【空手】「殺しの柳川」は極真会館にとって最高の虫除けだった
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
“殺しの柳川”と称された柳川組を解散後、日韓の橋渡しに後半生を捧げた柳川次郎(梁元錫、ヤンウォンソク)が、力を入れたのがスポーツ交流だった。
のちに劇画『空手バカ一代』のモデルとなりスーパースターになった、空手の極真会館館長・大山倍達とは兄弟同様のつきあいだった。
ジャーナリストの竹中明洋氏が、柳川の足跡を辿った。
* * *
1969年か1970年のことだという。千駄ヶ谷の東京都体育館で空手の極真会館が開いた全日本選手権大会にその男が姿を現すと、役員席にいた館長の大山倍達はすぐさま駆け寄った。
あまりの慌てぶりに、弟子の添野義二(現・士道館館長)は思わず「あの人は誰ですか?」と師に尋ねたほどだ。大山はすぐに言った。
「きみ、あれが殺しの柳川だよ」
梶原一騎原作の漫画『空手バカ一代』で知られる極真会館は、伝統流派がいわゆる寸止めルールを取っていたのに対し、フルコンタクト(直接打撃)を提唱した。
最盛期には全世界に1200万人もの会員を有した。
その極真会館の相談役が柳川次郎である。柳川は大山との出会いについてこう語っている。
〈終戦後のいわゆるドサクサと称される時期に私と大山館長との出会いがあった。
(中略)館長との初対面のことを思い出してみたのだが、どうも角突き合わせてあわやケンカ一歩手前というところまでいったのではないだろうか。
しかし、何がきっかけかは忘れてしまったが、その後すっかり意気投合してしまい、以来ずっと兄弟同様のおつきあいをさせてもらっている〉(『月刊パワー空手』1982年9月号)
大山は柳川と同じく朝鮮半島の出身で、韓国名を崔永宜(チェヨンイ)という。
のちに日本に帰化したが、柳川とは義兄弟の仲にあった。大山の弟子のひとりで、現在は極真館館長の盧山(ろうやま)初雄は、「柳川相談役と大山総裁は互いに『兄弟』と呼び合っていました」と振り返る。
「極真会館には様々な後援者がいました。運送会社を経営する方もいて、ドライバーが運転中にヤクザとトラブルになると、柳川相談役に『なんとかならないでしょうか』と伝え、解決してもらったこともありました。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180917-00000007-pseven-soci&pos=1
9/17(月) 7:00配信
https://showa-g.org/img/00094_m.jpg
http://onoff.ishin159.info/photobank/masutatsu_oyama1.jpg
http://2.bp.blogspot.com/-MlpFngm5Ets/VgilScySyCI/AAAAAAAAUvQ/R3RFqmF4hkQ/s1600/IMG_8155-777022.JPG
http://2.bp.blogspot.com/-PlVBLekyZ9U/VnqVlTHUJRI/AAAAAAAAXLQ/6HwT22VkZ2A/s1600/FB_IMG_1440398314903-760305.jpg
http://img-cdn.jg.jugem.jp/407/1757332/20120610_2282652.jpg 支部長会議に出席しても、大山総裁の横に座りじっと話を聞いているだけで、口を挟むことは滅多にありません。
池袋に極真会館の本部を建てた時には、資金不足で工事が何度も中断するほど苦労したんですが、大山総裁が柳川相談役に支援をお願いしたところ、
柳川組傘下の各組にノルマを割り当ててくれたそうです。ただ、『思ったほどお金が来ない』と大山総裁はこぼしていましたけども」
大山が頼ったのは柳川の威光だ。1969年のことだが、極真会館を全日本空手道連盟(全空連)が吸収しようとしたことがある。
全空連は松濤館流や剛柔流など国内空手各派の統一を目的に設立された。当時の会長は日本船舶振興会会長で右翼の大立て者の笹川良一。
赤坂の料亭『千代新』で大山と会い、「全空連の幹部ポストを提供するので傘下に入ってくれ」と求めた。
大山はこれを拒絶した。大山は全空連が寸止めルールを取ることを公然と「ダンス空手」と揶揄し、双方は激しい対立関係となる。
相手は政財界に睨みをきかす笹川である。その圧力をどう凌いだのか。
「ちょうど大山先生が笹川さんと揉めるようになったあたりから、柳川さんが相談役として前面に出るようになりました。大会パンフレットに顔写真つきで柳川さんの名前が出てきましたから。
大山、笹川、柳川の三者で話をした時に、柳川さんが笹川さんに『もし大山に何かあったら、黙っていない』と言い渡したこともあったと。
でも、極真会館の内部では『なんでヤクザを使うんだ』という声が出たのも事実です」(添野)
◆最高の虫除け
政界、財界など多方面に顔が利き、「最後のフィクサー」とも呼ばれる朝堂院大覚(ちょうどういんだいかく)は、剛柔流九段の武道家だ。
当時、柳川とやりとりをした一人でもある。
「笹川が大山と断絶した後も全空連の中には極真会館を取り込むべきと考える者もいて、大山の説得を試みていた。わしもこれに関わっとったわけや。
当時は大山への圧力は相当なものがあった。なんぼ漫画で有名になったというても、空手の歴史では伝統流派のほうが断然上。
実態よりも過大に評価されたところがあった。他流派からの妬みややっかみもあった。
その盾になったのが柳川さん。大山や極真会館にとって最高の虫除けやったと思う」 極真会館の隆盛は、大山を主人公にした『空手バカ一代』を抜きにして語れない。一大ブームによって入門者が激増し、本部建設の資金繰りに困るほどだった極真会館は資金面で潤うようになる。
原作者の梶原は恩人として手厚く遇された。
しかし、いつしか梶原は極真会館を自らの影響下に置こうとしているのではないかとの疑念を抱かれるようになる。
梶原の弟の真樹日佐夫を大山後継の2代目館長に就けようと画策しているとも取り沙汰された。
対して大山は梶原と近かった高弟らを破門し、梶原の動きを牽制した。
大山と梶原の金銭トラブルもあり、両者の関係は悪化し、極真会館を二分する騒動になった。
またしても柳川が一肌脱いだ。
柳川の訪韓団に大山や梶原が同行した際に、食事の席で「おまえらええ加減に喧嘩すんなよ。仲良うできへんのか」と諭したという。
それでも梶原が膵臓炎で倒れ極真会館への影響力を失うと、大山に「兄弟は運がいいな」とあけすけに語ったという。いかにも一癖も二癖もある柳川らしい。
「柳川会長を東京駅まで出迎えに行くと、『ご苦労さん』と声をかけてくれました。『殺しの柳川』というより、『侠客』というべき振る舞いでした」
大山の秘書だった米津等史は懐かしそうに、そう語る。また、柳川は朝鮮半島との関係を周囲にも一切隠さなかったという。米津が続ける。
「日本人になりきろうと、侍の所作に強い憧れを持っていた大山総裁は、自らのルーツについてほとんど語らなかった。
なぜ総裁が柳川会長と兄弟の仲なのか。極真会館では誰もが訝しがりながらも、敢えて聞かない、聞けない、という感じでしたね」
●たけなか・あきひろ/1973年山口県生まれ。北海道大学卒業、東京大学大学院修士課程中退、ロシア・サンクトペテルブルク大学留学。
在ウズベキスタン日本大使館専門調査員、NHK記者、衆議院議員秘書、「週刊文春」記者などを経てフリーランスに。著書に『沖縄を売った男』。
※SAPIO2018年9・10月号 柳川≒ドジョウ鍋だもの
殺しと言われても、否定も肯定もムリ 平和に暮らしてる俺からすればVシネマみたいな話だわ 空手の大山、プロレスの力道山
芸能も経済も政治も在日が牛耳ってるらしいし、どんだけ在日様は優秀だよ 柳川組は結局は三代目山口組の傘下になったけど初代より2代目の谷川の方が怖いって本当なんだろうか? ちょうど新カラテ地獄変を読んだとこだった
柳ケ瀬次郎で登場してたな >でも、極真会館の内部では『なんでヤクザを使うんだ』という声が出たのも事実です」(添野)
これ芦原英幸が柳川の目の前ではっきり言ったらしいね 極真空手とプロレス幻想は戦後最大のファンタジーだよな。
どっちも右翼が韓国人と手を組んででっち上げたもんだが。 朝堂院大覚って自分で「最後のフィクサー」って名乗ってるイタイ奴だろw 戦後混乱期、日本人の格闘家は政治家や右翼の用心棒やってたしな 大山倍達は自民党と山口組のパイプ役だった
世界中に極真の道場があるのは日本政府(自民党)が裏で動いてたから 敗戦後のどさくさに紛れて在日朝鮮人が闇社会を牛耳り、
日本の右翼が左翼潰しにその朝鮮ヤクザの手を借りて、
今、左翼と在日組織が仲が良いって皮肉な歴史だよな。 ___
,.-'´ ``ヾヽ、
,r'´ ミヽ
l! ____ `i l
ll. ,-‐-_.! ,r ___` l,.!、
ヾ! rェェ.,! ヽ'`´`´ i l
ヾ! ー' , 、 ヽ !
l /ー-‐‐'ヽ `J
l!. ,!_,r--‐‐-ヽ ,!
ヽ ' ´ ̄` ´ '___,r'-、
`、 _____,.. ,!、_)-‐!ii-、..___
_! 、ー-‐,..-ソ ,.l /ヘ_ノ,... `ヽ、
,.....r‐'´ !. ,ィ´`r´_  ̄ ̄`.イ ) ヽ、
. / ̄ i l/ ヽ.ナ ヽ、 `i' /lii ヽ
. ,r' l // ヽ、 ! ,! 、_ !
ノ / `ー-、...._ _ ' ヽ、_ !
i´ / _,ナ亟. ヽ ヽ -、_) !
〉ヽ / /+- l l l
_ / ヽ / _//ヲ、 .l l l
/ l ,...___! /fヾ ト、 l !
,イ i r'´ 、_ノ 云 ヽヽ、 ,! , - !
r'´ー z- ,l! .l  ̄ `ー-‐‐、 ヽ `ー---'ソ ,ィ´ !
l _,.-‐‐'`ー' 、.....-‐'´ー‐イ) `ー、____,.ィ´-‐' /
! / ー‐ュ‐'´ /´
! / ,ィ ´  ̄ 〈 なんでもありの喧嘩になったら弱くなる流派が極真なんだっけ? イジメられないように強くなりたい→極真入門→道場でめちゃくちゃイジメられる法則 K-1やPRIDEいうモノが出来て極真空手が実戦では弱いというのが証明されてしまったな 柳川って山口組全盛期は凄かったからな
敵対組織片っ端から襲って参加に収めていって山口組拡大の原動力だったもの >>39
伝統派空手をダンス空手とバカにしていたら、自分らがおしくらまんじゅう空手だったというww 何故か、図書館にはSAPIOが置かれているので連載を読んでいる
大山と梶原一騎の対立が面白い
ボクシングの山根会長が出てこないのが不思議 千葉の館山で水牛を脳天空手チョップで殺すんだけどあれもインチキらしいな
ウィリーの熊殺しと同じ 間合い無く至近距離で打ち合うアホどもである
腹突きと下段蹴りの応酬
単に我慢強さを競ってるだけである >>50
牛同士の頭突きの方が遥かにパワーあるが、それでもびくともしない頭蓋骨なのにチョップで倒せるわけがない >>1-1000
ごちゃごちゃうるせぇよ
極真緑帯の俺様にかかればお前ら引きこもり如きなんて旗判定勝ちよ >>1
3枚目の裸の画像を見て解るように、私腹を肥やして不摂生していたインチキ野郎が格好付けてるだけなのがお解りでしょうか?ええ、今で言う山根明と同じですよ。 ムエタイのが強いよね
極真にも強い奴はいるかもしれんが別の格闘技やればもっと強いよ 要するに捌く技術がないので他所に行ったら顔面突き一発で終わり オリンピックの話がでだした途端伝統派にすり寄ったよね >>56
極真は初期の門下生(全盛期の幹部くらす)が
もともとケンカが強い連中が揃ったってのが大きいね 極真って朝鮮空手だったのか
車にステッカーをこれ見よがしに貼って周囲を威圧してる馬鹿が多いと思ってたが納得した 少林寺の高弟にボコボコにされて追いかけ回された極チョン空手もどきw 大山が何かのテレビに出ていた時、向こうの訛り丸出しだった キックやっても総合やっても弱いのばっかりだったよな、特に日本人は
何が地上最強だ、梶原の漫画で騙されていたわ ほんと真っ黒だなこれ以上ないくらいプライドの榊原とか比べ物にならん ただのホラ吹きだからな朝鮮人大山
10円玉を曲げるだの手刀でビール瓶を斬るだの、涙ぐましく細工を駆使してからに
あんな手足の短いチビが強いわけねえやん 「通れるだけの道をあけてください。イヤといわれるなら大きな岩を動かしますよ。」
全国進出時の柳川組の名台詞。
山菱最強と恐れられ、傘下組織なのに山口組とは別に広域指定暴力団に指定された。 幼い空手少年のワイにも師範がヘコヘコしとる館長と柳川のおっさんは異様に映ったなあ1度きりなのに
デカいしね
隠すもなにも館長なんかカタコトで何喋ってるのか幼いワイにはほとんど聞き取り不可能だったわw すべての始まりは、戦後のアンタッチャブル時代。
占領軍であったGHQは、言論に対する強烈な検閲を行い、その検閲があることすら明かしてはならないと命じました。
あまり知られていませんが、その検閲項目の中に、
「朝鮮人に対する直接・間接の一切の批判を禁じる」という項目があったのです。
当時、占領軍であるGHQの命令と監視は絶対であり、誰一人逆らう事はできない状況でした。
一方で朝鮮人たちは敗戦直後から、あらゆる無法を行いました。
しかも、朝鮮人の無法ぶりを報道することすら、GHQの検閲によって出来なかったのです。
まさに、アンタッチャブルな存在であり、土地も金も思う存分奪うことが出来たでしょう。 >>51
そんなこともないから大山亡きあとに後継者で揉めて分裂したじゃん。
日本人は後継者にしたくなかった大山 空手バカとか脳ミソが萎縮してるようなキチガイしか読んでないじゃん >>56
極真からキックいった黒崎とかもいるからなんともいえん。目黒ジム >>75
北朝鮮出身の中村日出夫の親戚だから、そりゃ強い 大山倍達が無くなってすぐ極真分裂しちゃったね
チトーが無くなってユーゴが分裂したのと似てる
カリスマが亡くなるとその後が大変なんやな 大人なってから実話かなんかで
あのオッサンが殺しの柳川だったのか!
てすぐ思い出せるほどにはインパクトあったな 実戦に近づけるためのフルコンタクトが実戦なら組み付かれるであろう距離のガマンくらべになって
寸止めルールのほうが実戦的だったのは皮肉だね 蹴り警戒しながら接近して腹太鼓を叩き合うエンターテイメント 「大山倍達正伝」小島一志、 塚本 佳子
大山と親交のあった著者がよく調べて書いてある
結果的に偶像破壊的な内容だが人間大山は面白い
在日朝鮮人史の要素もあって歴史的な価値もある >>84
伝統空手はスピードを磨いて、極真はパワーを磨いて、結果スピードを磨いた方が実践的だったという皮肉だな。 ちょ〜〜〜〜〜〜〜ん
バカちょ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん 空手の歴史って意外に浅く沖縄がルーツで日本では昭和に入ってようやく広まった
テコンドーはその日本の空手の影響を受けて成立している
大山もその手助けをしている 結局、ハッタリに始まりハッタリに終わったな
朝鮮人だけはある 空手馬鹿一代と同じプロットの漫画が同時期に韓国でやってたんだよね 伝統も極真も一長一短で個人差有るから一概に言えない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています