >>53
俺はメガドライバーの道を選んだ頃から運命は決まっていたがな 日本のゲーム業界的にはソニーに勝たせたのは大失敗となった
大型のデベロッパはほぼ死に体になった 人生はリベンジマッチだと思う人は、聴くべきー
この歌のサビはイケる
ガッツだぜ、愛は勝つ、それが大事
そして2018年は
『人生はリベンジマッチ』
↑
名曲、ユーチューヴ検索
★カバー、コピー大歓迎。 女性が歌ってもイイネ
ヒップホップ、クラブ等で DJミックスもOK−
大受けすること、間違いナシ。
全身全霊こめての、リベンジマッチ! 秋元康チェキっ娘にめちゃくちゃにされてセガ潰されたんだっけ 確かサクラ大戦3をやる為に買ったような気がした、でもシレンのアスカ見参ばっかりやってたな >>3
クオカードとゆうダムに情報塞き止められてるやんw 結局見つからなかったのか
まあもう75歳だしそっとしておけと
もしかしたら生きてるかどうかも・・ いや会えなかったのかよ!
普通に考えて見つからない人間じゃないと思うんだけどこれは… SSは国内よりメガドラ売れ過ぎで海外で売れなかったのがアカンかった 個人的には、サターンより面白いソフトが少なすぎたな。
クレタク、サカつく、探偵紳士Dash!、Never7 は良かった。 モバイル市場でARMに負けた日立SH-4とPC市場でNVidiaに負けたPowerVR採用とか
まさにゴミを集めた負け組ハードだったなw >>45
サターンは当初3DOより高性能目指してたからな
そこへソニーPSのゲーム機開発が耳に入ってきて
3D対抗するためCPU2個積む羽目になった >>61
チェキッ娘は秋元康がドリームキャストの宣伝費をすべて懐に入れる為だけに作ったアイドルだよ 本人がもうこういう話には出たくないんだろう
特に、ドリキャスについてはもう触れられたくないという話をどこかで聞いたし 懐かしい!ドリキャスでチャットやメールしていたなあ。顔も知らない人と会話しているのが、当時ほんと感動してびっくりしたの覚えてるわ。 ランちゃん プレステ
スーちゃん セガ・サターン
ミキちゃん Nintendo64
みたいなもんか。知らんけど ドリキャスミニ出たらハズレ少なそうだから購入したいなw ディスク回転のせいで故障率が異常だったな
リセットが頻繁に掛かる故障も多いから
一見動作しても注意が必要
ファンタシースターとシェンムーは
動かすだけで本体寿命縮めるから恐ろしい こんな有名な元専務でも連絡先知ってる人が居ないのか
定年から15年経ってるとはいえ寂しいもんだな 64は出るの遅すぎソフト少なすぎジャンルにも幅無さ過ぎで幼年層以外にはウケてなかった
当初はソフトも高くてPS/SSと比べて全然競争力無かったのか後から値下げしてたな >>1
かりんとうってついに監督自称しだしたのかよ >>39
これでインターネットデビューした人は多いですよ自分もドリキャスデビューでした色々なホームページを観るのが楽しかったですな 唯一受け付けなかったのが『Dの食卓2』
わずかなシーンに何回もGD-ROMがローディングするから、自律神経失調症みたいになって驚いた。たまたまかな。 エターナルアルカディアが面白かった
個人的にはFF12より上 あの当時はDVDプレーヤーがそこそこするからPS2のほうが需要高かったんだよなあ
あの時代にネットはちょっと先取りしすぎた ダイヤルアップでPSOやってたなぁw
電話代三万とか使ってた >>1
AKB48のプロデューサー秋元康の悪行です。これを読んで皆さんどう思いますか?
・98年夏 秋元がセガの社外取締役に就任
ドリームキャストの宣伝費130億円を任される
・しかしその金が秋元の懐にそのまま入ってくるわけではないので
換金装置としてチェキッ娘とセガ1社スポンサーの「DAIBAッテキ!!」
が98年10月に始まる
・「DAIBAッテキ!!」の時間枠をセガの宣伝費で買取り
そこに自分がプロデューサーとして乗り込み莫大な企画料や
プロデューサー料をふっかける
・通常ならそんな大金をテレビ局は支払うわけは無いが
この場合金を払うクライアントは秋元自身
発注者と受注者が同じなので言い値で払う
失敗しても損をするのはセガで秋元やテレビ局の懐は痛まない
・秋元は主婦しか見ない夕方4時台にセガ提供のアイドル番組という
ムチャクチャな物を作るだけ作るとあとは放置
CDが売れなくても「僕じゃなければもっと悪かった」と平然
セガに「DAIBAッテキ!!」の宣伝効果が薄いとクレームをつけられると
「チェキッ娘がブレイクすればドリキャスのイメージアップになる」と
逆にセガ提供・秋元演出の類似番組を土日にも増やしてしまう >>21
そんな気もする。泉下のひとになっていることも十分、考えられる。
中曽根康弘元首相のような長命のひともいるが、男の寿命は女のそれとくらべて短命なのは歴然で、八十までいけば万々歳だ。 首都高バトル
ファイプロ
ガンダムDX
PS2でも出来たけどドリキャスの方が楽しかった。 メールチャムとか今の時代なら食いつく人多いと思うわ、特に女はハマりそう うろ覚えだがチャブトーク で知り合った人とメールのやり取りしてたな
コントローラー使って文字入力してたからえらい時間掛かった記憶
尚その後ゾンビゲーでタッチタイプ覚えてぐるぐる温泉→PSO 初めてやったのはソニックアドベンチャーだった
時のオカリナはもうやっていたが、それでもあのグラとスピード感は
時オカ以上で当時は感動したよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています