グアルディオラ監督が師と仰ぐ人物
土 02 7 2016, 8:00 午後

フアン・リージョ

2003年に32歳のグアルディオラがカタールのアル・アリに移籍した際、これが同選手にとって最後のクラブになるだろうと大勢の人が考えた。

そのため2005年同選手が1季だけメキシコの新設クラブであるドラドス・デ・シナロアに移籍を決めたニュースはかなりの驚きとなった。

それでも若干掘り下げて、シナロアを率いるのが4-2-3-1システムを考案したことで評価の高いフアン・マヌエル・リージョ監督だということを考えると、この報道は特に驚きではなかった。

グアルディオラは最後のチームで20試合に出場しピッチ上で選手としての風格を示したが、契約を結んだ時点で既に指導者として進む準備を整えており、選手育成のことを一番念頭に考えてのシナロア入りとなった。

サッカー界においてリージョ氏は特筆すべき哲学者のひとりとして考えられ、グアルディオラ監督自身リージョ氏をクライフ氏と並んで、サッカーにおける最も感銘を与える監督のひとりに位置付けている。

グアルディオラは、サラマンカやオビエド、テネリフェ、サラゴサで指導実績を持つリージョ監督からの指摘を書き留めるために練習場に毎日ノートを持参していた。

2007年グアルディオラ氏がバルセロナBチーム監督に就任した際、リージョ氏はFCバルセロナから公式には何の指名も受けなかったが、
スペインサッカーに詳しいシド・ロウ氏は2013年刊行の『ブリザード』(季刊のサッカー誌)に掲載されたリージョ氏とのインタビューのなかで「グアルディオラ監督の構想の随所にリージョ氏の影響が反映されている」と綴っている。

リージョ氏はかつて、攻撃や守備などは存在しないとして「単純化」を唱えた。

「例えばラファエル・ナダルの両腕だけ別に練習させることは出来ない」と説明する。

「それができたとして、元に戻した場合不均衡な状態となり、有機的にも拒否反応が起きる。サッカーとは呼べないサッカーからどうしたら強さを得ることができるのか?」

グアルディオラ監督の練習における指導ではこの考える教室の影響を簡単に見て取ることができる。
ポジションごとに分かれてグループ別に練習させるのではなく、同監督はチーム全体で陣形練習を行い、ボールを使った練習、ボールなしの練習でチームのポジション取りを整えている。