>>1
 > 小川榮太郎氏は『政治は“生きづらさ”という主観を救えない』という題で
 > 「性的嗜好についてあからさまに語るのは、端的に言って人迷惑である」
 > 「LGBTも私の様な保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念だからである
 >  それなら、痴漢症候群の触る権利を社会は保障すべきではないのか」
 > 「LGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ、
 >  精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく」


.
小川氏は『痴漢症候群の触る権利を社会は保障しろ』とは“主張していない”。

LGBTが「性的嗜好の一つ」である事の“比喩”として冷笑的に用いてるだけである。
(今回の比喩の選定が最適であったかという事などの表現の方法については別問題)


.
左派勢力(リベラル痔眠も)は「性的指向」という“都合の良い”言葉を使ってるが、

結局、小川氏が言う様に、LGBTで用いられる「性的指向」は「性的嗜好」と同義。


『性的指向』 = 性愛の対象とする = 性的に発情する = 『性的嗜好』

 ・・・という具合に帰結する。


.
LGBTはフェティシズムなどの他の特定の「性的嗜好」と同じ個人的偏好の類である。

小川氏が他人の個人的な性癖を公然化する動きに不快感を表明するのも無理はない。


“生殖”を前提にした「夫婦の関係」と“嗜好”を前提とした「同性カップルの関係」を、

行政が“同等”に扱おうとする動きがある事に婉曲に疑問を提した杉田氏と同様である。


.
「再生産」を前提とした“男女”のみによる『婚姻制度』が普遍化されてきたのは、

「夫婦の子育て」に一定の“持続性”と“責任”を課し、更に、一定の“優遇”を与える事で、

人類が持続発展してきたからで、本来、LGBTの「人権や差別」とは別次元の問題である。


.
つまり、近年盛んになったLGBT支援運動で用いられる「性的指向」という概念は、

国連のマルキストやフェミニスト、グローバリストらが意図的に開発した、

既存の「家族観」を“破壊”するための“都合の良い”「プロパガンダ用語」に過ぎない。


.
結局、新潮社は左派から圧力をかけられたり、流通をストップされたりして、

それらの「言論の自由」に反する許されない動きに安易に屈服したのである。

.