山本KIDなんて大したことない。
レスリングを含む格闘技歴はせいぜい36年かそこらで、高校の成績はアリゾナ州レスリングチャンピオンがいいとこ。
山梨学院大学では母親を亡くしてから大学選手権に優勝するまで告別式から3日もかかり、その後現役学生として臨んだ全日本レスリング選手権では準優勝。
総合格闘技に転向していきなりアマチュア修斗全日本大会優勝したけど、プロデビューしても相手選手を半引退に追い込むくらいの狂気しか持ち合わせず、出れば勝てたかも知れないといわれた修斗世界タイトルマッチも負傷欠場。
そもそも適正体重は60kg未満だったにもかかわらず、修斗では65kg級で敵から逃げられ、K-1、HERO’Sでは70kg級に参戦するとか完全に頭おかしい。
しかもキックボクシングで着実に実績を残したものの、体重差10kgと言われた魔娑斗戦では接戦にしか持ち込めず。
やっと地上波で総合格闘技で戦うと思ったら、HERO’Sで当時ロートルだったリビングレジェンドことホイラー・グレイシー、元修斗70kg級王者の宇野薫、現学生レスリング日本代表監督の須藤元気にやはり70kg級で勝ったぐらいで王者気取り。
失笑するのはレスリングオリンピックメダリストの宮田和幸戦。失神KOに追い込むまで4秒もかかった。
今年癌が全身に転移していたにもかかわらずAbemaの格闘代理戦争にやせ我慢で出演し、6月いっぱいの命と宣告されたにもかかわらず9月半ばまで生き抜いた。
姉の美憂は何であんな年令になるまで戦おうと思ってんのか不思議だったが、病気のKIDに勇気を与えるためだったという。
そんなどこにでもいたファイター。それが山本KID徳郁。