【サッカー】元伊代表FW、がん闘病を告白「この試合がどんな結末を迎えるのかまだ分からない」
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元イタリア代表FWのジャンルカ・ヴィアリ氏が、26日付のイタリア紙『コリエレ・デラ・セーラ』のインタビューの中で、がんとの闘病を告白した。
現役時代、ユヴェントスやサンプドリア、チェルシーなどで活躍したヴィアリ氏は現在54歳を迎えたが、がんのため長い闘病生活を続けていたことを明かした。
「このことを家族や他の人に伝えなければならないのはつらく難しいことであると知っていた。
まるで自分に降りかかってきたことが自分のせいであるかのように、恥ずかしく感じてしまう。
街を歩くときは、人に何も気付かれず、まだ皆が知る“ヴィアリ”であるかのように見せようとシャツの下にセーターを着ていた。
だがその後、自分の体験を語り、本にすることを決めた」
■「私の体験を人のために」
数カ月にわたって化学療法や放射線療法による治療を受け、現在は体調が改善している。
「1年が経ってまた強靭なフィジカルが戻ってきた。だがこの試合がどのような結末を迎えるのかまだ確証はない。
私の体験が人生の岐路に立つ人々にとって役に立つことを願っている。
重要なのは勝つことではなく、勝者の考え方をすることだ。私の体験が人の役に立ち、事が起きた時に正しい形で向き合うことができるよう願っている。
誰かが私の体験を知り、『あきらめなかったのは君のおかげだよ』と言ってくれるようになればと思う」
またヴィアリ氏はサッカーについても言及。自身が下部組織から育ち、プロデビューを飾ったクレモネーゼ(セリエB)に愛着を示す一方、ユヴェントスに対しても敬意を表す。
「私の心の内にあるのはクレモネーゼだが、子供の頃はインテルを応援していた。
ユヴェントスでプレーすることは誇りだった。それにユニフォームの重みを感じる。
返すときはきれいにたたんで、受け取ったときよりもやや高い場所に置かないとね。
(マルチェロ)リッピ? 彼は私の救世主だよ。
初めて面談したときにユーヴェ退団を希望していることを伝えると、『ちょうど私がやって来て、君の力が必要だというのに?』と言われたんだ」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181127-00000022-goal-socc
11/27(火) 16:37配信
https://juventus-journal.com/wp-content/uploads/2017/09/1080-e1506508357576-600x370.jpg
http://livedoor.blogimg.jp/jenio10/imgs/d/e/de26f947.JPG 海外のニュースってどこの部位かあまり明かさないよね
ステージもわからんし いつかのサッカーダイジェストかなんかのこいつ専用の付録DVDが家にあるんだけど
ボレーの達人としてはサッカーの歴史上ナンバーワンだろうな ヴィエッリじゃなかったか?
45分間フルに走り回ってたスゴイ選手だった >>13
誰と間違えてんだ?ピーク時からツルッツルに剃り上げてたべ! 白髪のフォワードが頭に浮かんだが
画像開いたらハゲだった(´・ω・`) マスカトーレ青嶋「ヴォオオオヴォオオヴォオオヴォオオオオオオヴォオオオオヴォオオオヴォヴォヴォヴォ」 昔のユベントスはチーム全体でドーピングしてた疑惑があった気がする >>12
>ヴィアリとヴィエリとヴィエラ
ウディネーゼとかにいた左ウイングバックのピエリも忘れないであげて... ゾラとかディマテオとか昔のチェルシーはイタリア色強かったな バッジョが移籍したあと
パウロソーザとかデシャンとか
とにかく強かった >>3
おい、現役の時からこれや
知っとるやろお前w ヴィアリ、ラヴァネリ、アレックスの3TOPナツカシス >>22
サンプドリアの頃はフサフサだったんだよ
サンプだけに散布したのか >>22
サンプドリアでマンチーニとコンビ組んでスクデット取った時はナチュラルアフロみたいなモサモサヘアーだったはず >>11
たぶん、ビアリとビエリを一緒にしたいうネタだと思う >>42
アレックスはどっちかってと
インザギとのスーパー不仲2topだな >>50
おそらくだけど>>11はドーピングとか筋肉増強剤の話をしたいんだと思うよ 初めて見たワールドカップが90年のイタリアで
初戦でのスキラッチへのアシストがこの人だった ビアリ物語
イタリア中の期待を集めたイタリアW杯、大会前の話題はビアリのパートナーが誰になるかということだけだった、攻撃はビアリだけが頼りだった。
そして迎えた開幕戦、ビアリのパートナーはカルネバーレだった
しかし準決勝まで勝ち抜いたイタリアのツートップは、最終的にバッジョとスキラッチになっていたのであった。 ヤバくなったら富樫さんに蹴り飛ばして帰してもらおう 90年WCではイケメンだったのに気付いたらハゲになってたのは衝撃だった ヴィアリが監督をやってた頃のチェルシーは面白かったわ
オッサンの多国籍軍団でユナイテッドやバルサに勝ったと思えば、サンダーランドあたりにコロリと負けたり ジャンルカ・トト・富樫はヴィアリとスキラッチから名前取ったんだよな 元からハゲだから抗癌剤やっても周りは分かんなかったろうな >>62
中井美穂がイタリア語混じりの原稿をスゲースラスラ読んでいたよな。 >>30
セリエ自体がそういう時代だったそうな
栄養ドリンク渡されて飲んでからジャンプしたら天井に頭がつきそうなほど高く跳べたとか ラバネッリとヴィアリとクロシッチとかいうのいたなユーベ >>24
CL取った時、天国の冨樫さん見てますかってツイートがマジで泣けた サンプドリアの時はアフロだったのに
知らん間にスキンヘッドになってた >>34
法廷で、マンマのパスタをたくさん食べたから体が大きくなった
と言ってたぞ
ドーピングじゃなくて ビアリが書いた「理想のために戦うイングランド、現実のために戦うイタリア」って本
糞面白かった
その国のサッカーのスタイルが、文化や国民性や気候に影響される、というような話に興味ある人にはおすすめ ヴィエリ、イタリア人的プレーヤーじゃなくって好きだったなー。1人ポストして自力でゴール決めれる稀有な選手。
ザンブロッタも好きだった。元気かなー。 バイシクルシュートを6回以上も決めてたな
リバウドで4回 ピニージャも6回
10回超えはウーゴサンチェスだけだったような >>84
監督やったり解任されたり
2013年から2015年までレバノン代表監督やってたと今知ってびっくりした
中田がローマにいた頃はローマのフロントにいたよ こういう記事って、往々にして数試合イタリア代表に呼ばれただけの、誰? って選手だったりするんだけど
まさかビアリだとは 32番のビエリじゃねーのかよ
でもすごくいいこと言ってる ヴィアリはユーベのエースでW杯で駄目駄目なほう
ヴィエリはアトレティコラツィオインテルでエースになってW杯でもまあまあ活躍したほう >>48>>49
あー、サンプの時か!すっかり抜けてたスマンこ。 >>3
若いときも丸刈りだったのであんまり違和感ない 未だに新鮮な放射能があの地から生産されてるからな(´・ω・`) >>61
ジャンルカってヴィアリからとってたなそういえば… 90年イタリアW杯では絶対的エースだった…開幕までは
始まるや否や得点力不足の戦犯に挙げられて、ユベントスのストライカーだったスキラッチにポジションを譲ってしまった 元々ハゲてる人が抗がん剤使ったらどこの毛が抜けるの? ヴィアリ、マンチーニ、トニーニョセレーゾ、ロンバルド
三菱ダイヤモンドサッカーが復活した頃だ
それまでブンデスやプレミアだけだったのがセリエAも扱ってくれて、パスぽんぽん繋がるし得点シーンは芸術的で、すんげーなんじゃこりゃ、って感じだった ヴィエリじゃねーのかよ
