その言葉を安易に使うことの虚しさも、 危うさも、十分にわかっているつもりではある。 いや、わかりすぎていたがゆえに、 最近では、使おうという思い自体が浮かばなくなってきていた。
それでも、彼のプレーを初めて見たとき真っ先に浮かんできたのはあの言葉だった。

中田英寿に対しても、
小野伸二に対しても、
中村俊輔に対しても浮かんでこなかったあの言葉だった。

ジニアス−−天才。

アジアナンバーワンを賭けた北朝鮮との死闘。 絶体絶命の状況で、彼はスウェーデン・ワールドカップ決勝のペレに、85年トヨタカップ決勝のプラティニになった。

飛びこんでくるディフェンダーたちを嘲るようにヒラリと交わし、余裕をもってゴールネットを揺らす。 それはまさに、目撃者たちの記憶に永遠に刻まれるであろう、伝説の一撃だった。

アジア王者として臨んだ世界大会でも、彼はさらなる伝説を生み出した。 対フランス戦。 国際サッカー連盟主催の大会では「史上最長」とも言われる超ロングシュートである。
その映像は、昨年12月、南アフリカで行われたワールドカップ予選抽選会の会場でも繰り返し流され、世界中から集まったメディアやファンをどよめかせていた。

無論、未来はわからない。

それでもようやくハイティーンになったばかりの彼に、わたしは年甲斐もなく夢をみてしまう。

世界で「プレーする」日本人選手ではなく、
世界のスーパースターとなる日本人選手が誕生したのではないか、と。
メッシにも、ボジャンにも負けない至高の才能が現れたのではないか、と。

柿谷曜一朗。


いま、わたしを最も興奮させる男の名前である。