ジョコビッチも言っていた。「審判はセリーナを追い詰めるべきではなかった」。抑圧に抑圧を重ねた結果、どうなるかは歴史が語る通り。それに皆が慣れてしまえばいいけれど、その先にはディストピアが待っている。

そういえばセリーナが今回の違反を「女子差別だ」と憤慨していたのを、「ニューヨーク・タイムズ」がわざわざデータを挙げてまで反論していた。ラファエル・ナダルなんてタイムリミットのバイオレーションをものすごい回数繰り返してきて、逆切れなんていつものこと。

マッケンローだってコナーズだってもっとひどい暴言を吐いている。それに対してデータ挙げて攻撃してくれている同紙の論評は・・・・・・と検索したら出てこなかった。少なくともトップ検索上位20位には。

これに対して「The Cut」がブリトニー・C・クーパーの『Eloquent Rage』を引き合いに出して、今回の試合を分析していた。タイトルは「What rage costs a woman(女性が怒りに払うコストとは)」。

「女性は、とくに非白人の女性はどんなに見くびられようが、不当な扱いを受けようが、決して怒ってはいけない。一旦怒ってしまえば即座に断罪される。そしてうまく収束させることを期待される。再び皆が(これまで同様の状態に)心地よくいられるように」。

あのセリーナを見て、ロジャー・フェデラーが文句付けたときはどうだったか、ラファ・ナダルがケチつけたときはどうだったかと顧みた人はどれほどいるだろう。試しにストックフォト最大手、ゲッティイメージズで「カルロス・ラモス+ロジャー・フェデラー」でニュース画像を検索してみた。結果は10枚。「カルロス・ラモス+ロジャー・フェデラー」で検索するとたった6枚。それに対して、「カルロス・ラモス+セレーナ・ウィリアムズ」は130枚も出てくる。

昨年ナダルが同じラモス審判に対して文句をつけたことを引き合いに出し、「ワシントンポスト」で長年スポーツジャーナリストとして活躍してきた、サリー・ジェンキンスは指摘する。「彼(ラモス)は耐えられなかったのよ。女性にあんな風に言わせたままにはできなかった……女性に指を指されて、あれほど攻撃的に話されることにね。男性にはもっとひどいことを言われても耐えてきたのに」。

なぜ? 疑問を呈したことは間違っていない。