「日本という社会を私は大好きだった」

 ――66歳になった今もあなたを駆り立てるものは何でしょうか? 

 「私は勝つことが大好きだし選手を育てることもそうだ。金銭面だけならより条件のいいオファーはたくさんあった。情熱を掻き立てられるからこそ前へ進もうという気持ちになる。

 いつか……練習の準備をしたくないと思うときが来たら、それが仕事を辞める潮時だろう」

 ――ここ10年は主に代表監督として仕事をして、日々ピッチに立つクラブで働くのは久しぶりではありませんか? 

 「だが日本でも毎日働いていた。週に20試合は見ていたからね。週末にはJリーグがあったし、深夜には各代表選手が所属するヨーロッパの試合をテレビで見ていた」

 ――日本での3年間は思い出深いですか? 

 「日本という社会を私は大好きだった。すべてが秩序だっており、社会の隅々まで配慮がゆきとどいたその姿は、ほとんど理想的と言えるものだった。

 記憶にあるのは素晴らしい思い出ばかりだ。

 それがあんな酷い形で終わったのは、ビジネスが(サッカーの中に)割り込んできたからだった。

 とても嫌な思いもしたし、私は(田嶋幸三)会長を決して許せない。私が勝ち取るべきものを彼が奪ったからだ。そんなことはコートジボワールに続いて2度目の出来事だった。

 だからこの夏は、(この先の監督の仕事を)辞めることばかりを考えていた。オファーもすべて断っていたほどだ。とてもじゃないがその気になれなかったのでね。自分を偽りたくもなかったし」

一部抜粋 ナンバー
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181204-00832719-number-socc&;p=4