インテルって書いてたから騙された この頃のセリエはホント毎週わくわくしてサッカー観てたわ 元々個々では上手い選手を生かすも殺すも監督の戦術次第と言う事を痛切に感じさせた気がする >>77
95年の時はまだ生きてるだろ…と思ったけどインテル優勝の時か…
長友がキャプテンマーク巻いた時、天国のとがしさんって2ちゃんのコメント見て同じようになったわ >>111
ミハイロビッチ、ユーゴビッチもいだぞ、あの頃のサンプ >>42
リッピのユーべでの一年目優勝したときがそうだった
個人的にそのイメージが強い >>42
その頃のインテルの2トップがガンツとブランカ
100年やっても勝てねーよww がん闘病を公表した有名人って程なくして死亡しているよな どの年齢でも癌あるにしろ55歳手前で癌も身近に何人か耳にするようになるね
やっぱ40代も若くないけど50歳になると癌の身近さが前進するね
癌にも笑顔戻ったパターンと数年で結局亡くなっちゃうパターンも
明らかに死ぬだろ思った癌が笑顔も出る生活になってくれた人もいるもんな
翌年死ぬかもって意識はもつようになるらしいよ >>122
日本の芸能人に関してならまた仕事復帰してる癌経験者もいるじゃん
知らないの? この人とかラヴァネッリとかDバッジョとかアスプリージャとか
セリエAダイジェスト世代
あとカランブー >>2
ユヴェントスは95-96にCL優勝したが、
前線3人のうちヴィアッリ(Vialli)とラヴァネッリ(Ravanelli)の2人がそろってイングランドへ
残ったデル・ピエロと新加入ヴィエリ(Vieli)とボクシッチが3トップを結成
その後方からこれも新加入ジダンが試合を作る格好に
(ただしヴィエリ・ボクシッチとも故障欠場も多く、前年から控えていたパドヴァーノや
これも新加入アモルーゾも出場機会があった)
97-98はヴィエリ(スペインのアトレチコへ)もボクシッチ(古巣ラツィオへ)も1年で去り、
代わって前年得点王インザーギが加入
デル・ピッポといわれたコンビで39点(デル・ピエロ21、インザーギ18)に司令塔ジダンも7点
FWにはナポリ時代リッピ監督と一緒だったフォンセカがスーパーサブに入っていた イタリアW杯では始まるまでは最注目選手の一人だった >>31
ロンバルド(はげ頭でスタミナ抜群のサイドハーフ)
ヴィエルコウッド(皇帝の異名を持ち、41歳までプレー。セリエA最強のエースキラーとして鳴らした)
ユーゴヴィッチ(旧ユーゴ代表の心臓)
3人そろって95-96にサンプドーリアからユヴェントスへ移籍した
>>121
ガンツとブランカも地味ながら得点力はあったな
ガンツは95-96から2季で26点(32試合13点、30試合11点)
ブランカは95-96途中加入から2季で22点(24試合17点、21試合5点)
95-96シーズン中にボスマン判決が出て、多国籍軍形成の直前
10番はベニト・カルボーネがつけてた
95-96は即行でビアンキ監督解任、シーズン半ばであきらめてスアレスが中継ぎ
スイス代表からホジソンを引き抜き
96-97はホジソン体制でUEFA杯準優勝も伏兵シャルケにPK負け
優勝争いにも絡めずホジソンは終盤で解任
まともにチームが機能してたらガンツとブランカで30点は軽く越えてただろうが・・・ リッピがヴィアリに課したハードトレーニングのお陰で輝きを取り戻したってことになってたけどドーピングしてたからハードトレーニングをこなせて復活したって疑ってた人も多かった >>65
最初はジャンルカ冨樫だったのが、90年W杯でスキラッチの大ファンになってミドルネームにすることにしたんだよな
「これからジャンルカ・トト・冨樫と名乗ることにします」ってわざわざ紙面で報告してて
お前のペンネームなぞどうでもいいわ、って思った記憶がある >>121
ミランがシモーネとサヴィチェヴィッチ
ラツィオがシニョーリとボクシッチかカジラギ
パルマがゾーラとアスプリージャ
破壊力はラツィオだったけどDFがクソ過ぎたねあの頃 >>139
ローマがバルボとフォンセカ
フィオレンティーナがバティストゥータとバイアーノ ヴィアリ、ラバネッリ、デルピエロの3トップは凄かったよね >>140
サンプドーリアがマンチーニとグーリット
ジェノアがスクラビーと三浦、、、
まぁ華やかな時代だったよね >>139
ラツィオはDFがクソ過ぎたというより監督がゼマン(任94-95〜96-97途中)だったのが悪いw
GKに94W杯代表マルケジャーニ
DFにネスタ(93-94〜01-02、96秋代表デビュー)、チャモ(現役アルゼンチン代表94-95〜97-98)
ネグロ(93-94〜04-05、94年秋に代表デビュー)、ファヴァッリ(92-93〜03-04、94秋代表デビュー)
この4人とベテランCBのベルゴーディ、クラヴェロ
RSB ネグロ、ネスタ
CB チャモ、ベルゴーディ、クラヴェロ、ネスタ
LSB ファヴァッリ、チャモ >>146
ネスタは94年ごろはまだデビューしたてでスタメンに
定着してなかったし、ネグロとファヴァッリは結局引退するまで代表8試合とかしか出てない選手で、そもそもこの2人がしっかり評価される様になったのは98/99〜99/00あたりになってから
それ以前は他の上位チームにいる代表クラスの選手と同等の評価なんてされてなくて国内クラスのそこそこ良い選手程度だったよ
サッキ曰く、「ラツィオの平均失点数はキーパーがマルケジャーニじゃなかったらニ点は増えていたであろう。だからワールドカップに呼んだ」だそうだよ
チャモは当時ただ1人世界クラスのディフェンダーだったけど、仰る通りゼーマンサッカーのおかげで一度上がったらそれっきり行方不明になってたね 94-95は
ユヴェントス ヴィアッリ、ラヴァネッリ、デル・ピエロ(R・バッジョ)
ラツィオ ランバウディ、カシラギ(ボクシッチ)、シニョーリ
パルマ アスプリージャ(ブランカ)、ゾラ ブロリンはシーズン中の欧州選手権予選で故障し離脱
ミラン シモーネ、サヴィチェヴィッチ マッサーロが控え さらにメッリとディ・カーニオが居たが戦力にならず
ローマ バルボ、フォンセカの南米コンビ、控えがまだ10代駆け出しのころのトッティ
インテル ベルカンプ、ルベン・ソサだったが相性最悪 このためデル・ヴェッキオの出番も増えた
ナポリ M・アゴスティーニの1トップで2列目中央にB・カルボーネ、左右にリンコンとブーゾ
サンプドーリア マンチーニ、グーリット ベルッチ、ベルタレッリが控え
カリアリ オリヴェイラ、バルデス 途中からムッツィが加入し
フィオレンティーナ バティストゥータ、バイアーノ(フラーキ)
トリノ リッツイテッリ、シレンツィ リッツイテッリ1トップのときも
バーリ トヴァリエーリ、プロッティ(ゲレーロ)
クレモネーゼ テントーニ、キエーザ 引き気味にキエーザとフロリアンチッチを並べる布陣も
パドヴァ マニエロ、ガルデリージ
ジェノア スクーラヴィー、三浦(ファントシップ) 手薄なのに開幕時に居たナッピやチョッチは放出
フォッジャ ブレッシャーニ、カッペッリーニ、コリヴァノフ
レッジャーナ パドヴァーノ、スィムテンコフ(ルイ・アグアス) 故障続きで12試合のみだが4点のフットレも
ブレシア カデーテ、ナッピ(ボルゴノーヴォ) 1トップでループがトップ下のときも >>30
ヨーロッパの主要リーグ全部怪しかった感じ
凄く試合い多いのに運動量のおかしいチームがたくさんあったw
今でもバレないような(検査に引っかからない)何かをしてると思う ヴィアリと言われてもどうしてもヴィエリを連想してしまう >>150
運動量は今の方がはるかに多い
クラブTV見てると90年代の試合とかよく放送されるけど今見ると笑っちゃうくらい動き少ないぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています