【野球】遠藤一彦 江川をライバル視していた横浜大洋のエース/プロ野球1980年代の名選手 通算 460試合 134勝128敗58S 3.49
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1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。
時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。
遠藤一彦 江川をライバル視していた横浜大洋のエース/プロ野球1980年代の名選手
横浜大洋・遠藤一彦
「自分の投げる試合は必ず勝つ」
1980年代の大洋は暗黒期といえる。50年の2リーグ分立に始まる歴史で、もともと低迷の多いチームではあった。
50年代は6年連続で最下位に沈みっぱなしという時期もあったが、松竹との合併などもあって落ち着かなかったという言い訳もできる。
だが、安定の1リーグ6球団、全12球団制となって、かなりの時間が経った80年代となったら、勝率5割、Aクラスともに83年の1度だけ、というのは長くて暗いトンネル……
もとい、暗い海の底に沈んだまま浮かび上がってこないクジラのようなものだった。
投手陣は苦しかった。60年代から70年代にかけて、特にV9巨人と名勝負を繰り広げてきた平松政次はベテランの域に達し、通算200勝を花道に84年限りで現役引退。
77年に新人王となった斉藤明夫はクローザーとして適性を発揮した。
そんな投手陣にあって孤軍奮闘したのが遠藤一彦。大洋ホエールズが川崎から横浜へやってきて“横浜大洋ホエールズ”と名乗った78年に入団、
同時に採用された白地にマリンブルーのホーム用ユニフォームは、その長身に映えた。
横浜大洋は93年に“横浜ベイスターズ”へと改称することになるが、それまでの15年間、長身から繰り出す快速球と落差のあるフォークで、低迷を続けるチームを支え続ける。
1年目は二軍中心で経験を積む。翌年に新人王の権利を残す、という首脳陣の考えもあった。満を持して臨んだ2年目の79年は先発、救援と47試合にフル回転して12勝12敗8セーブ。
歴戦の平松政次らとともに2位躍進の原動力となったが、新人王は中日の藤沢公也に譲る。
だが、ライバルとして意識していたのは巨人の江川卓。同学年で、高校時代から“怪物”と呼ばれていた。
江川を目標として「いつか追い抜いてやる」という思いは、学生時代からあったという。
82年9月21日の巨人戦(横浜)。江川と投げ合い、ともに完投した試合は、1点差で大洋が勝利を収める。
「江川に投げ勝った」ことで自信を深め、さらなる飛躍へとつながる。
「自分が投げる試合は必ず勝つ」
そんな使命感とともに、マウンドに立った。実際、そうでなければチームに光は見えてこなかっただろう。
翌83年から18勝、17勝で2年連続の最多勝。鋭いフォークに打者のバットは次々と空を切り、奪三振もリーグトップだった。83年は沢村賞も獲得。名実ともに横浜大洋のエースへと成長した。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180917-00000005-baseballo-base
9/17(月) 11:06配信
https://i0.wp.com/www.yakyuukozou.work/wp-content/uploads/2018/01/show_img-1.jpg
https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0310/users/9/1/4/2/hakimu_gogogo-img1200x1200-1508768954ferapq20451.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=lOjpxWTBDI8
1983 遠藤一彦
https://www.youtube.com/watch?v=klW0Zg4_EKI
1985 遠藤一彦
http://npb.jp/bis/players/81183846.html
成績 そして横浜大洋とともに
5年連続で開幕投手を務め、6年連続2ケタ勝利にも到達した87年。
10月3日の巨人戦(後楽園)、5回表の攻撃で、走塁中に右足のアキレス腱を断裂してしまう。
選手生命の危機だった。6年連続の開幕投手を目指してすぐに復帰の計画を練ると、懸命のリハビリを始める。
開幕投手は譲ったものの、翌88年、本拠地開幕戦となる4月12日広島戦(横浜)に先発して戦列復帰。
しかし、同年5勝、続く89年は2勝に終わる。鮮やかな復活を遂げたのは90年。
80年以来、10年ぶりに抑え投手となると、すべて救援のマウンドで45試合に登板して21セーブを挙げ、チーム7年ぶりのAクラス入りに貢献、カムバック賞も贈られた。
そして92年10月7日巨人戦(横浜)が引退試合。このゲームは、“横浜大洋ホエールズ”最後の試合でもあった。
80年代のセ・リーグで、メジャーで通用する投手として、巨人のホワイトや87年に旋風を巻き起こしたホーナーらが、その名を挙げた。
巨人のクロマティは塁に出ると「頭の出来が違うんだよ」とばかりに自分の頭を指して相手を侮辱するパフォーマンスを繰り返していたが、
ピンチでクロマティを打席に迎えると、フォークと思わせて快速球で三振を奪って、同じポーズで“逆襲”したこともある。
もし、チームが横浜大洋でなければ、どれほどの成績を残していただろう、とも思う。選手として優勝の歓喜も味わえただろう。
だが、そんな横浜大洋のファンは、その存在に安堵し、期待し、声援や喝采を送った。 なんか凄いジャンプ力で、走り高跳び優勝してた記憶がある >>1
> 翌83年から18勝、17勝で2年連続の最多勝。
84年の大洋は最下位で46勝しかしてないのに、
遠藤は17勝もしたのか すげぇ 斎藤もなんだけど暗黒期を支えた選手なのに監督どころかコーチの能力もないのが悲しい 大体毎年巨人と広島2強4弱で
遠藤は相手が負けるの期待出来るピッチャーだったな >>11
広島から来た木庭スカウトの話なんか有名だろ >>9
大洋のチーム打率セリーグビリ
大洋のチーム得点セリーグダントツビリ
遠藤の防御率セリーグ11位
謎 スタイル良くて
直球も早いし球種も豊富だったイメージ 首位打者なったミヤーンやパチョレックもいたし
ポンセだっていたし弱小の戦力なんかじゃなかったよ 江川、遠藤、北別府、小松
80年代のセ各球団のエース
この4人はすぐに思いつくのだが
阪神とヤクルトはこれといった投手が思いつかない >>17
あれも、チームが全然打たないから自分でヒット打って本塁に帰ろうとしての全速力のランニングだった
あんときヒットなんか打たなきゃ、全速力のランニングしなきゃもっと活躍していた 江川が先に引退した時「早く引退できて(=他に仕事があって)うらやましい」とか言ってた気がする 遠藤がアキレス腱を切った試合と引退試合を観戦したよ >>24
9勝とか8勝が多かったからかな
ヤクルトは梶間、尾花
阪神は池田とか助っ人とか アキレス腱切った時の試合リアルタイムで観てたな
塁間の走塁で断裂して足を引きずりながら二塁に走ってたような >>24
何を言ってるんだ虎のエースと言えば右のエースが球界のマッチこと池田、左のエースはマイク仲田じゃないか セカンドの選手が帽子とって挨拶した瞬間現実を知ったあの頃 >>8
そんなことはない
先発も抑えもやったし
大遠藤さまやで >>26
モテるだろう
スタイル良くて格好良かった
稲妻フォーク好きだった 銀行員かエリート官僚のようなスマートな投手だった
RIP >>41
ってことは俺と同じ日に後楽園球場で観戦していたんだな
遠藤がヒットで出て、誰かのヒットの走塁中に急にケンケンして3塁で倒れこんで何事かと思ったわ >>58
ごめん、テレビ観戦w
巨人戦だったからテレビでやってた でもあのオレンジ/グリーンを超えるユニがいまだに出てこない >>8
全てにおいて遠藤の方が上
アキレス腱切らなければね >>60
そうかあ
遠藤から中継ぎで中山が出てきて打たれて逆転負けをしていたね
怪我がなければ勝てる展開だった
あの試合でヒットを打った片平晋作も昨年亡くなってしまった 大学時代に付き人だった後輩の辰徳には
空っきし甘かったな いつも滅多打ち 同時代セ・リーグエース
江川 遠藤 北別府 小松 尾花
甲乙つけがたいね
マジで阪神、生え抜きで誰おった?
中田良弘? >>11
田代はコーチとして有能なのかいろいろ渡り歩いてるな >>60
そう、確か中継でも遠藤の走塁を抜いていたから
結構衝撃的で記憶にやきついている クロマテも自著の中で遠藤はメジャーでもスターになれる、って書いてたよ 基本 滅多打ちの巨人戦で唯一対抗できる投手だったな
須藤監督になってようやく巨人に勝てるようになった
阪神に超絶弱い伝統は今年もだが >>74
中田良弘って阪神優勝の年だけ確変的に勝ってただけだったような あの時代の大洋一筋で134勝58Sは凄い
これで200敗近くしてるかと思ったら勝ち越してるんだから大したもんだ >>74
阪神は大体1年から2年くらいしか安定して活躍できない投手が多かった
だから外国人のピッチャーが多かったんだろう 江川よりも、80年代「本格派」の代名詞。
ドラフト候補や高校球児も「憧れの本格派」トップ 阪神難しいな
81〜83小林
84池田
85ゲイル・池田
86仲田
工藤一彦とか中田良弘って
中継ぎのイメージあるんだけどな自分
先発もしてたでしょうけど >>88
この時代の大洋は本当に弱かったからね
横浜大洋銀行とか呼ばれてた 巨人ファンのうちのじーちゃんの血圧を上げ続けた男こいつ打たれねーんだよ 第13回ドラフト
1977(昭和52)
1位 門田富昭
2位 加藤英美
3位 遠藤一彦
4位 大久保弘司
5位 谷内野隆
6位 屋鋪要
この人のライバルはむしろ同期でドラフト一位門田富昭だった
門田は西南学院大学時代「西の江川」と呼ばれていた
遠藤はプロ一年目は一軍1勝しかしてないが門田5勝している
当時マスコミなどで子連れルーキーとして騒がれた >>72
山本は80年中盤は抑え
80年前半は小林と2人で先発のエースだったね >>24
ヤクルトは尾花や高野光、一応荒木も
阪神は池田親興と仲田幸司だろう >>24
阪神は生え抜きじゃないけど、小林繁
ヤクルトは松岡
>>54
個人的には山本和行も推したい 川崎大洋ホエールズでもない横浜ベイスターズでもない横浜大洋ホエールズのユニフォームしか着なかった男
こういうのもまた格好いい >>24
ヤクルトは松岡がいるだろ。
ヤクルト一筋で191勝してるんだぞ。190敗してるけど。 >>99
松岡は一世代前
平松・堀内・星野あたりがライバル 阪神とか大洋とか弱すぎて5点くらい負けてる展開の方がハンデで見てて面白かったわ 毎年ビリの横浜で130勝なら
巨人なら300勝できてたな
横浜で一年で17勝ってバケモノだわ フォークピッチャーは本格派とは言いたくない
最後は必ずフォークだもん
真っすぐは見せ球 大洋じゃなければ
余裕で200勝して
無理してケガもなかっただろうな >>99
松岡の全盛期は70年代
平松と同期
80年代暗黒ヤクルトのエースといえば尾花
14完投して12勝しか出来なかった82年は可哀想すぎた >>106
遠藤の真っ直ぐは
スピンかかっていて
伸びのあるストレートだったよ 松岡は名球会入りも見えていたけれど、オールスターかなにかで王選手の話を聞いて引退を決意したとか何とか クロマティから三振取って、自分の頭を人差し指でチョンチョンとやってバカにするのがお約束だったな
クロマティの顔色がスーっと変わってスゲー怒ってたw 昔はFA無かったから入団したチームで大体運命決まってしまうよな
ヤクルトの松岡とか良いチームなら250勝くらいしてたよ
東尾も最初そんな境遇だったけど西武にオーナー代わって運命激変したな クロマティが遠藤は確実にメジャーで通用すると言ってたやろ >>109
暗黒時代チームのエースっていうと
遠藤、尾花、荒木、あたりを思い出す >>24
阪神はエースじゃないけど山本和行で持ってた記憶 松岡に遠藤、球団違えば200勝出来てそうなの他にもいる? アキレス腱を切って復帰した後の打席で、高木豊がホームスチールをして遠藤を
転ばせたのを見て、自分勝手さにやくみつるが激怒していた。 >>88
強いチームなら負けは半分、下手すりゃその分勝ちになるんだけどな >>120
あの人ダメ大洋ホエールズの象徴みたいな人でしょ >>99
松岡は80年代前半で引退じゃないか
そういう意味では引退前にけっこう活躍してたんだが
80年代通して活躍したのは尾花、後半は伊東昭光、ところにより荒木高野って感じじゃね >>93
門田は古場に干されたんだっけ?
古場はくそだったな アキレス腱を切るまではセリーグではNo.1だったよな
江川と違って遠藤は30になってもスピードは落ちなかったもんね
クロマティとの対決は面白かったよ
頭に人差し指を指してココの違いってお互いにやってたよねw >>1
何だこれ?ニュースでもないし
死んだんならスレ立てろよ この時期の阪神のエースってキーオだったよな
大洋とどっこいの暗黒時代だし この頃の大洋ってホームランバッターがいなかったんだよな
田代とレオンが20本打つくらいで 江川凄いってよく聞くけどプロで200勝してないし
普通にホームラン打たれたりもしてるし早熟だっただけじゃないの?
エース、大黒柱だった? >>136
野球より投資が好きだったんだから仕方ない >>136
ここぞでは弱かったよ
日シリとかでも江川で落として西本で星を戻すとか多かった 松岡っていうと70年代のエースで、堀内、江夏、平松、星野、外木場といったエースたち
の仲間といったかんじだよな
世代的に遠藤、江川、北別府、小松といった80年代のエースと並べるべきではない >>136
あの時代に20勝は
並みのピッチャーじゃ出来ないよ ほかのチームだったら名球会入ってたかもしれない投手
遠藤一彦
三浦大輔
小宮山悟 >>15
一方、同じ24番で同じ福島生まれの中畑はカモにしていたw 80年代に活躍した選手も普通に亡くなるお年頃かぁ
老衰とは言えないかも知れんが70代になりゃ次々と出てくるわな… >>136
江川が投げる試合は8時過ぎには試合終わる事が多かったな 小松よりタカマサとか都とか言う人がこのスレにいるけど、タカマサとか都って最多勝の
タイトル取ったことあったっけ? 沢村賞もとってないよね?
やっぱ中日の80年代エースは最多勝2度で沢村賞も取ってる小松でしょ >>2
>巨人のクロマティは塁に出ると「頭の出来が違うんだよ」とばかりに自分の頭を指して相手を侮辱するパフォーマンスを
メジャーでもやってたのかな?
向こうだと報復もんだから日本限定かナメてんなこの土人 >>136
9年で130勝だから立派。
何やってもバッシングされるから嫌気さした。
年俸も安かった。
(当時トップは落合1億円、江川6000万円) >>136
江川はモチベーションの問題
プロでもレベルが違うくらい圧倒的だったうえに、入団の経緯もあって勝ったってアンチから叩かれる
心に燃えるものがなかったんだろう
江川こそ即メジャー行くべきだった 江川こそ作新学院から直で渡米してほしかったね
もしそうしていたら20歳でMLBにデビューできたんじゃないか? 41歳の俺がガキの頃の選手だよ。
もうお爺ちゃんでしょ。
明日死んでもおかしくない。 日ハムから来た木田勇ってなんでボロッカスに打たれてたんだろ? クロマティがその著者でも褒めていた選手の一人。
カモシカの様なスラリとした足と速球とフォークボール、それが遠藤の代名詞 松岡の話題が出てるが松岡、平松、星野、黒い霧の森安と
ヤクルト、大洋、中日、西鉄と球界のエース級が同時期にしのぎを
削ってた当時の岡山が凄すぎる。そりゃ全国制覇するわな 小松と言えばイカサマ最多勝
って一生言われるよな
星野のクズも罪な事したもんだ 84年は17勝17敗でリーグ最多勝と同時に最多敗にもダブルで輝くという珍現象
たぶんこんな記録はもう二度とお目にかかれないと思う 江川はプロになってからの投球はスマートすぎたよな
必死に投げる姿も気持ちもなかったし
オールスターの8三振の時ぐらいじゃないかな >>148
小松の最多勝は"吉見作戦"だったから
批判もあったんよ 遠藤のフォーク
平松のシュート
横浜鯨軍は魅力的だった >>160
岡山に限らず当時の山陽道には星野と同学年で下関商の池永正明、広島の北川工業に高橋一三と
のちにプロ球界で名を馳せるエース級の投手をゴッソリ輩出していたんだよな 現役引退後、何故かドラマに遺影で出演していた。
(篠ひろ子の亡夫で内田有紀の父親役) >>153
「記者に嫌われた」が定説なってるけど、
ダブルエースだった西本(江川20勝 西本19)にも
何か贈ろうというのが人情。 江川が本当によかったのは昭和56年〜57年前半
確か57年の夏場に肩壊した
昭和55年も最多勝獲ってるけど
you tubeで見るかぎり
56年みたいな綺麗なフォームじゃないね >>174
江川が肩を壊したのは法政大3年のときだったという説もある >>162
同じ年に高木豊も最多盗塁と最多盗塁死のW受賞だった >>170
緒形直人と大塚寧々の近親相姦ドラマにも出てた アキレス腱切ったのは巨人戦だっただけに、かなりの数の人が印象付けられてるはず >>174
キャッチャー投げみたいな縮こまったフォームなっとるやろ?
高校時代はあんなんじゃなくてダイナミックなオーバースロー
同じく剛球投手として並び評される尾崎はスリークウォーター
もう尾崎の映像は残っとらんだろう >>174
それまではゆったりとした投球フォームだったのに57年の後半くらいからせせこましくて窮屈な投げ方になっちゃったよね >>136
江川は相手のクリーンナップにしか本気のストレートを投げなかったかなら
それ以外には打たせて獲るを第一に考えていた
試合運びは早かったぞ 数日前の浜スタの巨人戦でTVKで解説してたわ。まさに横浜大洋ホエールズのレジェンド あの頃の大洋は弱かったからな。
もっと勝っていてもおかしくなかった。 >>162
松坂大輔「せやな」
2001年 Aクラスなのに15勝15敗 沢村賞 須藤がえこひいきをする中山をイジメていた人か
遠藤大門松本
全員シュッとしていて格好よかったが 野茂や佐々木が出てくる前まではフォークボールと言えばこの人だったな。 大洋があまりに地味すぎた
ファミスタで選んだらお前変態かよwって言われたレベル >>175
法大時代に肩やってる。そのせいか打たせて取るピッチングしてたな。 >>162
昔のエースは負け数も多いんだよね
特に弱いチームは
一、二点で抑えても援護点がなくて負け投手とか、
あと投手の絶対数が足りないから、
いろんなシチュエーションで登板されられて、
勝ち星がつきにくいとかな。
東尾も通算勝ち星が先行したのは現役晩年にやっとだし。
梶本とか、名球会だけど負けの方が多いんだったか。 基の全盛期だったんじゃないか
なぜ大洋はあんなに弱かったんだ? 勝敗がつくというのは最後まで投げ抜くことが多いからでもある
84年の遠藤は37先発・18完投・276・2回でいずれも最多 かなりの選手やん
なんだかんだで、通算でこれほどってのはそうそう居ない 10勝10敗みたいな成績だな江川の足元にも及ばないな 1 中 やしき 左 .284 10本
2 左 かとう 左 .286 6本
3 二 ゆたか 左 .314 10本
4 右 ぽんせ 右 .310 26本
5 三 たしろ 右 .260 24本
6 一 ろうまん 左 .290 14本
7 遊 たかはし 左 .236 2本
8 捕 わかな 右 .280 6本 江川は大学で怪我して全盛期過ぎてプロはいってるからな
肩をかばいながらだましだましで9年しかやってないけどやっぱりすごかったよ >>167
あったあった
この卑怯者がって思ったよ こいつと尾花はチームが強ければ200勝できたんじゃないかと思う >>194
弱いチームの敗戦は恥じゃない。最多敗戦は勲章。
でも藪恵壹(6勝16敗含め最多敗3回)は
何だかなあ 平松は80年代何故か沖縄のローカルCMに出てた
何の縁があったんだろう
水野は静岡で教習所のCM出てたな
プロ野球選手のローカルCMって多いんかな 加藤屋敷高木ポンセパチョレック田代(代打)市川 野手てこんなんだったか? 顔が小さくて手足が長く、後姿がとても素敵だった。
顔もジャン・ポール・ベルモンドみたいで日本人離れしていた。 弱かったのに初代ファミスタでは強かったから当時の子供には人気だったんだよなあ>大洋 >>212
近藤監督のとき内野総とっかえのコンバートやってなかった?
当時の評価はどうだっんだろう >>151
江川は実際アメリカ留学時代にドジャースから話があったんだよな。MLBで投げる姿見たかったわ。 セカンド基ショート山下サード田代の時代だろ
80年ぐらいから4〜5年この固定で戦ってた >>213
飯場のオッサンみたいなの多い中でカッコいい投手だったね
>>190
村田兆冶、その前なら村山、さらに前に杉下
村田さんも江川とバッテリー組んでた袴田さんに
江川の方が速い言われて燃えたんだよなー
凄い投手は周りを引き上げる力持ってるんだな 打率
打点
本塁打
最多勝
最多セーブ
これらタイトルを総ナメしてるのに最下位なのが大洋 >>9
17、8勝っても同じくらい負けてたなあ。弱小チームのエースあるある >>136
200勝してないから大したことない投手ってどんな理屈だよw 甥っ子が元ヤクルトだっけか、遠藤政隆。
おじさんの古巣ベイ戦で村田修一に死球。
古田敦也と大家明彦がブチ切れてる動画が有名。 >>179
お前どこを見てんだよw
55年の方が膝の上げ方がまだ高校時代に近いわ
むしろ56年からの方がコンパクトな小さいフォーム
55年も最多勝で奪三振王なんだが?
56年20勝したのはこの年から飛ぶボールが規制され圧縮バット禁止になったから。
55年から禁止されてたら、55年から20勝してたわ
どんだけ数字しか評価できないアホ野球音痴なんだかw 江川の1980〜1982の3年間の成績はまさに怪物だよな。
96試合54勝30敗0S 636奪三振 (62完投18完封)
投球回数765回
202自責点
防御率2.38
WHIP0.96
実働9年で266試合135勝72敗3S 防御率3.02 WHIP1.12 1366奪三振
86年は先発で16勝(8完投、1完封6敗)防御率2.69でV逸の戦犯として減俸されてた。
あと何気に実働9年間、すべてで規定投球回数に到達してる。 最多勝利が2度で最多敗戦が3度というのがいかにも当時の大洋っぽい
連続二桁勝利よりも5年連続二桁完投&200イニングがすごいな >>229
巨人相手に投げての17勝だからな
大洋相手の江川より凄い 80年代はやたら打高投低の時代だから
遠藤の記録は3割ましの価値があるよ たしか
84年だっけか
260イニングぐらい投げてる
投げすぎ 80年代の防御率3.49か
3.1ぐらいの価値はある >>241
当時は打撃レベルが上がってきてるってのに球場はほとんど昔同様狭いままだったしな
今では沢村賞の選考項目の防御率部門のハードル2.50以内をクリアしてる者は年に何人かはいるが
当時はへたすりゃリーグにひとりもいない(というか2点台そのものが1人か2人)って感じで
7つの選考項目の中で最難関だった印象がある >>240
調べたら276回2/3投げてるね、先発登板37試合で18完投だって。
17勝17敗だけど防御率3.68でWHIP1.14だから所属チームが違えば・・・だね。 >>24
阪神は小林、ヤクルトは松岡だろ
これだから若い奴は野球を知らないって言われるんだよ こないだ巨人の山口俊がノーヒットノーランやったけど
80年代ってノーヒットノーランもやたら少ないんだよね >>245
250イニング以上投げたのはセではこの年の遠藤が最後なんじゃないか
パでは85年の佐藤義則が最後だと思う
240台はたまに出るんだけど250以上は久しく出ていない
200すら誰もいない年があるくらいだから250は今後出そうにないな 遠藤はストレートの軌道がまっすぐで物凄く綺麗だった印象。
それであの、代名詞と言える鋭いフォーク。 >>24
阪神は山本和行と中西清起のダブルストッパー >>246
遠藤・江川と同年代
エースだからまずは生え抜き とにかく見た目が格好良かったし運動神経も良かったな
短距離走では当時のチームメイトのスーパーカートリオとタメを張ってた記憶がある 昔ゴルフでえらくガタイの良い連中がアホみたいに飛ばしてるなと見てたら
遠藤と齊藤と田代だったwww 東海大工学部の建築学科出だったんだよな
引退したら一級建築士になるんやとか言ってたかな >>162
昔のピッチャーは回数投げてたからね
>>212
大ちゃん入れたれよw アキレス腱断裂から復帰したばかりの遠藤を吹っ飛ばしてホームスチール決めた高木豊 >>203
走攻守揃ったいいラインナップなのになんで弱かったのか >>251
小林はダメで江川は生え抜きってなんか違和感ある 小林は70年代でしょ
遠藤とは活躍時期がちょいズレてる 鈴木 郁洋(すずき ふみひろ、1975年5月23日 - )は、福島県西白河郡西郷村出身の元プロ野球選手
https://i.ytimg.com/vi/SYxswnWAjiQ/maxresdefault.jpg 矢貫 俊之は、福島県西白河郡西郷村出身の元プロ野球選手。 >>262
ま、江川は例の件で名前だけ一瞬阪神に所属してただけだからな。
阪神では一切プレーしてないしユニも着てないし。
皆プロでは江川=巨人ってイメージしかないだろうし。 この時代、阪神生え抜きエース不在。
江川騒動で小林繁トレードに応じたのも
背に腹変えられんお家事情がよくわかる。
未知数の新人エサに2ケタ投手ゲット。
>>262
江川(阪神出身)もマジで言ってるなら、
さすがにアレだわ 伊藤 勝三(いとう かつぞう、1907年5月14日 - 1982年2月10日)は、秋田県出身のプロ野球選手
https://i.ytimg.com/vi/AMvdfrUqALQ/maxresdefault.jpg 当時の大洋は遠藤以外の先発投手の格が極度に落ちる印象があった
遠藤の次が欠端や大門では流石に苦しい >>267
日本一チームで20勝が賞総獲り、19勝が何も無し。
お前何とも思わねえ? まあ秋田の美形というのは土人とは微妙に違っていて中国東北人みたいな人だねw >>203
1〜5番まで見るとすげえ完全無欠感あるなぁ
万年Bクラス(最下位多し)のチームなのに >>277
思わんな
沢村賞ってむしろそういうピッチャーが取るべき賞だし
あれは単に江川憎しの記者が多かっただけ >>92
ご冗談でしょうw
対巨人戦は打たれまくって21勝37敗
超単純に考えると最下位チームの勝率並。
それも監督の途中休養が発生するレベルw >>260
当時は極端に打高だったから他のチームも打線の数字は良かったからな
それに大洋は味方同士で足を引っ張り合い、監督には反抗るというどうしようもないチームだったから弱くて当然 >>282
巨人キラーと言うと平松のイメージだけど
遠藤の場合、遠藤が勝った試合のインパクトが強いんじゃない?
逆の例になるが槙原なんかは阪神相手に大幅に勝ち越してんのに
バックスクリーン3連発と新庄敬遠サヨナラヒット食らったというだけで
阪神ファンの覚えがめでたいし >>136
江川は晩年120キロ台のストレートで三振を奪ってたのがすごい。 >>8
大洋で勝ち越しってすげーぞ
大洋遠藤と
ヤクルト松岡はもっと評価されていいわ 古葉、森とセパの名将が率いても勝てなかったお荷物チームだったなwww >>281
沢村賞
1974年、先発としては微妙だった
星野仙一の例もあってな。(星野15勝、最多勝20)
MVPの代用みたいな意味もあったんだよ。
ついでに、MVPも投票な 家近いから二日前見たな
めちゃくちゃスタイル良いんだよな 江川との直接対決は勝ち越してるはず
その一方で西本相手だと気が乗らないのか負け越し 当時の大洋には遠藤と抑えの斎藤明夫しか、マトモな投手が居なかったな。 遠藤vs江川の時はたいてい9時前に試合が終わってたな 何このスレ?
80年代の野球を語るスレ?
それとも遠藤限定のスレ? >>292
西本に投票した記者はみんな西本に賞をあげたかったから投票したって?
アホだろお前 球史でも数人しかいない100勝100セーブを
弱小大洋で達成した斉藤ももっと評価されていい 他に覚えてる投手は・・・欠端とかちょっとだけ復活した木田くらいか。
欠端は娘がパラリンピックに出てて、思い出したわ。
他は広澤と明治で同期のドラ1の竹田。
全く鳴かず飛ばずだったけど。 >>301
憎まれてたなら、なんでMVPは受賞なんだよ?
絡みたいだけならレスしなくてくれる? >>303
当時はイニングまたぎとか、普通だったしな。
価値は今より大きいよね。 >>305
欠端は去年DeNAのイベント出てきて現役時代よりいい球投げてた 怪我さえなければ200勝だったな
桑田と遠藤は怪我に泣いた大エース 一瞬死んだのかと
遠藤はかっこよかったなあ
ファミスタや燃えプロでも使ったし
今のファミスタにいないみたいで残念です 中日時代の落合が実家のあるクソ田舎のスーパーのトークショーで一番苦手だと言わしめた遠藤 >>144
三浦大輔は投手の層の厚いチームだったら成長
する前に解雇されてる
そういう意味では選手層の薄い大洋で良かった 今はFAあるからこういう弱小一筋の大エースって少ないね
かっこいいんだよな、舐めきられたチームでこいつだけはと一目置かれて相手がカード前から一敗覚悟して諦めるという 当時の渋いスピードガンで常時140後半のストレートと、140キロのフォークはエグいな >>313
怪我する怪我しないも実力のうち
怪我さえなければなんてのはもっと実力があったらと言ってるのと同じ >>98
実は1年目の開幕まで湘南電車ユニフォームを着ている。 >>306
実際のところは、単純にMVPも江川だし沢村賞もどうせ江川。
俺くらい西本に投票しても問題無いだろって西本に入れたら、他のボンクラ記者も同じ事してたってだけ
だと思うけどな。
記者はどうせ、江川は抜けてる投手だから好成績を残し続けていつか獲るだろうって高をくくってたんだろうな。
ただ、この所為で沢村賞は記者投票形式じゃなくなったんじゃなかったっけ?
江川は前年も選ばれても可笑しくない成績残してたのに、該当者なしで貰えなかったし。
翌年もほぼ同等の成績だった北別府が選ばれ、肩痛の影響から成績が落ちて(それでもエース級の成績)
結局貰えないまま引退した。 クロマティが打つと自分の頭指さして「ここだここだ」アピールして
遠藤がうちとると遠藤も自分の頭指さして「ここだここだ」あぴーるが好きだった >>197
監督の人選を間違えた
関根潤三監督は良かったんだよ
確かに1983年には勝率5割のために投手陣に
無理を強いて翌年壊滅させたけど若手を辛抱
強く使って育てた
しかし近藤貞雄監督がチームを完全に腐らせ
無能を露呈した古葉竹識監督でぶっ壊れた >>324
いやいや
桑田と遠藤だけは本当に惜しい
桑田は死のダイブ、遠藤は俊足だけに打者走者で全力疾走でアキレス腱断裂 弱いチームのエース格は二桁ぐらいは勝てるが
それ以上に負けてたような記憶がある >>329
桑田のは勤続疲労と経年劣化。
ダイブの後も先発してる。 遠藤様の腱が切れた試合、切れる時の音を聞いた俺。。。
今でも、たまに夢で見る。
番長も頑張ってたが、遠藤様はそれ以上だった。 そういう時代だからしょうがないとはいえ斉藤明夫
もメチャクチャな使われ方してるんだよなあ
1982年には56試合登板(うち1試合のみ先発)して
規定投球回数をクリアしてる(最優秀防御率)
翌年案の定防御率が悪化したしこんな酷使をして
なかったら1983年は貯金を作れてただろうな 147の糸引くような速球が印象的
斎藤隆とかこの人の系譜だろうな >>334
中継ぎが普通に防御率のタイトル獲ってるし FAがないと底辺球団に入ったらマジ地獄なんだな
昔の選手が無茶苦茶な経緯でも巨人行きたがった理由わかるわ >>337
でも、セ・リーグの選手は巨人戦ほぼ全部
TV中継あったから人気あった。
パ・リーグ弱小は本当に悲惨。 年俸、引退後の仕事まで影響したからね
平松って川上哲治が監督の時代にも投げてるんだな >>276
金沢次男が居たんだけど近藤貞雄に嫌われて
放出
交換相手の木田勇は一年目だけは健闘したが・・・ >>303
そもそも打線がクソみたいになるのは古葉以降
なんだよなあ
功労者の高木由一をシーズン中に引退させたり
とか古葉竹識のやったことはメチャクチャだった >>24
小林→野村・オルセン→池田・ゲイル→キーオ・仲田 遠藤は対戦した打者にとってはスピードガンの表示以上の球速に感じる投手だったようだ
スピードガンでも150キロに届くか届かないかぐらいのかなり速い数字が出ていたと思うが
それでも打者にとってはさらにもっと速く見えてたようだ 古葉竹識はド無能だったがカープから引き抜いて
きたスカウトは超優秀だった
1987年のドラフトは異常
1位盛田幸妃、2位岡本透、3位野村弘樹
みんな二桁勝利した
4位の清水義之と5位の横谷彰将もバイプレイヤー
として活躍したし年一で神ピッチする田辺学が6位
で指名されてるのも面白い >>12
80年代のセ・リーグ覇者は
広巨中巨広神広巨中巨 >>345
DeNA買収時に長年のシガラミで根っこから
腐敗が明るみになったわけで。
監督云々でどうにもならない状態 ――対戦した投手で印象に残っているのは?
「巨人の江川(卓)は本当にファンタスティックだった。あの年ではないけど翌年に7試合連続本塁打を記録した最後の試合が、
日本での最高の思い出なんだ。あの日は1日、雨が降っていて野球日和ではなかったんだけどね。巨人の王(貞治)監督は
江川を投げさせる予定だったから、試合をやりたかったんだと思うよ(笑)。その中で江川と対戦して4打席目まで打てなかった。
そして第5打席でフルカウントから彼が投げたのはストレートだったんだ! それを私が場外にホームランしたんだけど、
最高の思い出となったのは記録や飛距離だけではないんだよ。江川が勝負してくれたことが忘れられない最高の思い出を作ってくれたんだ。江川は素晴らしいピッチャーだったし、いつも勝負してきた。敬意を表するし、尊敬もしている。いい勝負だったし、その勝負に私は勝ったんだ」
――日本の投手で勝負してきたのは江川さんぐらいですか?
「もちろん広島の大野(豊)、川口(和久)という左腕の2人は、私だけじゃなく、どの左バッターにとっても厄介だったと思うよ。
巨人の角(三男、1985年当時の登録名)もよく対戦したな。中日の小松(辰雄)はボールが速かったし、大洋の遠藤(一彦)のフォークは消えたね(笑)。
偉大な素晴らしいピッチャーはまだまだいたけど、やっぱり江川は特別だったよ」 クロマティの印象では、メジャーレベルとなると、打者よりも投手のほうが多かったという。たしかにあの時代、球場は狭く、
打者の力量を測るのは難しい。逆に、その”箱庭”と呼ばれた球場で、スラッガーたちを抑え込んだ投手たちは、
クロマティの目にも”本物”に映った。
印象に残った投手について聞くと、自身が苦手としたからだろうか、特に落ちる系のボールを武器としたピッチャーの名を記憶していた。
「大洋(現・DeNA)の遠藤(一彦)、広島の大野(豊)はホントに打ちにくかった。あと広島の若いピッチャー、名前はなんだっけ、サウスポーの……。
そうそう川口(和久)だ。彼のストレートは速かったね。とにかく彼らは逃げずに勝負してきたからね。もちろん、ウチの江川(卓)だってメジャー級だよ。
あと桑田(真澄)もね。彼らは私の弟みたいなものだよ」 ヤクルトにいたホーナーの本に遠藤がNo. 1ピッチャーって書いてあった。アキレス腱断裂したときジャンパー着てたような気がするけど、最近のピッチャーは塁に出ても着ないね。 遠藤ってこれしか勝ってないんだ
200勝近くまでいってたと思ってたわ 大洋の暗黒ドラフト(上位指名投手)
78年:1位 高本昇一、2位 与座朝勝
79年:1位 杉永政信、2位 江幡和志
80年:1位 広瀬新太郎
全員高卒。ほとんどが一軍登板すらなし
81年:1位 右田一彦
82年:1位 大畑徹、2位 関根浩史
83年:2位 青木秀夫
84年:竹田光訓
大卒社会人に転換。ほぼ全滅。右田と大畑は短期で
パ・リーグに放出
ここから脱暗黒
85年:1位 中山裕章
86年:1位 友利結
87年:1位 盛田幸妃
再び高卒に転換。中山は古葉の酷使さえなければ・・・ 広島ほどじゃないにしても、80年代から90年代にかけて、
横浜はいいピッチャーが揃ってた印象あるけどなあ 角もワンポイントでメジャーが欲しがるとか言われたが
タレントとしても成功したけど、プロレスの関連で消えたんだっけ 平松の後継者って感じだったよね
ヒゲの斉藤もよかったけど >>354
いやいや、大洋ホエールズという弱小チームに15年在籍して通算134勝はとてつもなく凄い数字だよ >>136
晩年広島球場で150km投げてるけど大谷の160kmどころの速さじゃないぞ 江川とかは中4日で投げてたのに遠藤は大洋で先発陣がいないから中3日で投げてた
今の先発陣って週一とか楽しすぎだろ 遠藤の頃だと助っ人はポンセかパチョレックあたりか? しかし遠藤はすごいピッチャーだったけど
大門、有働、欠端、小桧山あたりが投げててよく対等に勝負できたよな 欠端は結構好きだったけどなあ
それに対等の勝負なんてできてなかったし >>332
何も知らないで言うなよ
プロ入りから年々ストレートの球速伸びてて、
94年には150キロも出るようになってた
怪我から復帰後は140前半が精一杯
怪我する前の桑田は無駄球がなくて試合時間が2時間ちょっとで終わるのも多かった
全球ストライクゾーン内でコーナーを突く投球は気持ち良かった >>313
桑田は怪我よりも長嶋の変な起用法が無ければなあ。 >>372
実際のデータは知らないけど
試合時間短いって印象あるのは巨人ー広島戦で
槇原と大野か川口の投げ合いって印象が強いわ
ナイターの放送枠使い切らなかったからな 集団ストーカーとは特定個人に対して反人権的な圧力を警察権力、メディア、近隣住民他大勢の人力を
使って仕掛けることである
集団ストーカーに遭って確信したこと、この国は”ごろつき、犯罪者”に乗っ取られている
富山県南砺市警察、或いは南砺市消防団は家宅侵入、窃盗、器物破損を繰り返す悪質集団です!!
泥棒のために税金納めるなんて考えられんわ!! >>155
41なら2ちゃんねるでは若い方だぞ。
頭が禿げたり白髪になったり腹が出てきたり。糖尿病になってインスリン必須の身体になっても、
老眼でモニターの文字が読みにくくなっても、
「お前は〜」とかいって煽りあっているんだぞ。 時代の進化とともに足が伸びたりしないだろうw
性選択淘汰で足長交配を繰り返せば先々そうなるかもしれないがw >>372
ソース無いけど、
ジョーブ博士の見立てではそうらしいぞ。 >>367
有働や小桧山はちょっと世代が新しい気がするw
田代砲も凄かったな、三振かホームランw >>378
どうでも良いよ
怪我でストレートだけじゃなくてコントロールもダメになった
同僚だった西山が動画で言ってたけど完全同意だった >>99
シーズン10勝して190勝に到達して何とか来シーズンで200勝だ、と思ったら1勝しかできずに引退した記憶 >>366
レオン、ミヤーン、トレーシーあたりだろ >336
中継ぎで防御率のタイトル取ったの
他では日ハム時代の河野と大洋の盛田、あと近鉄の赤堀か?
意外と多いような少ないような 1高木豊(二)
2加藤博(右)
3田代(三)
4レオン(一)
5長崎(左)
6山下(二)
7若菜(捕)
8屋鋪(中)
9遠藤(投) 木田?にデッドボール食らって暴れたデブ外人てなんて名前やっけ?
けっこう打ってたけどすぐクビになったようなぁ 大リーグで通用するとかあの頃いわれてたけど
大洋のエースはG線に投げると打たれないGキラーの斉藤ヒゲだろ 確実に言える事は今よりも昔はレベルが高かった
今の選手で江川金田沢村スタルヒン稲尾堀内杉浦を打てるのは居ない
逆に菅野岸松坂上原藤浪あたりは王長嶋中西末松野村に滅多打ちされてると思う >>144
小宮山は2浪してプロ入りが遅いから無理じゃね? >>385
盛田幸妃は途中まで先発やってたからまだ
良いけど赤堀元之の場合はリリーフ専任で
規定投球回数に届いちゃったからなあ
(イニング調整のために最後に先発もやった)
ただ規定投球回数には届かなかったが阪神
の久保田智之の方がクレージーだな
赤堀の方がまだ人道的な起用法をされてると
感じる >>391
これ思い出補正入るからよく言われるけど、むしろ逆 遠藤が巨人、広島辺りに入っていたら200勝しとったわ >>394
そんな事ないから
YouTube見てね >>391
稲尾とスタルヒンはスタミナも凄かったからな。
年間42勝なんか今じゃ無理。 遠藤、谷間、谷間、雨、谷間、遠藤と対戦チームとファンに言われてたな。
エースと抑えだけ、超一流で後は。。。。
しかし訃報かと思ってビビったわ。 抑えに回った遠藤一彦と槙原寛己はゴールされると相手チームの応援団から観戦が上がったものだ
最初は先発斎藤明夫・抑え遠藤だったな
よくこの二人しかいないのに130試合戦ったもんだ 俺の記憶では3塁ベース付近でアキレス腱断裂したと思うんだがあってる? >>399
既に投手分業制だったとはいえ、
まだ先発完投が原則の時代だったし。
JFKみたいな自動継投はまだ先 >>170
ドラマの遺影のイメージが強くてもう死んでると思ってたわ >>8
遠藤は抑えをやっていた時期もあったしマシンガン打線のような強力な援護も無い中での実績。確かに三浦も高卒ドラ6から叩き上げての実績は素晴らしいが勝ち星だけで全てにおいて上とは言い切れない。
因みに遠藤は東海大だが工学部出身というのはあまり知られていない。 横浜大洋銀行懐かしいな
当時の大洋打線は高木がシングルヒット打つくらいで全然
怖くなかった。そういえばツレがなぜか田代のことを凄く
嫌ってて大洋戦は田代の顔が気持ち悪くて生理的に無理だから
絶対行かないと言ってたw 一時期、大洋はほんとに巨人に勝てなかったよなあ
9回2点差でリードしてた試合でもサヨナラ負けして捕手の市川が号泣してた 80年代って阪神ヤクルト大洋でBクラスほぼ固定だったんだろ?
変わり映えなくてつまんなさそう >>410
切れのいいストレートとフォーク
さすがに三浦の比じゃないよな 80年代はプロ野球が一番 華やかだった時代だ
で、これ何のニュース?? >>11
大洋は伝統的に頭を使う野球は出来ない。良くも悪くも個人主義な選手が多かった。その為プレーヤーとしての能力はあってもチームプレーとは無縁の一匹狼が多かったので教える能力のある人が極端に少ないと思われる。
そんな中でも田代や高木由一のような有能な人もいるけどな。 80年代の大洋というと欠端を思い出す
見た目も投げ方ももっさりしてて、大洋の象徴みたいな選手だった 大洋と南海はともにリーグで最下位が定位置だったイメージ 遠藤より中塚が好きだった
あと「ホエールズ」の球団名、復活してほしい
ヤクルトかオリックス当たりどうかね? >>17
遠藤は足も速かったから無理してしまった部分はあった。途中でケンケンになりながらも三塁はセーフになった。
だが緊急降板だったとはいえ後のリリーフ陣が遠藤の体を張った走塁に応えられずあっさり逆転負けしたところが情け無い・・ >>116
江夏以降生え抜きで100勝したのは山本和とノウミサンだけ。80年代のエースは山本和しかいない 外野 長崎 高木由 中塚
内野 松原 ミャーン 田代 山下
捕手 福島
この時代が好き 三浦が遠藤に勝ってるとすれば制球力
遠藤はあそこまで精密じゃなかった
まあ、精密になる必要ないぐらいキレのある球投げてたしね TVKで大洋の試合の中継見てたぞ、リレーナイターだから途中で巨人戦に切り替わったけど >>418
一方でクセが一切なく綺麗なフォームで
なんの工夫もなく素直な球筋で130キロの普通球を投げた関根ってのがいましたね
綺麗な回転のストレートを綺麗に原辰徳にレフトスタンドに打たれるという >>418
欠端が生え抜き選手じゃないことは意外と知られてない >>404
最終戦かどこか長崎に首位打者をとらせるために1番の田尾を全打席敬遠した >>198
ファミスタの取説見てみ。
取説にはスポーツカートリオって書いてあるから。 中畑が横浜の監督をやっていた時
この人をヘッドコーチ兼投手コーチにした方がよかったんじゃね
二人とも同じ福島出身だから >>182
掛布には必ず初球カーブで必ず見送り。審判も少し外れててても必ずストライク。 >>340
近藤が自分の好き嫌いで
二番手投手の金沢を放出してロートル木田を
取った時は頭にきたな
金沢は移籍した日ハムでも先発で二桁勝ったが
木田はたいして活躍しなかった
韓国から呼び戻した新浦は活躍したがね
大洋は遠藤以外の先発が良くないんだよな、欠端、関根、松本とか
野村や三浦や川村や斎藤隆や福盛がローテ組んだ時代だけは凄かったが 30年間ホエールズファンの俺が一番好きな選手。今でも史上最高の投手と信じて疑わない。
アキレス腱の試合は確か中継してたんじゃないかな。三塁ベースに倒れこむように滑り込んだのを見て悲鳴をあげた覚えがある。 >>342
田代が正田と接触して大怪我を負い寿命を大幅に縮める
まだやれそうな中塚や基がやる気を失って引退(関根時代)
山下も古葉と対立して引退
加藤も若返りとやらで古葉に干される
レオンが近藤に嫌われてクビ
長崎が球団と大喧嘩して追放され今なお出禁状態
期待の若手として抜擢された大野や河野らが力不足
銚子は一応レギュラーになったがあまりにパワー不足
屋舗が15HR打ってから逆に打撃がおかしくなる >>162
その年はシーズン終盤まで負け越していてあわや史上初の負け越し最多勝の珍記録になるところだった。なので終盤はそれだけは避けようと必死だったと本人が言っていた。 >>57
プロ野球史に残るショッキングな事件だったな >>372
90年と91年の酷い不振はなんだったんだろ >>365
ちゃんと中4日とってるよ
ただし遠藤の中4日優先で他の先発陣とのローテーションがずれていくw
移動日+雨中止があると毎回遠藤が出現するような感覚w
あと2回ぐらいで早々にKOされたら次は3日内でも出てくることはあった >>342
は?打線は別当がいなくなってからダメダメだったよ?
田代孤軍奮闘のピストル打線 あの頃の大洋の対巨人成績は、4勝20敗とかのイメージ阪神も同じ やしき、かとう、ゆたか
他にも何気に俊足揃いで、ファミスタのWに外野の間抜かれたらもうなす術なしだったな。
逆にDやSは走力も長打もそんなに無くやり易かった。 >>418
弟が力士で、いつも「幕下以下の注目力士」で
扱われてたけど結局大成しなかった。 今ならFAで巨人阪神あたりが争奪戦してたんだろうな >>437
スランプの時、カーブをヒットして江川に睨まれた
がトークの鉄板ネタ 大洋の唯一の取り柄は良い外人を連れてくること。ボイヤー、ミヤーン、シピン、トレーシー、ポンセ、パチョレック、ローズ >>243
当時のセの球場は巨人が後楽園で甲子園もラッキーゾーンがあった時代。広島神宮ナゴヤも両翼90メートル位の上フェンスも2メートル位しかなかった。なのでフェンスが5メートル位あり両翼94メートルのハマスタが当時12球団で最もホームランが出にくい球場と言われていた。
広島の大野は旧市民球場をホームにしながら防御率1点台をマークしたこともある超人。 そういえば4番山崎ってのも思い出した
こけしバットの
低迷期の象徴みたいな出来事だったな >>432
遠藤の名誉のためにいっておくが
この前の巨人戦で江川負かしたのこの人だぞ、ちうにちは頭上がらんわ
最終戦はだれか忘れたが大洋は初めから勝つ気なかったと思う >>438
木田勇は一年目だけはギリギリ合格点だった
んだけどね
二年目以降はお話にならなかった
大外れドラ1の右田で欠端が獲れたのは儲け
だった >>462
こけしバット山崎は悪い選手じゃなかったけど
4番山崎は暗黒の象徴だなあ
ちなみにベイスターズ元年(1993年)の123番
は高木豊・屋鋪要・山崎賢一だった
まさかこの3人が揃って解雇されるとは・・・ >>158
22勝した1年目も、実は後半は結構ボロボロだった
翌年はなんとか10勝はしたけれど、内容は結構ひどい
たぶん何回か対戦するとタイミングとかが取りやすいタイプだったんだと思う
社会人を含めアマチュアは、同チームとはそんなに試合しないからね >>428
コツコツ積み上げた三浦は立派だとは
思うが遠藤なんかとキャパが違うよ
ちうにちなんか最初から捨て試合にしてた、近藤監督も打てるはずがないとか
言って雑魚当ててたよ >>451
暴露本書かれて投げる不動産屋って叩かれた上にバブル崩壊で読売に肩代わりしてもらった
野球どころじゃないわな 大洋で134勝ってことは巨人にいたら200勝してたのかな。 >>451
90年は謹慎で出遅れたけど十分第2エース。
91年はあわや最多勝利。ただしプッツン病。
不振は92、93年。連勝ストッパーと揶揄された。 遠藤、斎藤昭、大門、欠端、野村
味がある投手陣だったよな >>436
生え抜きレジェンドで球団OB重鎮クラスをほぼ同世代で同郷出身の外様監督の部下にさせるのは難しいんじゃないかな
本人がイヤと言わなくても周りが筋として許さないかも その江川の通算勝利数に1つ及ばないってのが少し物悲しい >>476
でもセーブ数も加味しないと
遠藤はチーム事情で抑えもやったし タカラのプロ野球カードゲームは毎年最新版の発売日に広島と西武と一緒に
なぜか好きでもなんでもない大洋を買ってきてた少年時代
ポンセのヒゲに惹かれたのか?加虐心を刺激されたのか? >>465
金沢出して木田はアホなトレードだったね
木田とか既に終わった選手だったし
金沢出すなら間柴くらいは要求できたよね?
ドラフトも下手だったね、明治の竹田とか一位だし 80年代の大洋は弱かったが、個性的な味のある選手が多くて好きだったわ 田辺もいた
ノーコンでどうしようもなかったが年に1回ぐらいは素晴らしい内容で完封するので、やくみつるが特に応援してたな 遠藤は性格もよかったんだよね
斎藤 遠藤 山下 田代は一緒に
トルコ風呂いくくらい仲良し
斎藤と岡本透は、SMクラブ一緒いく仲良し
正確には岡本透が運転手してたんだけど
岡本透は今や名すかうと 江川も沢村賞取れる成績だったのに
記者達に嫌われまくってて、
江川みたいなクズには絶対与えてはいけないって
結局一度も受賞なかったねw >>1
おれが弱い弱い大洋のファンでい続けられたのは大遠藤のおかげ
毎年5位か最下位のチームで明日は中4日遠藤の試合だけは勝てると計算して見られた 小中学生時代心を折られなかった精神的支柱 >>451
桑田は92年、93年と2年連続で酷いデキだったけど
確か速球に拘って筋肉を付けすぎたあまり、フォームのバランスが悪くなって
ピッチング全体がおかしくなったとか聞いた 遠藤は斉藤明夫とペアというイメージだな
盛田と佐々木も同じ >>490
アニータと不動産と暴露本で野球どころじゃなかったんじゃないのw >>492
言い忘れたその全てを生産するのに疲れたって意味ね >>490
アウターマッスルだけ鍛えて
インナーマッスルをおざなりにしたことで
バランスが崩れたとかなんとか
むかーし「スポーツ医(ドクター)」ってマンガで読んだ 1984年が凄いんだよ。以下の全ての項目がリーグ最多。使われ過ぎ。
37先発18完投17勝17敗イニング276回2/3失点132被安打255被本塁打39奪三振208 81年も89年に負けず劣らずの悲惨な年だったな。
チームの精神的柱の松原を前年に追い出してからおかしくなり
シーズンは補強ミスで負け続けているうちに土井監督下ろしが始まってバラバラになった。
土井下ろしに加担した選手は関根時代に平松以外全員クビないしトレードされて
平松も関根政権の終了と共に引退 そのころのセ・リーグ極秘アグリーメント
2年に1回巨人優勝。
残りの年をヤクルト・中日・広島で分けあう。
阪神は20年に1回優勝。この時は各チーム協力すること。
大洋は数合わせ。 >>486
実際に江川に接する記者はそんな悪印象ではなかったらしい
が、世論の逆風が強烈すぎて、記者も空気よまざるを得なかったとか >>492
アニータは89年、不動産と暴露本は90年 15年で二桁勝利8回、2年連続最多勝、沢村賞1回てかなりの実績だな 東海大出身、投手のたぶん唯一成功者で出世頭
菅野は超えられるんかよ >>505
東海大からロッテに行った井辺は現役時代は物足りない成績だったが今は名スカウト >>116
遅レスだけど山本和って抑えなのにチーム最多勝だったことがいくつかあったね。
当時は2、3イニング投げるのは当たり前、しかも同点、ビハインドでもガンガン出てたからリリーフでも10前後勝つのが普通だったのでセーブポイント(救援勝利+セーブ)でタイトル決まってたね。 かっとばーせカト
かっとばーせカト
かっとーばーせカトー
(蒲田行進曲) >>428
三浦の一軍デビュー戦は奇しくも遠藤の引退試合だったんだよね。遠藤はチームが暗黒故にこの位の成績で終わったけど当時の巨人や西武にいたら名球会も夢では無かった。
三浦は優勝前後の良い時期もあったが遠藤とは逆に暗黒故に活躍できた。このデビュー戦も入団1年目だったし、黒豚暗黒期は優勝戦士が放逐され三浦自身も干されていたが結局投げられる人が出ないため使われてた。酷い時は5勝でチームの勝ち頭という年もあった。
選手層の厚いチームだったらデビュー出来たかどうかも分からないし、あんなに長く現役を続けられ無かっただろう。それでも球団歴代3位の勝利数は立派だけど。 >>175
82年のオールスター期間中に不二家ネクターのCM撮影中に
肩に撮影機材が落下して肩を怪我したそれが肩痛の原因になった >>292
最多勝20は中日の松本だからなあ
取っては投げで有名な
でも球はおそくて本格派ではなかったからね >>505
菅野は現時点で通算73勝
大きな怪我さえしなければ遠藤の134勝は超えられるんじゃないか? >>501
選考は記者じゃなくて
運動部の部長副部長のみの投票だった
現場に出てた記者とは違う >>509
工藤……高卒入団プロ在籍29年 3336.2回 224勝142敗 勝率.612 防御率3.45
山本昌…高卒入団プロ在籍32年 3348.2回 219勝165敗 勝率.570 防御率3.45
三浦……高卒入団プロ在籍25年 3269.2回 172勝183敗 勝率.485 防御率3.58
三浦の通算投球回や通算防御率は200勝達成して名球会入りした工藤や山本昌と比べてもさほど遜色ない
弱い球団にいたから台頭できたのかもしれんけどやはりちょっと不憫 >>93
門田ってシピンに殴られてしばらく再起不能に陥ってた
屋鋪は正月に放送されてたプロ野球大運動会のバンブーダンスのイメージが強いわ 遠藤のフォークボールをノーサインで捕ってた若菜
ノーサインによる投球間隔のリズムはポンポン投げてくる遠藤には合ってたね 江川は沢村賞を逃したことで
結果として禊ぎが済んだ形になった。 大門っていう姿形、投げ方がそっくりなやつがいたな。遠藤のユニ着せて投げさせてもバレないと思われるくらい 遠藤出てくると相手チームが負けるイメージしか浮かばなかった 遠藤、川口はイケメン。川口はちょっとやんちゃ入ってたけど 巨人の星の頃はまだスワローズとカープが優勝したことなかったから雑魚扱いで、
ライバルキャラ達は阪神、中日と一回は日本一になったことのある大洋にいたんだよな
そしてその後なぜこれほど差がついたのか
慢心、環境の違い… >>533
荒波なんて足元にも及ばないポップスターだったからな アキレス腱切った試合は
消化試合だったけど
巨人戦で全国中継だったから
走塁で張り切っちゃったんだよなw だからおまえらはおっさんすぎるんだよ!
俺もだけど 長い間エースとして活躍してたイメージがあるけど134勝止まりなのか >>542
(バットに)大当たり→(外野席の)壁を越える
受験生のお守りにおすすめ!
やくのネタやな アキレス腱の時の打者が高木豊
ポップフライなら遠藤は怪我せずにすんだのにって思った俺は心が狭いか?
アキレス腱からやっと復活
打席に遠藤で三塁走者の高木豊がホームスチールで遠藤を吹き飛ばす
セーフで大はしゃぎの豊に殺意が湧いた 毎年、契約更改でゴネてる斉藤明夫がヤクザみたいで好きだったわ。
最近、ああいう感じの怪しい選手が居なくなったなぁ… 野球選手とヤクザくらいセカンドバッグが似合う男たちはいない >>528
佐々木のフォークが取れずに秋元の控えになってた谷繁
サインの物覚えが悪くて斎藤隆から馬鹿扱いされてた谷繁 >>371
西武は安定して強いだろ。
西口は名球会よりも、ノーヒッターにしてあげたかった。山井はノーヒッターになったけど。 >>546
登場するとき
横浜スタジアムのエレクトーンで
ヒゲダンス >>548
嘘かほんとか知らんが自分の名前も漢字で書けなくて
強豪校はどこも入れなかったらしい やくみつるが漫画書いてたよな
月刊ホエールズだっけ >>118
広島の大野は通算148勝だが、沢村賞を授賞した1988年は、
24先発、14完投、185イニング、防御率1.70で13勝しかしてない w
この頃の広島の貧打は本当にひどかった
キャリア通算だと2231イニング投げて、防御率2.90
138セーブ、キャリアの序盤は中継ぎだったから、今ならホールドも付いたと思うが、あの頃の広島じゃなければ、もっともっと勝てた 遠藤からコッチ横浜に新のエースと呼べるPが本当にいない。
斉藤隆、三浦といるにはいたが今日は勝てるって信じれたPは遠藤だけだわ。
つかベイは劇場やりたくて投手編成してるとしか思えんわ今。 遠藤は弱い大洋の中でもカッコイイ投手だったな
フォークはマジ凄かった
遠藤のスケールを小さくした大門も忘れられない
広島のアレンに襲われた顔は忘れられないw 遠藤と三浦は違うチームに入っていたら
レジェンドクラスになれたかもな。 >>118
三浦は平均的なチームにいれば220〜230勝てたって試算見た事あるな >>554
80年代末期
北別府・大野・川口で投手王国、でも貧打
90年代
野村・前田・江藤らで強力打線、でも弱投
(山内・沢崎・幹英、みんな短命)
本当うまくいかない >>372
それで大谷に手術すすめてんだからたちが悪い 年代別エース
60年代の秋山
70年代の平松
80年代の遠藤
90年代の佐々木
0年代の三浦
なのはみな一致すると思うが
10年代は誰なんだろ 昭和30年生まれ
江川卓
遠藤一彦
掛布雅之
大野豊
山倉和博
平野謙
袴田英利 >>561
勘違いしてるけど
ベイスターズが低迷してたのはピッチャーがボロボロだったから
打線はそれなりには援護してもらえる上位レベル
むしろピッチャーとしては恵まれてたんだよ >>565
佐々木はクローザーやんけ
エースやない >>565
佐々木みたいにリリーフで良いならヤスアキだろ >>567
多村・村田・内川・古木 確かに打つ方は人が揃ってたな
田代と高木の育成能力が高かった >>568
あれはプロレス。無名の中野渡を売り出すために遠藤コーチが鬼コーチ役を演じただけ。
テレビを全部信じる層って本当にいるんだな。。。 >>573
田代は超有能だったが高木は超無能で追放されたほどだぞ。 >>442加筆
田代が一塁守備中に打者走者の正田(広島)と接触して大怪我を負い寿命を大幅に縮める(近藤貞時代)
まだやれそうな中塚や基がやる気を失って引退(関根時代)
山下も古葉と対立して引退
加藤も若返りとやらで古葉に干される
レオンが近藤貞に嫌われてクビ
長崎が球団と大喧嘩して追放され今なお出禁状態(関根時代)
期待の若手として抜擢された大野や河野らが力不足
銚子は一応レギュラーになったがあまりにパワー不足
屋鋪は15HR打ってから逆に打撃がおかしくなる 90年代のエースは野村で異論ないけど
斎藤とどっちにしようかちょっと迷った >>574
中野渡は口が悪くてね
でも腹の中は空っぽだからいつも友達がたくさんいて賑やかだった
一言多いからお偉いさんには嫌われて、本人も怪我と登板過多で潰れたけど
ユニフォーム組は殆ど仲良かった
あの頃にはもう珍しかったわかりやすいサムライだったと思う
ベイになった時には、駒田が個人主義はいいけど陰湿な選手の多さにブチ切れてたし もし読売にいたら間違いなく名球会投手になってただろうな
とにかくあの頃の大洋は弱かった 1980年代前半なら小林もまだいたか
後半は仲田中田あたり? 阪神は短期間でエースが入れ替わってたって気がする
80年代を代表する大エースがいない >>582
リッカーからドラ1の中西清起が
入団記者会見で目標とする選手は?と聞かれ口籠っちゃった
返答が工藤と伊藤で、そのやりとりは月亭八方がネタにしてるくらい珍場面 00年代の井川慶とノウミサンまで自前エースおらん
藪・湯舟・川尻・中込… 当時の阪神で防御率10位以内
78 江本
79 小林 池内
80 小林 山本
81 小林 山本 伊藤
82 山本 工藤
83 福間
84 なし
85 なし
86 仲田
87 キーオ
88 キーオ
89 なし
90 猪俣
91 猪俣
92 中込 仲田 湯船 >>567
それも勘違い
雑で大雑把な野球で取るときは馬鹿みたいに取るし、相手が一線級の時はまるで打てない打線 >>507
ヤクルトの伊東なんか、抑えで18勝もして
最多勝獲ってたからな、今とは全然違うなw >>588
阪神は生え抜きの投手より生え抜きの捕手の方がアレかもしれん
ここ30〜40年で阪神の生え抜き捕手が規定打席に到達できたシーズンがほとんど記憶にない
木戸で1度あるくらいじゃないのか >>246
松岡は江川遠藤小松北別府の時代ではなく
堀内平松星野江夏あたりの時代
これだからボケ老人って言われるんだよ 秋田出身のやきう選手って、良くて普通で、ほとんどの場合中韓人みたいだなw 現実の大洋は弱かったけど
初代ファミスタは1番強かったイメージ >>596
ヤクルトは尾花で間違いない
左の梶間もいたけど 2アウトから外野フライを打たせると打球の行方も見ずにベンチへ向かう
でもファウルライン辺りで振り向いて確認しちゃう
しょうがない、大洋だもの 遠藤氏の現役生活=横浜大洋ホエールズの歴史だったね。
横浜大洋ホエールズとなって遠藤氏が入団し、
遠藤氏の引退と共に球団名も変わった。 スタイルが異常に良かった印象
ケンケンで三塁に行く姿さえカッコよかった 小原貴洋
はっきり言っておきますが
夢は偽装です。
私はロリコンでもショタコンでもウケでもありません。
映画を見たからと言って毎回それに影響されるような
夢を見ることはありません。
松下家には夫婦のほかにもう一人天〇がいます。
白井家にもいます。
ついでに中村家にも。
母と兄も‥なので偽装しほうだいです。 遠藤は物まねしにくかったな、大洋だと田代と斉藤明夫の物まねはしてた、独特
中居が野球ものまねウマイんだよな、杉浦とか >>425
三塁守ってた辰徳が間髪入れずにバツ印だして、タンカ呼んでたな…
大洋ファンでも巨人ファンでもないが、今でもすぐに思い出すわ >>99
巨人堀内恒夫は「203勝」。
もし堀内恒夫と松岡が入る球団入れ替わったら、松岡は確実に「名球会入り」だったろうな。
堀内が190勝。 >>610
なお
堀内が200勝に拘って現役にしがみついた、は嘘 >>58
82 山本和行 工藤 知らんがな
83 福間 中継ぎ?
84 なし
85 なし
86 仲田
仲田辺りからヘボ投手やなあ 仲田は投げ方をあれこれ変えていた 投球動作で下を向いて投げたり 大洋平松は、弱小球団で「201勝」してるから凄いよな。 >>614
平松は堀内とほぼ同時期に同じセ・リーグで投げて投球回・防御率・勝ち星も大して変わらないが
負けの数だけは平松の方が格段に多い
まぁ松岡と違ってどうにか200勝達成できたからまだマシだが >>425>>605
不謹慎だがガキの頃そのシーンをリアルタイムで見てガッツポーズしたら親に怒られたわ >>548
斎藤隆だって東北高校だしバカだろうにw >>615
つ年度別成績
200勝は劣化したラスト5年の2年目で達成。
言葉遊びする気は無いが、200勝のためには
しがみついてない。 くそ弱かった大洋で通算134勝はマジ凄いわ
この数字は金字塔だよ >>619
そういうレベルではない
谷繁が居た江の川高校は偏差値26のアホ学校でパンパースとあだ名をつけられるくらいアホの子だった
努力で球界を代表する捕手になれたけどね アラフォーのホエール会員だったが
遠藤の試合ですら勝ちの記憶ほぼない。。。
加藤博一で笑いを知っただけやでー ドラマに出演したことなかったっけ?
記憶違いかな? >>115
ロッテ村田
荒木はエースって言うほど活躍する前に肘痛になっちゃった。 遠藤さんはホエールズ(ベイスターズ)ファンの精神的支柱とも言える特別な存在
(投手)平松・遠藤・斉藤明夫・大魔神・番長
(野手)松原・ポンセ・田代・Sカートリオ・パチョレック・山下大輔・98年V選手・筒香
ここらあたりは球団史に残るレジェンド扱い > 82年9月21日の巨人戦(横浜)
この試合一塁側の上の方で見てたけど、ボールが前に飛ばないんで
すっげーつまんなかった記憶がある >>627
村田がバリバリのエースだった頃は別に暗黒時代でもないぞ 遠藤がエースの時代の二番手がしょぼい
金沢、関根、欠端と毎年二番手が変わった
抑えの斉藤を先発にすると抑えがいなくなるし
尾花、梶間、高野と安定した先発が三人いるヤクルトのが先発の頭数だけは計算できた
中日も小松、鈴木孝政、杉本、都までは計算できたし 遠藤さんと言えば若菜とのバッテリーでクロマティをど真ん中ストレート見逃し三振で仕留めて若菜が指で頭を指して「ここが違う」とアピールしたシーン 遠藤・斉藤明夫・斎藤隆は先発抑えとチームを支えた大黒柱として今でもファンに認知されているが、どすこいも先発抑えでそれなりに活躍したにも関わらずファンに愛されなかったのはある意味かわいそうではある 江川と遠藤の投げ合いはいつも1-0とかで試合がやたら早く終わり過ぎて
稲尾とかの過去白黒映像を見せられてたなw
巨人ファンだったが遠藤は知的な風貌と素晴らしいストレートとフォークでかっこ良かった >>634
巨人でノーノーやったのに抑えやらされててカワイソス >>626
駒田の奥さんが産んだ子供の父親はクロだったんだよな 中3日でたまにリリーフまでやらされてたな
フォークが良かった >>10
先発 えんど 右 3.40 145 体力45 右8 左8 縦8 遠藤一彦 >>24
スパローズ
先発 たかの 右 4.90 146 40 8 3 8 高野光
先発 あらき 右 5.40 136 35 9 5 4 荒木大輔
抑え あい 右 4.30 134 15 7 5 2 阿井英二郎
抑え やすだ 左下 4.00 130 15 12 12 0 安田猛
タイタンズ
先発 いけだ 右 4.20 142 35 6 8 5 池田親興
先発 とうやま 左 4.20 145 30 3 8 0 遠山昭二
抑え なかにし 右 3.70 138 15 12 6 3 中西清起
抑え やまもと 左 3.70 140 15 14 6 10 山本和行 >>648
懐かしいとは思うがこの写真だけで昭和がどうのなんてこじつけにもほどがありすぎる ロッテは川崎球場時代が暗黒時代だからな 成績とかだけじゃなく
毎度ネタにされてたし、選手からもトイレが汚すぎとか言われてたな ちょうどアキレス腱やったあたりで14勝、桑田が病気で休んだりでタイトルの可能性もあって無理したかな? 巨人ファンだったけど他チームで一番かっこいい選手だったな >>625
引退後、フジとTBSの連ドラに出てる。 >>645
屋敷は巨人時代のたった一つのファインプレーで死ぬまで食える様になったと思う >>8
番長は並外れた努力でエースに上り詰めた
遠藤さんは努力を感じさせないくらいその存在がエースだった >>631
でもヤクルトは抑えがいなくてね
それが大洋との差 打撃の苦手な槙原とランナーになったせいで大けがをした遠藤はパリーグだったら200勝出来立てかな >>480
野村収を呼び戻すために出した間柴をまた呼び戻す
のも運命めいてて面白いよね
結局日ハムでも持て余されてた木田勇に飛びついて
残念な結果に落ち着くんだけどさ >>522
節目節目の監督には恵まれてたと思う
2年目からは近藤昭仁監督の下で着実に経験を積み
権藤博の指導で二桁勝てる投手になった
一時期低迷期に入るも牛島和彦監督の手で復活して
初の二桁完投を記録
この年(2005年)についにエースになった
(2000年はあくまで消去法エース) >>554
ランスの化けの皮が剥がれ衣笠の介護者ジョンソンが
怪我で全然ダメだったシーズンだね
ただランスは前年の半分くらいしか打席に立ってなくて
19本塁打50打点だから全試合出たら30本塁打80打点
はクリアしただろうなあ >>565
何で佐々木主浩が出てくるんだよ
野村弘樹だろ >>575
高木由一を知らんとか・・・
何で高木豊ってフルネームで呼ばれるか考えた
ことない? >>576
屋鋪要と高木豊が台頭してベテランが出場機会を
失うのはおかしくないでしょ
二人とも引退時点で三十代後半なんだし 80年代の阪神は、シーズン15勝15セーブの山本和行しかない。
あと中込、ゲイル 中継ぎの福間が規定投球回数クリアして防御率のタイトルとるほど阪神の先発は糞だったよ >>589
1974年の古賀正明、75年の足立義男と2年連続
のドラ1投手入団拒否が痛かった
69年上田二朗、70年谷村智博、71年山本和行と
3年連続でドラ1投手の補強に成功してたのに >>592
近鉄の石本貴昭も19勝して勝ち星泥棒呼ばわり
されてたね
徹底的に酷使された結果でしかないのに >>614
平松政次の全盛期(川崎球場時代)の大洋は弱く
ないんだよ(強くもないが)
ガラスのエース呼ばわりされてるけど普通に酷使
されてるよ
アレで壊れない方がむしろおかしい >>658
80年代のヤクルトが横浜大洋を上回れない理由は
抑えの存在以外になかったね
土橋正幸監督は先発投手を合間にリリーフさせる
大昔の継投をしたけど関根潤三監督は先発要員を
後ろに回した(高野光、伊東昭光、内藤尚行)
その結果ローテーションが弱体化するのだが >>667
日本一になった1985年でも投手陣はボロボロだもんね
打たなくなればそりゃ簡単に低迷するよ >>649
良いこと言いたいだけの馬鹿って感じだな >>673
伊東昭光のロングリリーフはエグかった
何イニングも投げるからね、最多勝もとったし
伊東昭光が活躍した時は梶間は二軍かね?
88年のヤクルトのローテとか思い出せない
アンダーかサイドの宮本が何でも屋やってたね
大洋はエース遠藤と二番手欠端の力の差がありすぎたね、遠藤の翌日に欠端や関根じゃ打ちやすい
ヤクルトの尾花、高野、梶間の表ローテはそこそこ安定して力あるから落差はないんだよね クロマティが言っていたわ
大リーグで通用するのは大洋の遠藤でしょ 広島のサウスポーの2人でしょ
ウチのクワタさんでしょ 斎藤さんでしょ 槇原さんでしょ
打者? 西武のアキヤマね ビックパワーね、3ツールね
巨人では? ヨシムラさんね、
ヨシムラさんはビックパワーね、走塁、守備もよかったね 南波杏ね
原さん? う〜んwww
原さんナチュラルに見下していたわ 遠藤のフォークは突然、30cm落ちるから全く打てなかったと衣笠が言ってたな。
おそらく、対衣笠脱三振数は相当多かったのでは? これ完走するのか
この手の回顧スレおまえら本当に好きだな当時高津区住の俺も遠藤はカッケー思ったな 中山に例の事件が無ければ、チームはもっと上位になっていたはずだったのに 遠藤の投げ方と新浦の投げ方はカッコ良くて真似してたわ >>677
尾花高夫、矢野和哉、荒木大輔、宮本賢治でスタート
荒木の故障離脱もあって中本茂樹がローテーションに
昇格し新外国人のギブソンも加入した
途中で高野光も加わりシーズン最終盤には内藤尚行
も先発デビュー
梶間健一は谷間の先発もこなし防御率も悪くなかった
のにこの年限りで引退しちゃったね >>685
矢野和哉が懐かしいな
春先からこのルーキーは使えるのかどうか
社会人出身なんだから即戦力なんだろうけど、コレと言って武器もなく、それでも4〜5イニングくらいはなんとなく投げ切っちゃう、けど勝ち星にはなかなか反映されない
そのまんま現役をなんとなく過ごしちゃった
安田猛-加藤博人ラインのいかにもヤクルトらしい曲者投手で好きだった FA時代以降なら稼ぎが全然違ったろうな
以前なにかで江川の現役時代の年俸推移見て驚いたことある
20勝の翌年に19勝で年俸据え置きだったぞw >>289
巨人なら
松岡は300勝、
遠藤は200勝したんじゃないか。
松岡>堀内
遠藤>斎藤と思う。
星野は、中日以外なら100勝できていない。 >>687
16勝で減棒だからなあ
アホくさくて引退したくなるわな >>565
佐々木は抑えだから、先発エースではないよ 減棒ワロタ
これってわざわざ一文字ずつ入力したのか?w 絶頂期のONが年棒を抑えられていたから、他のチームも
右にならえだったといわれてるな >>691
江川卓の推定年俸推移(金額は推定)
1979 09勝 10敗 161.0回 防2.80 720万
1980 16勝 12敗 261.1回 防2.48 960万
1981 20勝 06敗 240.1回 防2.29 1560万
1982 19勝 12敗 263.1回 防2.36 3000万
1983 16勝 09敗 217.2回 防3.27 4400万
1984 15勝 05敗 186.0回 防3.48 4400万
1985 11勝 07敗 167.0回 防5.28 4800万
1986 16勝 06敗 194.0回 防2.69 4300万
1987 13勝 05敗 166.2回 防3.51 6120万 → 引退
合計 135勝 72敗 1857.1回 防3.01
これだけ投げて1億にすら全然届かず
今の時代にこの成績なら何億になることやら >>697
40歳サラリーマンが400〜500万円だった当時は4000万円とか夢の世界だったけど、
今は平均実働10年以下の世界の成功者がこれじゃあ夢がないと思うな 俺の記憶では遠藤は後楽園で原からバックスクリーンにホームランを食らってのけ反ってアーって顔した場面しかない あと、試合中マウンドであまりの緊張にもどした事とか 当時の横浜のユニフォームも似合ってて
凄くカッコ良かった
もう少し遅く生まれてたらメジャー行ってる >>61
大畑の息子、今年のドラフト候補なんだよな 子供の頃に巨人の試合を見ていて
遠藤と新浦だけは全然勝てる気がしなかった
球界の因縁や評価など知らない巨人ファンの子供の目には
江川や西本など相手になら無い凄い投手に映っていたな
巨人で対抗出来るのは加藤初だけだと思っていた >>700
つか、原がカモにしてたのは遠藤だけのイメージがある あら懐かしい
一緒に撮ってもらった写真どっかにある 80年代のプロ野球って地味だね
ON引退で人気が急落してたのが今ならよく分かる >>708
バブル真っ盛り
相撲は国技館の枡席は20万
四級も東京ドームはチケット取れずに大変だったけどな >>709
バブルというけど、実際は高度経済成長期のどんちゃん騒ぎから見ればショボイんだよね 10年早く生まれてON相手に投げまくってれば伝説的なPになれたのに >>712
平松と遠藤がいたら
ジャイアンツの堀内、高橋一三の2枚エースより上だな >>697
21勝で最多勝とった佐藤義則の翌年の年棒は3800万だからな
その年に1億を勝ち取った落合がどれだけ道を切り開いたか クロマティ煽ったのはかっこよかった
自分が散々やっておいてやられる方になるとブチギレるクロマティの小物ぶりが笑えた 遠藤の後継者に大門がいたな
西崎も遠藤系だった
ただ西崎のストレートの方が
遠藤のよりも手元で伸びてたな
佐々木は先発で通用しなかったから
抑えになったけど、遠藤は先発でも
抑えでも一流だった >>552
何かの番組で漢字書いたのを見たが、普通に綺麗な字だったよ。某漫画のーんの影響デカ杉w >>24
ヤクルト尾花はその四人よりは少し落ちるけど、充分エースだった
だが阪神は小林を禁止されたらその時代にエースと呼べた存在はマジで居ない
付いてるレスを見てもファミスタ&日本一の記憶で池田中西あたりの名前は出てきても
80年代前半の表ローテを支えてた工藤伊藤の存在なんてすっかり忘れ去られてる。
強いて言うならこの二人のどっちかになるしかないのに誰も覚えてない(笑) >>715
クロウがブチ切れたのは若菜に対してだよ
打席に立つたびに挑発してたから
試合後、すれ違った遠藤に「グッジョブ!」と声をかけたらしいし
後に遠藤のはスマートだったと言っている >>708
巨人戦はプラチナチケット。川崎球場はいつ行っても閑古鳥 >>717
あの漫画は本人公認だから
作者が選手達との交流の中で作ったキャラで、他選手が言っていた事を漫画的拡大解釈しただけ
自分がバカだということも公認だったという
もっとも中野渡なんかは、谷繁のリードの組み立てと打者の心理読みの深さに驚いて心酔してる
監督を務めただけの能力はきちんと育ったわけだ 当時助っ人外国人が、大リーグでいけるのは遠藤と言っていた。 このスレ見てたら80年代ひたすら懐かしすぎる
大洋:スーパーカートリオ
巨人:江川西本原
広島:投手王国
阪神:バース掛布岡田
中日:野武士打線
ヤクルト:赤鬼ホーナー
西武:広岡&森常勝軍団
阪急:ブーマー三冠
近鉄:10.19
日本ハム:トレンディエース西崎
ロッテ:サンデー兆治
南海:不惑のHR王門田 1985年の大洋は阪神にはすごいお客さんだったのに巨人にはすごい対抗意識もって
戦ってたよね。スーパーカートリオが走り回り(加藤博一がランニングHR打ったり)、近藤
監督がわざとローテーションで遠藤をG戦にしょっちゅうもってきたり。ようつべにもあるよ
うに延長戦になってもあのスラっとした体でスタミナいっぱいで抑え続けられてとても嫌な
存在だった。あの年はかなり遠藤にやられた記憶(中学生だったけど夢にも出てきたw)
... フォークボールがすごくて、マウンドのたたずまいもダンディでかっこよかったよね。 >>729
阪神は6試合連続2桁得点とかしてた気がする
先発仲田が初回5失点した時も解説の西本幸雄が「これで面白くなった」って言ってて、その試合も2桁得点で逆転勝ちしてた >>729
↑
1985年当時で中学生w
相当な親父だなww >>672
あの当時は先発でも普通にリリーフしてたからね、巨人戦ノーアウト満塁で平松がリリーフに出て見事に抑えた時はシビれたよ >>697
この上がらなさへの愚痴で、
15勝0勝15勝より、10勝10勝10勝の方が年俸高いのがプロ野球、だから適当にやるのが効率いいみたいなこと言って叩かれてたような記憶がある イニング喰えて良い投手だった
もう少しチームが強ければな 遠藤一彦の甥と聞いて、凄く期待した中日ファ
ンだが、まあ氏ね樣とネタで楽しませてもらっ
たからいいとしようw >>655
1994年日シリのことなら
「ファインプレー(笑)」 >>685
尾花、高野、内藤、荒木、梶間で回せたら安定した先発人なんだけどね
中本、矢野、宮本がローテはキツイよね、リリーフやロングならその三人は優秀なんだろうけど 一見簡単に見えるから「ファインプレー(笑)」になるんだろうけど
外野手にとって一番難しいのが、自分に向かってくるライナーなんだよ
後ろに逸らせないし、直接取るのかワンバンか一瞬の判断だし
あの時の屋鋪は直前にやらかしてピンチを作ってしまったから
なおさら一か八かの勝負プレーだった >>697
ただ巨人の年俸って推定の1.5倍から2倍だからねえ
江川卓の場合入団の経緯があるから低く抑えられてた
可能性もゼロじゃないけど >>716
佐々木主浩は腰に爆弾を抱えてたからドラフトの時点
で既にリリーフ要員として考えられてたんだよ
最初の方は先発もやってたけどね 近藤とかいう瞬間湯沸かし器さんが居たような気がする >>738
私が物心ついた時は、6回戦ボーイ、100球肩というアダ名だったような クロマティをフォークで三振に牛耳っておちょくっていたのと
三塁ベース手前でアキレス腱切ったのが印象に残ってるわ 駒田とかダメなのか?
まあファンからブーイングが聞こえそうだが コケシバットの山崎はアベレージ型だったよね?最後はダイエーだっけ?
田代が辞めて村田が出るまで長距離砲の打者はいなかったよな
今は打線のチームだし 若手時代の盛田は毎年期待されながらダメダメだったのだが
92年になったら突然覚醒したな >>744
当時の巨人の年俸は一見他球団より低く見えたが、実は監督賞など試合ごとの出来高制に近い別の賞金があり、レギュラー選手は賞金だけでも年俸以上に貰ってた人もいた。 >>752
悪い打者じゃなかったけど四番を打つ打者じゃ
なかったね
根本監督だったダイエーに拾われたのが幸運
だった >>754
どこの球団も賞金は出してたけど巨人は一桁
違ったと言うね 田辺や大門はもうちょっと活躍するかと思ってたけど尻すぼみで終わったな
田辺はノーコン過ぎたけど >>742
中本なんてリリーフ毎年のように候補になっていつも失敗だったし
で、なぜか先発でたまに好投 同じ時期の南海
山内新
山内孝
山内和
藤田
森口
金城
そこそこ投手の頭数は揃えているのに常に最下位争い >>708
プロ野球人気自体はON全盛期よりも80年代の方が上だぞ。
ON全盛期は巨人だけ人気だからプロ野球全体のファン人口はそんなに多くなかった。
80年代は阪神や広島も人気球団になったからプロ野球全体でのファン人口が大きく増えた。 投手:定岡、川口、遠藤、荒木、渡辺久信(トレンディブームの頃)、西崎、ジョニー黒木、
馬原、小林(ロッテ・先発の方)、岸(現・楽天)
捕手:小林(現・巨人)
ファースト:?
セカンド:森脇、鳥谷
サード:原辰徳
ショート:高橋慶彦
レフト:蓑田、栗山(現・西武)
センター:新庄、前田智徳
ライト:真弓
かっこいい(ダンディーだったりハンサムだったり)人たちでメンバー組んでみた。
追加お願い。 >>761
人気のセ
実力のパ
なんていってたけど70年代でもセリーグでも実際に観客が入ったのは巨人戦だったもんな あの頃の大洋はめっちゃ弱かったもんなぁ
弱小チームでもモチベーションを高く持って先発、リリーフに大車輪の活躍をしたんだからホント頭が下がるよ >>745
新人時代キャンプで遠藤に怒られたそうな。
「汗かいたアンダーシャツは、さっさと着替えろ
冷えて悪化するだろ!」
ソースは当時の週ベ >>766
昔の映像を見ると甲子園ですら巨人戦以外は
ガラガラだもん
70年代までは「巨人人気」でしかなかった >>770
70年代の甲子園阪神戦は観客の少ない試合はアルプス席は閉鎖だったからな。
アルプス席だけ無観客なのは今から思うと異様な光景だな。 松本っていたじゃん?
兄貴が県大会であのピッチャーにメッタクソにやられたん
だけど、プロでは全く大した事無くて非常に残念w >>289
あの当時の大洋、ヤクルトは酷かったから
心底同意する 原は東海大3年先輩の遠藤と3年後輩の高野からメチャクチャ打ってた。
原が巨人入り早々の4月に小倉球場で遠藤からサヨナラホームラン! >>757
田辺はドスコイ山口以上の豆腐メンタルだったのが惜しかった
速球派でスタミナもあったから期待したんだが
後病気にならなければエースになれた素材だった神田大介 >>778
昼ドラ「ぽっかぽか」に出演した高木豊とか
謎の役者転向がちょくちょくあったな。
大原麗子の代表作「くれない族の反乱」では
バファローズ〜ライオンズの主砲・土井正博が超絶棒読み演技を見せていた。 >>773
サンケイの新聞奨学生やってたんでヤクルト戦のチケットが
ただで手に入ったがヤクルト大洋戦なんて誰も欲しがらなくて
暇なときに見に行ったがあまりにつまらんので3回で帰ったわw アキレス健の怪我が無ければ平松以来の大洋での200勝もあり得た
強いチームなら既に達成してたかも
ってくらい当時はすごい投手だった >>148
小松の最多賞なんていんちき最多賞じゃん。4回まで他のピッチャー投げてたのに勝ってたら突然5回から小松出てくるとか。
中日はそれやるから嫌い >>719
工藤とか伊藤とかなつかしすぎるw あと中田良のことも思い出してあげてw
どれもエースと呼ぶには程遠いけどw
>>24
70年代後半〜80年代はセパほとんどのチームに強力な生え抜きエースが一人ぐらいは居たような時代なのに
阪神は村山江夏の後は誰もいない時代がずっと続くんだよね
その後救援勝利も多かった山本和を挟んで今年のノウミさんまで、30年ぐらい100勝投手も出てなかった >>775
松本豊投手か
懐かしいな
秋田経大付(旧)時代は美男子で大人気だったのが
社会人を経てプロ入りした時には、苦労がぜんぶ顔に出てしまい、更に能面みたいに無表情になってた >>783
確かに遠藤、北別府に比べると小松は一段落ちるように思えるな
むしろ剛速球リリーフ投手としてデビューしたころの方が印象に残ってる 80年代横浜大洋銀行を支えた投手
五月女、前泊、橋、池内、門田、広瀬、金沢、大畑、竹田、関根、木村、久保 >>789
小松はシーズンごとにばらつきがあったね。
85年、87年はまさにエースという感じで
これは打てないなと言うピッチングだったけど。
パ・リーグだと渡辺久信が近い印象だけど
渡辺の方が若干安定度は上だったかな。 遠藤はカッコ良かったな。能力も一流。
劣化コピーの大門も好きだった。 この記事なんやねんw
遠藤一彦のこれまでの軌跡か?
訃報にしてはそれらしい言葉一切ないし
何が目的の記事がしっかり書けやこの記者 >>796
昨日だか大洋の木田スレ建ってたな。懐古情報だな。 >>8
なんでこんな結論になるんだ…
本人の成績も素晴らしいし、面白い記事だとは感じたが番長と比べる思考にはならんかったぞ >>753
それは本人が著書でその時期は一生懸命練習しようと思わなかった。ダメな奴は何してもダメだと思っていた、とか。
同期の野村が活躍した、同学年大卒世代がそろそろ入団してくる・・・となって練習に身を入れたと書いていた。 遠藤は顔がよくて足も長くてスタイルが良かったな
巨人に入ってたらチヤホラされて終わってた 全盛期知らないんだけどアキレス腱の怪我がなかった場合、どこまでやれたのだろう?
横浜の優勝は98年だからそこまではどう考えても無理だったとしても、
95、96あたりもそこそこいい戦いしているから、+遠藤なら優勝に届いたんだろうか?
しかし、優勝のころか?やくみつるが「遠藤のアキレス腱断裂はヒットを打った高木豊の責任」
「復帰後に遠藤の打席でホームスチール仕掛けた高木豊は万死に値する」とか書いたドン引いたわ。 ストレートが早くてフォークボールが得意
ただそれだけのピッチャー >>783
大抵、そういうのをやると墓穴を掘る事が多いんだが
掘らなかったんだよなw >>802
そういうたらればはミもフタもない
スポーツ選手は怪我しないのも実力のうちなんだから
「怪我がなかったら」なんてのは「もっと実力があったら」って言ってるのと同じこと
「もっと実力があったら200勝してた」って言われても誰だってそうだろとしか 小松よりヒドい最多勝がいたはずだ。
ヤクルトに。
先発試合数ゼロの奴が。 プロ野球史上初の3年連続最多勝がかかってた年にアキレス腱切っちゃったんだよな…
その時点までで14勝ぐらいしてて十分射程圏内だったのに惜しかった。
てか実はまだセでは3年連続最多勝投手って出てない? >>808
さいとうまさきが四年で三回取ったのが最高 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています