【野球/訃報】元ロッテの金田投手が死去 434試合に登板
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プロ野球・ロッテが11日、球団OBの金田留広(かねだ・とめひろ)氏が今月2日に死去したと発表した。71歳だった。同氏はロッテの元監督である金田正一氏の実弟。死因は非公表としている。
葬儀告別式は故人ならびに遺族の意志により、家族葬として近親者により10日に執り行われたとしている。
留広氏は日本海運から68年のドラフト4位で東映に入団。74年からロッテ、79年からは広島へ活躍の場を移した。434試合に登板し、128勝109敗2セーブ、防御率3・25。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181011-00000077-dal-base オールスターでカネやんが代打で出てきて兄弟対決したんだっけ? 金やんの弟のほうか
それ程報道ピックアップはされて居ないけどプロ野球で活動してたんだな 、菊 広島の年配の人なら留広さんの活躍は覚えとるけど性格は兄貴とは全然違って真面目で穏やかで全く目立たなかった
甥っ子の方はドラフト外で押し付けられて球団も困ってなけど古葉さんはやっぱり育てるの上手いわ
鉄拳もすごかったらしいな
金石が懐かしそうに話してたw >>7
弟はあんまり活躍してないからな
知らなくても仕方ない >>7
カネヤンの引退の理由の一つに「末の弟(留広)が就職(プロ入り)出来たから」っていうのがあった。カネヤンが親兄弟の面倒を一人でみてたからな。 金田、新美、渡辺秀武とパリーグで一時代を築いた選手が最後は広島で敗戦処理をしてた。 >>56
成重とか水谷とか?
打だとアルトマン、得津とかかな? 昔の120勝は今の60勝程度の価値もないし
日米野球の実力を加味すれば
10勝の価値もない 定岡の弟もカープにいたな
金石と仲が良かったようなw >>24
会社も在チョン創設じゃん。
ここの黒ずくめ応援団も、在チョンとパヨク乗りの
SEALDsみたいな連中ばっかだぞ。 結構知らない人がいるからビックリしたけど、当時のパリーグ見てなきゃ知らないか。
兄貴がえげつないぐらい凄いピッチャーだったから見落としがちだけど、この人も十分凄いピッチャーだった。
この兄弟と甥の金石で一体何勝してんだろうな。600勝ぐらいしてそうな気がする。 >>91
なんで警備会社って元プロ野球選手のジジイばかり出してるんだろう?w 兄弟売りしてなかったから名前しか知らなかったけど、
東尾と同じ68年組だから思ったより古くないな 留は、そんなに勝ってたのか。全然勝てないイメージだったな 阪神からオリックスへ人的補償で行った金田は元気だな この時代の128勝は今で言うと半分程度の価値しかない >>38
それでロッテ行ったのか
張本、大下、大杉と違って水原時代知らないのに三原に追い出されたの何でだらうと思ってたが 長嶋、野村、張本、、、
昭和のスターがいなくなるのは寂しい
謹んでご冥福をお祈りします なかなかの成績だが兄貴がスゴすぎて並みにしか見えない >>115
金田の現役時代を知らないからな
金田は伝説として映像しるけど
弟まではしらん 三途の川の渡し船 特別優待乗船にご招待中の人の名簿
中曽根康弘 1918年5月27日 (99歳)
瀬戸内寂聴 1922年5月15日 (95歳)
内海桂子 1922年9月12日 (95歳)
村山富市 1924年3月3日 (94歳)
赤木春恵 1924年3月14日 (94歳)
橋田壽賀子 1925年5月10日 (92歳)
菅井きん 1926年2月28日 (92歳)
渡邉恒雄 1926年5月30日 (91歳)
織本順吉 1927年2月9日(91歳)
不破哲三 1930年1月26日 (88歳)
高島忠夫 1930年7月27日(87歳)
海部俊樹 1931年1月2日 (87歳)
石原慎太郎 1932年9月30日(85歳)
田中邦衛 1932年11月23日(85歳)
吉田義男 1933年7月26日 (84歳)
宍戸錠 1933年12月6日 (84歳)
野村克也 1935年6月29日 (82歳)
長嶋茂雄 1936年2月20日 (82歳)
桂歌丸 1936年8月14日 (81歳)
田邊昭知 1938年11月15日(79歳)
津川雅彦 1940年1月2日(78歳)
渡哲也 1941年12月28日(76歳)
田村正和 1943年8月1日(74歳)
猪瀬直樹 1946年11月20日(71歳)
鳩山由紀夫 1947年2月11日 (71歳)
鳥塚しげき 1947年3月23日(71歳)
塩見三省 1948年1月12日(70歳)
岸部四郎 1949年6月7日(68歳)
平田満 1953年11月2日 (64歳)
安倍晋三 1954年9月21日 (63歳)
松本智津夫 1955年3月2日 (63歳)
桑田佳祐 1956年2月26日(62歳)
林真須美 1961年7月22日 (56歳)
松井一郎 1964年1月31日(54歳)
近藤真彦 1964年7月19日(53歳) 128勝って
超一流ではないけど三流でもない
単純計算になっちゃうが
12勝を10年続けるって
今なら押しも押されぬエース投手だしな あの頃の広島は他所で持て余してたベテランの最後の働き場所みたいな感じだったな
江夏も野村に押し付けられて困ってたな
戦力的には大活躍したし大野や北別府も育ててくれたけど衣笠と慶彦が江夏とつるみ出していろいろ困ってたな
広島にとっては山本浩二が絶対にトップスターじゃないといけなかった
衣笠がカープの監督になれなかったのもそこだな あの金やんも今は160キロしか投げれなくなったし老いには勝てませんな 金やんだったら登板試合数からしてもっと行ってる筈だし
弟?と思ってみたらやはり弟だった
ご冥福を。。。 この前、iPhone愛用してるとかってニュースなかった? 1974年開幕戦
開幕オーダー
1 中 弘田澄男
2 一 ラフィーバー
3 三 有藤通世
4 左 アルトマン
5 二 山崎裕之
6 右 池辺巌
7 捕 村上公康
8 遊 飯塚佳寛
9 投 成田文男 シリーズも先発2回投げたし日本一にもなったしいい人生だったろう この前賢一さんが父親の元気っぷりアピールしたばかりだしな 知ってたけど金田の弟だったのかよ
それはガチで知らんかったわ 当時は、パリーグで真面目に野球していたのは、阪急くらいだろ >>80
調べてみたけど金やんバケモンだな
あの時代に160キロ超えるストレートなんか投げられたら打てんだろう
https://bbcrix.com/articles/8985/original
>金田正一のストレートは180km/hって本当!?
>
>金田正一の投球でよく話題になるのが、恐ろしいまでの球速である。
>ある人は歴史上一番速い球と言い、ある人は180km/h出てたというストレート。
>
>では、実際の球速はというと、159km/hだったそうだ。しかし当時は現在のようにスピードガンが発達しているわけもなく、
>常時計測はしていなかった。更には計測したこの時も弾丸を測る機械で計測した結果で、
>おそらく数十球投げて測ったものと言われている。現在のようなスピードガンで常時計測していれば、
>金田のストレートは、160km/hを超えていた可能性が非常に高いと言われている。 >>91
あの孫のチームは凄い
「勝ったよ!」「よっしゃ!」のやりとりを20年近く毎週続けているので、900連勝は軽く超えていることになる こういうスレタイ、昔の2ちゃんなら笑えるけど
いまはデマの元 >>96
正一406安打38本+留広107安打13本
智秋785安打88本+正二39安打0本+徹久3安打0本+卓摩5安打0本
定岡一族はほぼ智秋ひとりで稼いでる
>>38 >>129
金田留広も交換相手の野村収も移籍先で通算33勝。
稀に見る等価交換トレードだった 当時のロッテは
木樽が大エースで成田、金田留、八木沢、村田が
超投手王国なんだよな
投手だけで言えば阪急よりも上じゃないの?
阪急は米田と足立と山田ぐらいしか >>128
長島より10歳も若いわけだが。
あと年間試合数が130試合と今よりも少ないのだから、
限られた勝利投手というパイの奪い合いは現代よりも過酷になると考えるのが普通だ。 留のこと知らんと一瞬ギョッとするだろうな、別に嫌われてるわけでもないから喜ぶ人はあんまいないだろうけど あせったー
週刊ポストの記者との寸劇インタビュー大好きなんだから死んじゃいや
金田の自慢をちょくちょく小馬鹿にする記者の合いの手が好き つか弟いたのかよ!
しかもフツーに大投手やないか! 星野と同年代で星野と同じくらいの勝利数。まあ星野は大卒だけど 勝利数歴代100位で115勝だからな
それより上なら一流で異論ないだろうよ 兄のおかげで
弟の成績が大したことない、全く期待はずれの成績と思われてしまってる可哀想な人 昔ラジオでゲスト出演しててめっちゃ自慢話してた覚えがある。今のレベルが低い
プロ野球だったら何百勝してたとか、いつもわざと打たせてやってたとか。
今考えると典型的朝鮮人だったなあと。 >>137
今それやれば大体
1 800万
2 1600万
3 3500万
4 6500万
5 1億
6 1億6千万
7 3億5千万の3年←FA行使
8 3億5
9 3億5
10 5億3年←FA引き留め
くらいの勢いかね 兄弟でここまで活躍したのってあまりいないな
松沼兄弟くらい? 森に続いて金田も逝ったか
長嶋も危なそうだしV9の選手に次々と死んでいくな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています