【野球】王会長 巨人「吉村にケガがなかったら原の4番はなかった」
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プロ野球人の社会貢献活動を表彰する「ゴールデンスピリット賞」(報知新聞社制定)の第20回表彰式が4日に都内のホテルで行われ、ロッテ・井口資仁監督が受賞。
ソフトバンク・王貞治球団会長(78)と、巨人・吉村禎章打撃総合コーチ(55)に特別賞が贈られた。
王会長は巨人入団2年目の1960年から「札幌市立山の手養護学校」を毎年慰問。この活動を90年から引き継いでいるのが吉村コーチだ。
この2人の師弟関係は、巨人・王監督時代(84−88年)にスタートした。
「ヤングジャイアンツ」を旗印に王監督の下、背番号「55」の吉村、「50」の駒田、「54」の槙原の“50番トリオ”が誕生。
ところが吉村は88年7月6日、札幌・円山球場での中日戦で、右翼手として打球を追い中堅手と激突。左膝靭帯断裂の大ケガを負い野球生命の危機に陥った。
その後奇跡的な戦列復帰は果たしたものの、抜群の潜在能力は生かし切れなかった。
王監督はこの年のオフ、5年契約満了を理由に解任されている。
自分の後継者、不動の4番として期待していた吉村の予期せぬアクシデントとともに、王監督は巨人を去ったのだ。
「もし吉村にあんなアクシデントが起らなかったら、長い間巨人の不動の4番に君臨していたはず。原の4番もなかっただろう」。
巨人のユニホームを脱いだ後、王会長はこう述懐している。
だが、社会貢献活動では見事な師弟コンビぶり。王会長が「僕は山の手養護学校へ行けば行くほど、逆に勇気づけられた。
長い間現役生活を送る力になった。その後を吉村が継いでくれた」と感謝を口にすれば、吉村コーチも「私もケガをしましたが、毎年(養護学校の生徒と)触れあい、勇気をもらいました」。
ダブル国民栄誉賞の巨人・長嶋茂雄終身名誉監督と松井秀喜氏とはまた違った味のある、世界の王と吉村コーチの師弟コンビだ。(江尻良文
https://www.zakzak.co.jp/spo/news/181206/spo1812060004-n1.html?ownedref=not%20set_not%20set_newsTop
2018.12.6
https://www.youtube.com/watch?v=pVlFGyjAzXY
巨人延長10回に吉村サヨナラでV2達成(1990.9.8 G+)
https://www.youtube.com/watch?v=pcihhjfUJgU
【懐かしの巨人応援歌】旧・原辰徳 応援歌(1984)
https://www.youtube.com/watch?v=oJPTbc3qutc
【懐かしの巨人応援歌】原辰徳 応援歌(1985)【原辰徳サヨナラ本塁打】
https://www.youtube.com/watch?v=CxzURkBaguQ
原辰徳 382号(引退試合)
https://www.youtube.com/watch?v=6ByXDZ6i6uY
原辰徳・引退セレモニー
https://image.middle-edge.jp/medium/93121064-a587-4fa0-9aa1-bbd492ff0125.jpg
https://yoshilover.com/wp-content/uploads/2018/06/show_img-1.jpeg
http://npb.jp/bis/players/51253865.html
吉村 成績
http://npb.jp/bis/players/71073863.html
原 成績 ONは個々も凄いけど、二人合わさっての伝説になってて
それを原が一人で受け継ぐ形になったから、落胆が大きかった。
吉村が無事で原とコンビ組めれば、評価は違ったかもね。 >>77
×チャンスに弱い
○テレビ中継がはじまると弱い クロマティと吉村は頼りになったが
ちょっとデブりすぎてたから
あれがなくても怪我体質だったかも 吉村はPL時代に既に肝硬変だった位
酒いっぱい飲んでたらしいな 83年子供の日阪神戦逆転サヨナラ。9月ヤクルト戦MVPを決定付ける9回逆転3ラン。
85年阪神戦サヨナラ。86年みちのく津田から打った延長同点弾。
87年ケガから復帰代打満塁。88年中日戦札幌での延長サヨナラ。 そういや
原って
名球会どころか
タイトル取ったことあるのか この年の春先に甲子園の阪神大洋戦で掛布の外野フライを大洋の選手が激突してしかも取れず
ランニングホームランになったことあったよね
この時の大洋の選手も衝突の衝撃で動けなくってたけどそこまで大した怪我じゃなかったみたいだから
見逃されてたのかな >>41
原はナイター中継が始まる前の第一第か二打席で先制ホームラン
中継が始まって相手チームに逆転され、その後チャンスに打席が回ってくると凡退、ポップフライの印象 89年シリーズ満塁。90年大洋戦七夕満塁。
92年広島大野から9回逆転3ラン。ナゴヤで延長決勝弾。神宮で9回同点弾バット放り投げ。
95年引退試合 90年の日シリで四タテ喰らったとき
正力オーナーが清原と比較して嘆いてた
成績自体はともかく、球団関係者からさえ
「頼りない」というイメージを持たれてたのが原
王がこういうのも当然だろう 王さんのリップサービスならいいけど
呆けて時系列があやふやになってるなら心配だ。 >>7
そういう意味じゃなくて
原に変わって吉村四番に
長期でなってたはずって意味でしょ
実際あの当時みんなそう思ってたでしょ
アンチ巨人の俺ですらそう思ってた ONだって記録だけじゃなく9連覇があるから伝説になった
原は黄金期西武にからっきしだった
やっと勝てたのは松井・落合が来た後
それだけで巨人の4番としては大きなマイナスポイント >>609
ただの原オタじゃん。
「リアルタイム世代なら誰もが知ってる」
じゃないとアカンよ。
1989年日シリと1992年怒りのバット投げ、
これだけで十分立派だから、いいよ。 怪我前から原が4番だったじゃねーか!
まぁ、怪我しなきゃ吉村がいつか4番になっていた可能性はあっただろうな あの当時の日本人選手で1年間4番に座って成績残す選手って巨人の原、ロッテの落合くらいじゃない? バカはマスゴミにまんまと印象操作されて、原はチャンスに弱かったって言うけど
どいつもこいつも印象論ばかりで、それを証明するデータはただの一度も見たことない。 >>628
球界の宝を失ったようなものだったからな 読解力の無さ
吉村が4番になった後、原の4番はない
吉村が長期定着するから
これだろ 俺が養護学校の生徒だったら野球選手なんかが来てもちっとも嬉しくないけどな
あんたら、ただ野球が上手いだけですやん >>626
藤田時代。
キーオの死球のせいになってるけど
単なる確変選手だった。 原って津田の高めのストレートを打ち損ねて手首の骨折ったことあったよな
2流打者のイメージしかない >>591
で、お前は前田智と吉村の治療の両方をした医者なのか?
ガンにもピンキリがあるように、○○骨折だの○○損傷
だのにもピンキリがあったり、細かい部位で治りやすさ、治りにくさ
治療のしやすさがあるわけ だから実際に治療した医者しか
分からない所もあったり、当時の医療レベルだの治療した医者の
当時の体調が悪くて〜てこともあるわけ
運も含めての人生だろ 運も含めて吉村はそんだけの選手だったて
だけとも言えるかもだろ で、ここまでいちいち長文を便所の落書きで
する必要があるのか? >>631
原が実はチャンスに強かった、という馬鹿も
データで示したことは一度もない 吉村がいれば原ももっと打てたのにな
ONみたいになってた 他球団ファンは原に良くやられているからいい打者だと思い、
巨人ファンはよく凡退してるのを見てるからカス打者と思ってる やくみつるがダミアン栄村とかイジメそのものの漫画を書いてたのを思い出す。
今考えると酷いな >>639
多分調子によって交代してたと思う
ONもそうだったから 吉村は3番タイプだと思うけどな
あと足の怪我とは関係ない肩の弱さが弱点だったし
たまたま85年が絶好調だったような >>640
得点圏打率、殊勲打、他球団の4番との比較など様々なデータ見てきたけど。
印象論はもういいから、チャンスに弱かったってことをデータで示せ >>637 >>631
サンクス
阪神は田淵じゃなく掛布が長く4番勤めたって印象か >>638
なら前田は出来た前田は出来たと
いちいち前田連呼するなよ。 怪我がなきゃといわれてるが
もうデブってきたし案外全盛期短かった気もする
それでも丸山の悲劇起きるよりは長持ちしただろうが >>611
大洋阪神戦なら何故、フェンス激突して失神した阪神佐野が出てこない?
田淵がインプレー中を確認してたけど
池辺が無視してベンチに怒鳴ってた
後になってよっさんも怒り出した 4番バッターは大きく振って芯に当てないといけないが、これが長期間にわたって両方成立するバッターってあまりいないんだよね。
普通は出来ないし、出来ても調子のいい時しかできない人が多い。
原の場合は意外に調子は安定していたのだが、良いピッチャーが出てくるとさっぱり打てなくなる印象が強かった。
重圧に耐えながらかなり無理をしているのだろうと思って見ていたな。 仮に得点圏打率が3割だとする。
原の場合 → 10回中7回の凡退も全て放送
他球団の4番 → 打った3回しかニュースで放送されない
簡単なロジックだな。
秋山なんかチャンスにクソ弱かったのに、ぜんぜん叩かれなかったし 由伸にケガがなかったら
松井さんの4番はなかった?
天才には運がない >>640これ見れ
原がチャンスに打った事実。
>>603
>>609
>>615
あなたが印象操作にはまりやすい方だDとはよくわかった。 昔、プロ野球ニュースで大体この時期に
解説陣が選ぶその年のベストナインみたいな企画やってて
大体各ポジションで2、3人候補があがってみんなであーだこーだ言い合うんだけど
92年だったか誰かが「原君のこのバット投げ!痺れました」って言ったら
「これはもう決まりですね」ってみんな追従して一瞬で決まって
なんの権威もない番組内のベストナインとはいえなんじゃそらってなった記憶がある 50番トリオの吉村と駒田、名球会入りが
まさか駒田の方とは。槙原もダメ。 >>467
確か槇原だったと思うけど、
「とにかくゲーム後は毎日緊急ミーティングという名の戦犯罵倒会が催されて、嫌で嫌で仕方がなかった。当時FAがあったら、全員出て行ってた。」と語ってたから、
歴代の巨人監督で恐らく一番嫌われてたんだろう。 松井出てくる前の 吉村のライト前ヒットは見応えがあった。
原は本当はチャンスに強かったけど 落合や清原みたいにセンターから右方向打てないのと 打率が 良くても2割8分ぐらいだったし 当時のオッサン達は長嶋の幻影を見てたから 満足しなかった。 原って勝利打点が常にトップクラスだったし、通算でもかなり上位だったはず >>657
馬鹿だろお前
データで示すってのは、シーズンでも生涯でもいいけど
数字で示さないとダメだろ
個別の事例持ってきてどうすんだよ
それこそ印象論じゃねえか >>559
長島時代が若手で藤田時代20勝して王時代はエースだったはず >>467
中畑とか駒田とかになんであんな簡単な球打てないんだ~って言ってたらしいw みんな人間という事だわ。 ワンちゃんが決める事やないわ
こういうとこが中華やわ
ツネさんが若大将四番計画もってたやろ 栄村のせいで、吉村の生涯年収は何億も下がったよな
試合中のこととはいえ、文句の一つも言いたくなるよな普通 昔は巨人戦ばっかり放送してたから
チャンスで原がポップフライで凡退してるのが印象に強く残っているのよ
あとは止めたバットでセカンドゴロとかね
だが実際はある程度の成績を残しているのも事実なのさ
通算382本でデビューから12年連続20本以上のホームランは立派ですよ
ONの後の巨人の顔としてある程度は頑張ったと言えるでしょう この時代って駒田(50)槇原(54)吉村(55)村田(56)で若手カルテットって言われた時代か
正捕手が山倉と有田が争っていて、抑えは角→鹿取→サンチェのトリオか >>647
得点圏打率はチャンスに強いことを示す指標にはならん
チャンスに、という言葉が悪いんだな
大事な場面に強いかどうか、だ
アメリカだとaverage in closeだったかな、点差がない競ってる場面での数字のデータがあるんだが
日本にはない
だから、原がチャンスに、いや、大事な場面で強かったかどうかを示すデータは「ない」 >>668
時代が変わったんだよ。
昔は欠点を指摘し、指摘された人がありがたくそれを聞いて反省し改善していた。
今は下手に欠点を指摘なんぞすると反発し恨み将来にわたって根に持つw >>667
藤田1期目に荒木大輔のハズレ1位で入団。
同期が川相昌弘 >>639
怪我して太る前は走れたらしいしね。
秋山翔吾に近い素材だったかも。 吉村は怪我の後も読売が面倒を見て10年くらい現役だったな
全盛期が短くて手首腱鞘炎後は代打やプレイングマネージャーで意外と現役が長かった中西太と重なる >>667
時系列めちゃくちゃだなw
藤田→王→藤田→長嶋だ
斎藤が入団したのは最初の藤田時代
荒木大輔の外れ1位 >>11
まず20代半ばの若さでもう肩がいかれかけてた(>>50にもあるが一説によると交通事故を起こし、読売がもみ消したがその後遺症とも。真偽は定かではない)
そしてウエイトオーバーが年々酷くなってたな
>>86
あの怪我がなかったとしても、不摂生による体重増加と東京ドームのダメージによって別の形でひざを壊してたような気がする
あの年から讀賣はひざに負担のかかる東京ドームに移ってたから、じわじわと負担が来てたろうから 王さんの選手原に対する評価が低いのはわかった
これ言われたら原も屈辱だな
でも原はチャンスに弱いとみんなに言われてたから仕方ない 確かに、原はチャンスにサードファウルフライって印象が強いよねw
でも、当時はみんなが巨人戦を観すぎてたんだよ
巨人戦の感想が次の日の挨拶代わりになってたんだから
バッターは3割打てば御の字なのに、原は打てなかった7割の打席も
みんなにバッチリ見られてたんだから、ちょっと気の毒だったよね
バッターはみんなあんなもんで、別に原がチャンスに格別弱かったわけじゃない
あとは、前任者の王・長嶋がチャンスに強すぎたね 原は特別チャンスに弱かったわけではなく王があまりにも強すぎたのですぐ後だから印象悪かった >>673
そうか。
原がチャンスに弱かったというデータは無く、オマエは印象論で言ってるだけって認めたわけだなw >>678
違う違う藤田の前に長島が監督だったんだよ
一番最初は長島監督ビリとかになってた
藤田は長島の後の嫌な役回りだったんだけど原が入団して救われた
長島が最初に監督解任された時は読売新聞やめるやつがたくさんいた 王も落合もちょくちょく原の選手時代を馬鹿にしてるよな
明らかに大した選手じゃなかったって評価してる 吉村を4番にしたくらいで勝てるほど王は有能ではなかった。 槇原、駒田、吉村はいかにも次世代を担う期待の若手て感じだったな
原は86年が残念
地方開催でレフトスタンドに叩き込んだ時はHR王獲れるんじゃないかと思ったが >>688
それは当時のファンの大多数が同意するところ >>674
まぁ 王レベルなら簡単に見えるんだろうけどね。
1軍レギュラークラスでも 超一流選手とかと 感覚の差があるんだとは思うわ。 >>123
既に20代半ばで肩はいかれ、走力も落ちてる状態+東京ドームだったからどうだったろうな
掛布のように30過ぎて急速に衰えていった可能性も十分あり得る(そして長嶋茂雄体制のFA乱獲で史実のように代打に回る)
パに行ってDHできてたら門田のように長持ちしたかも >>680
やっぱりデータで見ると原がチャンスに弱かったってイメージなんだなぁ
打ち損じた後の情けない顔芸が印象に残るからなのか
ポップフライを打ち上げてはそんな顔してたイメージ
個人記録では王長島に及ばないが間違いなく球界を代表する4番だった >>567
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| 彡⌒ミ
\ (´・ω・`)また髪の話してる
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(γ /:::::::
し \:::
\ 松井ですら二度も巨人の4番失格の烙印押されたからな。
今年4番に座って一度も明け渡さなかった岡本のメンタル異常だわw
このへんの世代だと、巨人の4番に対する特別な意識はないのだろうな。 >>685
クロマティ、篠塚、吉村、中畑、駒田とチャンスに強いバッターだらけだったしな >>559だな。オーバースローでノーコン。ノミの心臓と言われていた。あれが大成したのだからあの時代の巨人は育成力あったんだろうな。 >>687
お前が違うよ馬鹿
長嶋の頃斉藤は中学生か高校生だってのw >>688
ウソつくな
落合は原の晩年チームメイトだったけど、ちゃんと評価してた >>684
張本なんかは、チャンスでヒットを打っていた印象しか残ってないんだがw >>697
成績落ちたときに由伸が代えなかっただけ
監督して唯一の仕事といってもいいくらい
あそこで岡本自身が復調できたのは大きいけど普通ならさすがに外されてた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています