【サッカー】独占 「過去を振り返らない」中田英寿に、あえて20年前の“あの日”の話を聞いた
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1998年9月13日。ちょうど丸20年前のこの日は、日本サッカーにとって特別な日だ。
日本サッカー、いや、アジアサッカーが、初めてリアルにヨーロッパトップレベルのサッカーシーンで認められた日、と言えるかもしれない。
この日にイタリア・ペルージャのスタディオ・レナート・クーリにて行われた1998−99セリエA第1節ペルージャvsユヴェントスにおける中田英寿の活躍はそれだけのインパクトがあった。
1998年6月にフランスで行われたワールドカップにて、初出場国のエースとしてある程度のインパクトは残した中田だったが、ヨーロッパのサッカーシーンではまだ無名の存在だった。
7月24日に、セリエA昇格組のペルージャへ中田が加入したことも、日本では当然大きく報じられたが、イタリアではほとんどニュースにはならなかった。
当時のセリエAは、ヨーロッパ各国リーグの中でも、頭一つ抜けた存在のリーグで、世界中からトッププレーヤーが集まっていたリーグであったから、それも当然である。
ペルージャの開幕戦の相手ユヴェントスはセリエAの中でも、飛び抜けた実績と強さを持つクラブだった。
その輝かしい歴史に加え、前2シーズンを連覇し、3連覇を狙うシーズン開幕を迎えたユヴェントスは、
ジネディーヌ・ジダン、アレッサンドロ・デル・ピエロ、フィリッポ・インザーギ、エドガー・ダーヴィッツといった錚々たるメンバー。当然、戦前の展開予想では、ユヴェントスが圧勝する、という見方がほとんどだった。
試合はダーヴィッツ、イゴール・トゥドール、ジャンルカ・ペッソットのゴールで、前半を終えた時点で
「ペルージャ 0−3 ユヴェントス」と、戦前の予想そのままのスコアとなる。両者の実力差から考えても、ユヴェントスの勝利は、もはや確定だとすべての人が思ったに違いない。
しかし、試合はここから予想外の展開を見せる。右サイドのジャンルカ・ペトラーキからエリア右に走り込みながらボールを受けた中田が、
角度のないところから放ったシュートは、名手アンジェロ・ペルッツイの左脇をすり抜けてゴールへ。
記念すべきセリエA初試合で初ゴールを挙げた中田は、さらにその直後、CKのこぼれ球を右足ボレーで叩きつけて2点目を挙げる。
レナート・クーリはまさかの展開に騒然となった。
結局、その後は試合巧者ぶりを見せたユヴェントスが、3−4で何とか勝ち点3を得たが、王者ユヴェントス相手に堂々たる戦いぶりを見せたことで、
ペルージャはもちろん、2得点を奪った“NAKATA”の名前は、翌日の各メディアで大きく報じられ、一躍、その名はイタリア中に知れ渡ることになった。
その後の中田のキャリアについては、ここでは改めて触れないが、この試合での活躍が、その後の彼のキャリアに大きな影響を与えたのは間違いないだろう。
あの日から20年。2006年のドイツワールドカップを最後にその選手キャリアを終え、現在はサッカーとは少し離れた距離で過ごしている中田は、今あの日のことをどのように振り返るのだろうか。
9月13日当日、「過去を振り返ることのない」男に、あえて20年前のあの日について話を聞いた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180915-00831123-soccerk-socc
9/15(土) 8:05配信
https://amd.c.yimg.jp/amd/20180915-00831123-soccerk-003-3-view.jpg
http://www.asahi-net.or.jp/~KA7T-KIK/w-soccer/NAKATAlight980914_1.jpg
https://www.sanspo.com/soccer/images/20141021/ser14102105050001-p10.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=1JD634rrUF4
イタリアのアナウンサーが絶叫した中田のセリエAデビュー2ゴール
https://www.youtube.com/watch?v=5407UnTsZXA
98.9.13 中田英寿 セリエAデビュー戦 ■「試合に対するプレッシャーというのはなかったですね」
――初めてのセリエAの試合、ユヴェントス戦を前にした時の、自分自身の気持ちについて覚えていますか?
中田英寿 細かくは覚えてはないけれど、あの時にイタリアで僕に期待している人は一人もいなかったわけだし、
また相手がユヴェントスということで、当然誰しもユヴェントスが勝つと思っていた試合だったから。
むしろ、自分としては、試合に対して気負うということは最初から全くなかったと思う。
もちろん、日本から記者がたくさん来て面倒くさいな、というようなことは思ってたはずだけど(笑)。試合に対するプレッシャーというのはなかったですね。
――相手がユヴェントスということで、気負うこともなく?
中田英寿 全然。もう相手があれだけのスター選手のチームだと、気負っても仕方ないしね。ただ、うち(ペルージャ)の選手たちはかなり緊張していたと思う。
――そうですよね。セリエAへ昇格していきなり初戦がユヴェントスですから。
中田英寿 そう。もちろん、みんなはセリエAのレベルもユヴェントスの強さもわかってただろうし。
でも、こっちは何も知らなかったわけだから。「すごいヤツらとやれるな」という楽しみな気持ちはあったと思うけれど。
――試合が始まった後は、どんな感覚でした?
中田英寿 試合が始まって、特に向こうも最初からすごいプレッシャーをかけてきたわけでもなかった。
当然、最初からなめてる部分はあっただろうし、かなり余裕でプレーしていたとは思う。一方、こっちは「周りがビビって動かないな」みたいな感じで、さてどうするかと。そんな感覚があった記憶はありますね。
――前半で3点のビハインド。ロッカールームの雰囲気は?
中田英寿 チームメートは正直前半0−3で「ああ、やっぱり」みたいな感じで意気消沈してたかな。
でも、自分個人としては、全然やれてたという感覚はあったから、後半どうやろうかなと。
練習試合ではほとんど回ってこなかったボールが、この試合ではけっこう回ってくるな、という印象はあったかな。
――それまでは、パスがこなかったんですか?
中田英寿 もうチームに合流してからずっと。練習も練習試合も含めてほとんどパスは来ない。
いくら良いプレーをしても全く来ない。練習の時も、ボールを持ったらそれなりにやれてたという自負はあったけど、他の選手もみんなプライドあったんだろうね。
とにかく、いつまで経ってもパスは来なかったから、これは試合で結果出さないと変わらないんだろうな、と感じてた。
だから、まずは自分でボールをカットして、自分で点を取りにいくような形じゃないと難しいという感覚だったかな。
――その中でも信頼できる選手は何人かはいたんですか?
中田英寿 ゼ・マリア(ブラジル)やミラン・ラパイッチ(クロアチア)といった外国人選手は、イタリア人選手とちょっとスタンスが違ったね。彼らはイタリア人じゃないから、変なプライドが邪魔しない。
――今とはだいぶ感覚が違いますね。
中田英寿 確かに。当時はまだまだそういった意味では、サッカーが今のように国際的ではなくてあくまでもヨーロッパのものであり、ヨーロッパ中心に全てが回っていた時代。
特にヨーロッパでも、その時のイタリア、スペイン、ドイツ、イングランドが中心で、その中でも結局イタリアを中心にサッカーの世界は回っていたから。しかも、その中心であるイタリアだったわけで。 ■「何かが変わる時はドラマティックな展開ですからね」
――試合に話を戻しましょう。0−3で負けている状況での後半、ヒデさんとしては何かプレーを変える必要は感じていました?
中田英寿 いや、特には。自分のプレーは悪くないしね。
ただ、よりゴールに近いところでボールを受けてシュートを打っていかないとどうにもならないな、とは思ったかな。
もう、ディフェンスでどうするとか、後ろでボールを受けて組み立てどうこうじゃなくて、とにかく点を取りにいかないと仕方がないと。もう0−3だしね。
ちょっと無茶をしてでも前にボールを取りにいってシュートまでもっていかないと、という感じだった。
――そして初ゴールが生まれます。あのゴールを振り返ってもらえますか。
中田英寿 ペトラーキからボールが出てきて。受けた時点でペナルティーエリアの端のところで、かといって中に上げたところで誰かいたかと言われてもいなかったし。
後ろからFWが走ってくるくらいで、相手のディフェンスのほうが多かったから、正直、選択肢はなかった。
ちろん、普段は確度のないあそこからはシュートを打たないことが多かったと思うけれど、でも逆にパスの選択肢もなかった。
そうすると他に何ができるって、ドリブルで抜いて中に入っていくしかないんだけど、それも1対2とかの状況でかなり難しい。結局はシュートを打つしか、選択肢がない状況だった。
――点を取った後、ユヴェントスの対応は変わりましたか?
中田英寿 ユヴェントスの選手たちも、0−3から1−3になって2点差になった時に、ちょっと感覚は変わったんだと思う。
当然、彼らももう1点、とどめを刺しにいかないと、と思ったんじゃないかな。ただ、その直後にまたこっちが取ったから、焦った感じはあったかな。
――2点目を取ったことは、1点目以上に衝撃的でした。
中田英寿 2点目も結局はコースを狙ってあそこに打ったということじゃなく、あそこで一番大事だったのは雨の中でぬかるんでたから、まずはふかさないこと。
叩きつけると必ずバウンドして滑っていく。
とにかく、ふかさないことに気をつけて。だからこそ、インステップじゃなくてインサイドで打ってる。
そこをきちんと意識した結果が点につながったんだと思う。点を取った自分よりも、チームメートのほうが喜んでいたけどね(笑)。
――あの得点で、試合の空気が全然違うものになりました。僕ら日本人から見ていても、ちょっと信じられないような感覚はありましたね。
中田英寿 まあ、いつでもね、何かが変わる時はドラマティックな展開ですからね。
――そのあとにPKがあるわけですが、キッカーは決めればハットトリックになる中田ではなく、アントニーノ・ベルナルディーニでした。
中田英寿 PKについては、基本的に試合前にチームで誰が蹴るか決まっているものだし、別にハットトリックを取ることが僕の目的なわけでもない。
試合に勝つことが大事なわけで。そこで誰が決めても、3−4になった後に追いつくことが大事。なので、全く異論もなければ何とも思わなかった。
――試合が終わった後の雰囲気については覚えていますか?
中田英寿 終わった後は、前半で0−3になりながら、ユヴェントス相手に3−4までいけたということで、終わった後もまるで勝ったかのような、ある種の喜びと安心感があった感じだった。
それは、選手だけじゃなくて、ファンの人たち含めてスタジアム全体もそうだったと思う。逆にユヴェントスはまるで負けたかのような感じで。
――結果的に、このシーズン、ペルージャは残留を果たしますが、開幕戦の結果は、チームにとってすごく大きかったと感じます。
中田英寿 僕のサッカー人生は、結局、小中高、そのあとも含めて優勝争いしたことはローマでの1回しかなくて。
それ以外は比較的弱いチームにいることが多かったから(笑)。だけど、降格したとか最終的にダメだったことは1回もない。代表でも、U−17、ユース、オリンピック、A代表含めて、アジア予選で負けたことはない。
そこは、自分の中では重要なポイント。ペルージャにとっても、昇格して1年目で、最終戦までもつれはしたけれど、残留を果たしたのは本当に大事だったろうし。 ■「ペルージャは今でも特別な街だよね」
――自身にとって、改めて20年前の今日の試合はどういう位置づけですか?
中田英寿 僕自身は過去を考えないようにしてるから、今回はこういうインタビューということで特別に答えてはいるけども(笑)。
もちろん、覚えてないわけでもなく、過去が悪いわけでもなく。ただ、過去は過去であって、変えられるものでもないし。
自分にとってはやっぱり過ぎたことであって。もちろんそれがあったからこそ、その次があって今がある、とつながっているとは思うけど。
自分はいつも前のこと、先のことを考える人間だから。
だから、あの時はどうって言われても、「うん、そういうものはあったね」という事実だけかな。変わらない、それは。
――あの時に初めて、ヨーロッパのトップレベルのサッカーと日本サッカーが、中田英寿を通じてとても近くなった瞬間だと感じます。
中田英寿 それは周りの人が思ってくれればいい。その後に日本人選手が行くきっかけになったと言われるのはうれしいけども、それを考えてやっていたわけでもないし。
逆にそれを言われると、なんだかおこがましいな、と自分としては正直感じる。
――最後に、ペルージャという街に対しての想いを改めて聞かせてください。
中田英寿 やっぱり生まれ育った街である山梨だったり、初めてプロとして過ごした平塚だったりと同じく、ペルージャも特別な街なのは間違いない。
平塚には3年半しかいなかったし、ペルージャにも1年半しかいなかったけども、でもやっぱり今回も行って思ったけど、そこでサッカーだけをやっていたわけじゃないから。
サッカーをやっていた時間よりも、そこで生活していた時間のほうが長いわけで。
そこでいろいろな人と会って、いろいろなものを見て過ごして、練習場での時間よりも街にいた時間のほうが長いわけで。
だから、その時間はどうしても忘れられないものになってくる。
むしろサッカーよりもそっちのほうが懐かしいというか。ペルージャに行ったら、
「懐かしいな、やっぱりいいな」と思うのは自然だと思う。だから、そういう意味ではペルージャは今でも特別な街だよね。 >>3
>>6
>>8
えらいマトモな受け答えだな。
賢いのは元々だが、丸くなってもいる。 やっぱ本田とは根本的に違うな
あいつは弱いチームにいた事が恥ずかしいと思ってそう >中田「ドイツW杯の時は怪我(グロインペイン)は完全に治っていた。」
このネタバレに、
今まで怪我を庇ってプレーしていたとフェイクニュースをばらまいてた中田信者は旋律を覚えたらしい。 何だかんだ中田さんも語ってはくれているけど…
サッカーメディアの懐古の激しさは異常過ぎるだろ。
サッカーメディア>>野球メディア>>>>>>>>>>大相撲や五輪種目など
このくらいサッカーと野球は飛び抜けていると思うよ。 中田はイタリア語もすぐ覚えたしほんと頭いいんだけど
ドイツで寝転がったのだけはほんと意味不明だった >>18
中田のイタリア語の物腰が柔らかいのは、
ピロートークで覚えたらしいね めちゃくちゃ深い話だな
最後の締めのコメントとかかっけーわ >>15
ベルマーレに入ったのも試合に出られるからだからな 昇格チームがCL準優勝のユーべに2点入れたのは衝撃だった
中田はパイオニアそのものだわ 当時セリエAのBIG7は今でいうバルサレアルマンUバイエルンユーベチェルシーPSGが同一リーグで戦ってたようなもんだったからな
スクデット獲る為にCLは主力をターンオーバーで休ませてた時代 > 中田英寿 僕のサッカー人生は、結局、小中高、そのあとも含めて優勝争いしたことはローマでの1回しかなくて。
そのローマで優勝を引き寄せるゴールとアシストを決めた
相手はユベントス
やっぱり華があるわ >>15
VVVとかメルボルン行ってるのになに言ってんだよ
中田だってローマ行ってるわけだし アベマみたらパルマ時代のコッパ優勝が自分が主力で出て始めての大きいタイトルだから喜んでた。
ローマでのスクデットは控えだったからそこまでじゃなかったって言ってたな 本田は結局ユーベ相手には得点にすら絡めなかったしな‥
中田はジダンやネドベドいた頃のユーベに、チーム代わっても、しっかり活躍してたから凄いよな
実際ペルージャ〜パルマ時代までは周りに関係なく、単独で違いを作れる選手だったもんね >>21
海外からオファーあったら受諾してくれることと後年俸も移籍しやすいようにそこまで高くなかったんだっけ 本田はユーベ戦となるといつにもまして低パフォーマンスになってたな 日本の後進の為に何一つ遺さなかった奴じゃん
こんな奴の発言なんてどうでもいいよ >>5
は?
フォークの使い方も知らなかった奴がw? >>5
アンさんカズ以下ですw
イタリアでプレイしたアジア人選手のトップ10
http://www.channel4.com/sport/football_italia/topten/asian.html(リンク切れ)
1 中田英寿
2 森本貴幸
3 レザエイ(イラン)
4 中村俊輔
5 三浦知良
6 アンジョンファン(韓国) 大迫
(本田)
乾 香川 中田
(松井)(中村)(岡崎)
柴崎 長谷部
(遠藤)(稲本)
長友 昌子 吉田 ゴリ
(駒野)(中澤)(釣男)(内田)
楢崎
(川島川口) >>5
それは当時を知る韓国人ですらありえないと否定する あれもフランスが優勝したワールドカップ明けのシーズンになるのか >>39
中田ってアジアカップ出てないんじゃない? アジアカップといえばアジアカップウィナーズカップ(アジアCLの前身の大会)で決勝ゴール決めて優勝させてるな 最近Jスポで昔の日本代表の試合やってるんだが
今朝やってた2000年の韓国戦で柳沢がPK獲得して
自分で蹴って外してるシーン見てマジで笑ったわ
この頃のサッカーてほんと面白いな なして急に中田が露出してんだ?
中田が引退したときはせいせいした。
このうざったいナルシストをもう見なくて済むと思ったから。
なのに引退して長いのに定期的にメディア露出してセレブ感をアピールしてきやがる
鬱陶しいったらない。 >>1
中田英寿
・FIFA親善大使:2007(世界で24人)※W杯やその他FIFA関連のイベントでもVIP待遇
・FIFA国際サッカー評議会 諮問委員:2017「W杯、各国リーグなどのルール、競技規則を決めるFIFAの最高決定機関」
・BMW ブランド・フレンドに就任
・JAPAN CRAFT SAKE COMPANY 代表取締役社長
・一般財団法人TAKE ACTION FOUNDATION 代表理事 ※世界各地でのチャリティーマッチ、サッカー教室、各種慈善活動を行う。
・東ハト執行役員 CBO(2003〜)
・デサントゴルフ アンバサダー
・ユニリーバ AXE BLACK LABEL プロデューサー(ファッション)
・ニューヨークマンハッタンに15億円のビル所有(賃貸業)
・Young Global Leaders(ダボス会議)
・観光庁アドバイザリー ボードメンバー
・サニーサイドアップ大株主(20万8000株保有)売上高133億9300万円
・湘南ベルマーレ オフィシャルパートナー
・ファッションモデル(海外有名ブランドの招待客の時も常にフロントロー ※VIP待遇)
・ハイブランドとコラボ
・CM
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
・歴代彼女の一覧
高校生時代に年上の彼女と2年、堀ちえみの従姉妹、未希
鶴田真由、中山美穂、立川宣子、米倉涼子、伊藤裕子、北川景子、滝川クリステル、相沢紗世
柴咲コウ、宮沢りえ、長谷川理恵、白雪(日中ハーフのモデル)、マギー・Q(ハリウッド女優)
ミラ・ジョヴォヴィッチ(ハリウッド女優)、アマンダ・ストラング(香港の人気モデル)
リン・チーリン(台湾人女優)、ハン・イェスル(韓国人女優)、ジョウ・シュン(中国の人気歌手) 他、女優モデル数名。
・英語、イタリア語、ポルトガル語、スペイン語、フランス語、日本語ぺらぺら。ロシア語、中国語も日常生活レベル
・個人資産200億円以上
・FIFA 100:2004 ※神様ペレが選んだ『歴代サッカープレーヤーベスト100』に選ばれる
・ゴールデンフット ALL TIME LEGEND 2014 (サッカーの歴史上に偉大な功績を残した引退選手に贈られる賞)※アジア人でただ一人
・AFCアジア年間最優秀選手賞:2回
・FIFA最優秀選手賞:4回ノミネート(アジア史上最多)
・バロンドール:3回ノミネート(アジア史上最多)
・イタリア共和国功労勲章 カヴァリエーレ勲位(ナイト):2005
・現在はモナコ住まい
・東京都心の超高級ホテル貸切 >>35
そう。結婚したいと思う人が出なければ、別に結婚しなくてもいい、っていうのが本人の見解。 とうとう昔話で稼ぐようになってしまったんですねヒデさんも >>12
頭いいなって思う。
それゆえにバカ相手に話すのが嫌いな中田。
だから、今回の特集は非常に貴重。 ■ 2000−2001シーズン、ASローマ優勝時の中田英寿の全出場記録
ブレシア 2-4 ローマ (75分出場) 8位チームに先発
ローマ 2-1 レッジーナ (12分出場) 時間稼ぎ 12分
ローマ 2-1 ウディネーゼ (90分出場) 12位チームに先発
ラツィオ 0-1 ローマ (4分出場) 時間稼ぎ 4分w
ローマ 1-1 バリ (90分出場) 18位チームに先発
ローマ 3-0 ナポリ (4分出場) 時間稼ぎ 4分w
パルマ 1-2 ローマ (5分出場) 時間稼ぎ 5分w
ボローニャ 1-2 ローマ (73分出場) 10位チームに先発
ローマ 3-1 ブレシア (10分出場) 時間稼ぎ 10分
ウディネ 1-3 ローマ (82分出場) 12位チームに先発
ユヴェントス 2-2 ローマ (31分出場) 信者がお経のように唱えるユヴェントス戦
ローマ 1-0 アタランタ (31分出場)
バリ1-4ローマ (12分出場) 勝利確定スコア後のレギュラー選手休養のため
ローマ 1-1 ACミラン (2分出場) 時間稼ぎ 2分w
ローマ 3-1 パルマ (11分出場) 2点リードの状況で時間稼ぎ&スクデットの立会人w
総出場試合数15試合(スタメン5試合)、総出場時間532分(マンU香川の約1/3)
強豪相手には一度もスタメン出場は無かった
http://www.fuoriclasse2.com/cgi-bin/read.cgi?2016-10-29001838 代表では日韓以降、クラブではパルマ以降下り坂キャリアだったからな‥
晩年はクラブ、代表共に半ばお払い箱に近い扱いになりつつあったしね
成り上がりキャリアの本田に比べ、エリート街道まっしぐらで、あっという間にトップに上り詰めて、一気に下り坂になった感じ 中田をたたきまくってた記者はいまどうしてるんだろ?
当時SNSがあれば、その記者自身が炎上して消えていっただろうから
中田が人間不信になることもなかった。 説明が知的であり、サッカーは判断のスポーツだからそこを常に考えてプレーしていたのがわかるコメントだね >>52
カペッロ「ローマ監督として中田の移籍をクラブ首脳陣に有無を言わせぬ形で要請し実際に獲得した。
今にして振り返ってみても、紛れもなき幸運だった」
ファビオ・カペッロ(ローマ監督)
「今後、ローマでは“聖ナカタ”を祭るかって?(笑) 冗談はともかく、私はこういうプレーを期待してナカタを獲得させたのです。」
「絶対、手放したくない」(カペッロ監督)
カペッロ監督 「中田がいなくては、誰がトッティの穴を埋められるというんだ」
ゼーマン元ローマ監督 「中田とトッティは、あまりにも似すぎている」
カペッロは、レアルの監督をする前に日本人向けでもなんでもない「自分の思う歴代最高イレブン」企画のボランチに中田を入れた
これ豆知識な
トッティ「ナカタは日本人っぽくないね。プライドの高いフランス人のようだ」
トッティ「彼のゴールがあったからこそ獲得できたスクデットだと言ってもいい。ナカタは偉大なプレーヤーだったよ。」
http://www.soccer-king.jp/news/media/wsk-news/20141112/249671.html
トッティ「ロッカールームのお祭り騒ぎにナカタを招待しよう。もう一度、あの微笑みを見たいからね」
デ・ロッシ「中田は自分とプレースタイルが似ていて参考にしていた」
「中田がローマで外人枠の関係で試合に出られない時も、腐らず練習し続け
最後に大活躍してローマを優勝に導いた姿にプロとしての姿勢を学んだ」
イタリア代表のデ・ロッシはイタリアの雑誌のインタビューで
「プリマベーラの時に、ローマの練習場で見た時から中田に憧れていた姿勢が良く、フィードが精確。ゲームを組み立てる能力も凄い」
中田のせいでスクデットを逃したってジダンも言ってるからな
ユーベ戦の直前にEU外国人枠が撤廃されてモッジも発狂してたろ
ジダン「中田さえ居なければユベントスの優勝だったのに・・」 01-02シーズン後に語る
中田が移籍してからローマは優勝してない
中田はローマ1年半でトッティに代わってトップ下で出場した時は6ゴール
出場したときのプレーでペルージャ時代よりも自身の評価を上げたからなー
W杯前に開催国の顔としてシドニー、コンフェデにも引っ張られた中本当に良くやったよー >>48
最後はマンUのモウリーニョじゃん、それしか分からへん アジア人初、中田英寿氏がゴールデンフット受賞…過去にマラドーナも
ゴールデンフット賞を受賞した中田英寿氏(左から2番目)
http://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20141015/242012.html
アルゼンチン向けに書かれたマラドーナ自伝 マラドーナが選ぶ100人に中田英寿
http://www.maradona.jp/modules/pico2/index.php?content_id=2
中田英寿 ペレが選んだ『偉大なサッカー選手100人』に選ばれる
http://ja.wikipedia.org/wiki/FIFA_100
マラドーナ「日本人がみんな中田のようにプレーするようになったら、俺たちは終わりだ」
元日本代表監督のジーコ氏(60)が、ZAKZAKの単独取材に応じ、「香川真司は中田英寿をまだ超えていない」との見解を示した。
http://www.zakzak.co.jp/sports/soccer/news/20130520/soc1305201151000-n1.htm
ヴェンゲルが海外日本人選手に言及「中田の代わりは出ていない」
http://www.soccer-king.jp/news/world/eng/20130608/115192.html
イタリアで再評価される「NAKATA」の衝撃 「サッカー史上で最も才能に恵まれたアジア人」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151111-00010010-soccermzw-socc
イタリアで今も轟く中田英寿の名声 「1970年代生まれの代表格」にトッティ、ロナウドらと選出
http://www.football-zone.net/archives/58319/2
・アジアカップウィナーズカップ優勝(ベルマーレ平塚/1995-1996)ACLの前身
・セリエA優勝(A.Sローマ/2000-2001)
・イタリア杯優勝(A.Cパルマ/2001-2002)
中田英寿 約5億2000万円 (ベルマーレ平塚→ペルージャ)
中田英寿 約18億円+アレニチェフ+ブラージ (ペルージャ→ローマ)
中田英寿 約33億円+DFトレード要員4人付き。無しだと40億円 (ローマ→パルマ)
※当時の史上最高額はユベントスからレアルマドリーへ移籍したジダンの65億円 (2001年) オーエンとかも壊れてからはイメージと実際できるプレーの乖離がひどくて
心が病んでたらしいし
中田氏も口には出さないけど相当きつかったんだろうな 韮崎高校の時は好きだったけどいまやメンヘラオカマだもんなぁ ◆ジーコ「彼(中田)は本当にすばらしい選手だった。日本サッカーの歴史上、ベストプレーヤーだと思っている。 」
http://www.iza.ne.jp/smp/kiji/sports/news/160727/spo16072717000022-s2.html
◆FOOT×BRAIN選出
日本代表ポジション別歴代最高選手MF部門 第一位 中田英寿
◆サッカーダイジェスト選出
識者&解説者へのアンケートでBEST of BESTを決定
日本代表 ポジション別歴代最強プレーヤー(選者は元サッカー選手10名、サッカー評論家や解説者10名の計20名)
トップ下部門
1位 中田英寿 87pts
2位 中村俊輔 45pts
3位 本田圭佑 42pts
◆Qoly編集部が選ぶ、歴代最強の日本代表ベストイレブン
http://qoly.jp/2015/04/03/japan-national-team-dream-eleven-selected-by-qoly?part=1
7人の記者がそれぞれの歴代ベストイレブンを選出
選出された割合
中田 (7/7)
本田 (4/7)
中村 (3/7) よく知らんが、中田って何カ国後も喋れるほど頭良いのか?
それでサッカー選手としても一流だったなんて、神様は能力を与え過ぎやろ 「セリエA歴代アジア人選手」を伊メディア特集 カズ、中田、俊輔、本田ら日本は最多10人
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170404-00010006-soccermzw-socc
イタリア紙「(中田は)疑いようのないセリエAで最高の日本人選手。
日本のスーパースターだ。10年前に引退したが、時代を超越した存在だった」と絶賛されている。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161108-00074897-playboyz-socc
イタリア屈指のサッカー記者
「本田はかつてイタリアでプレーした中田英寿とよく比較されるけれど、全然レベルが違う」と一刀両断したんです。
http://i.imgur.com/wsI5YQe.jpg
本田より腹の出た(年をとった)中田の方がまだミランをましにしただろう
セリエAシーズン平均採点6.0超えした回数
中田7シーズン中4回
====セリエA世界最強リーグ時代&回数の壁====
長友7シーズン中1回
本田4シーズン中0回
GOALイタリア版アンケート項目「中田のように高いレベルでの主役になる」
アンケート項目って万人にわかりやすくないとね。
GOALイタリア版では入団会見に先立ち、本田の活躍予想についてのアンケートを実施した。
投票の項目として準備された4項目と投票結果
・「セリエAで史上最高の日本人選手になる」…24.2%
・「中田のように高いレベルでの主役になる」…25.8%
・「長友のようになかなかの活躍を見せる」…34.3%
・「活躍できない」…15.7%
イタリアファンは本田にヒデ、長友級の活躍を期待
http://www.sanspo.com/soccer/news/20140109/ser14010921080013-n2.html
マンUサポの英ポップスター、オリー・マーズ「中田はレジェンド。加入してほしかった」
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1423223473/
「それにナカタだ。彼はレジェンドだよ。僕が子供の頃、世界中のチームが彼を欲しがっていた」
と元日本代表MF中田英寿氏の名前を挙げ、
「ユナイテッドにも、もちろん入ってほしいと思っていたよ!」と、当時加入を熱望していたとコメントしてくれている。 過去なんてものは存在しない
時間は概念
あるのは現在のみ >>66
しかもチンポもデカい
ビートたけしがスポーツの番組で中田と野球やって
トイレで横に並んだ時にデカかったと言ってた
それを聞いたジャイアンツ元木の嫁になる前の女が
「またファンが増えそうですねー」ってコメントしてて笑った 日本人とセリエAはカズから数えれば25年もの歴史があるが未だに中田しか成功者おらん
しかも日本の象徴的選手が数多く挑戦してるにもかかわらずだ たらればなんて無意味だが今の日本代表に中田がいたら面白かっただろうな
サイドにスピードある選手多いし中田のパスを受けれる選手が何人もいる
代表で遠慮無くキラーパス出しまくる中田が見たかった >>72
パサータイプばかりだったからな
推進力あるタイプの数が全然違う >>47
彼女情報、絶対ウソだろw
こんないたら、女が常に出入りする状況やで。 >>29
そういう選手は、世界を見渡しても少なかったからね。稀有な選手だったね。 コンフェデ杯の雨の中のガッツポーズは忘れてあげて〜 >>62
実際、abemaでも、パルマ時代までは懐かしそうに語ってたが、ボローニャ時代からは表情が険しくなっていた。 >>58
ローマ時代の中田は、正にスーパーサブだったよな。このレベルのサブっぷりは、スールシャールぐらいしか思いつかん。 【ねぎこ】能町みね子ヲチ&アンチスレ【ミソジニー】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/net/1521805145/
589 ラジオネーム名無しさん 2014/01/19(日) 16:02:37.76 ID:NUSAirYX
ねぎこは初期の2chでも 上級荒らし というあだ名が付くぐらいの中毒者
筋金入りだわ、俺たちが束になっても勝てる玉じゃねえわ マジキチ
ほじればいくらでもでてきて手に負えない
初期から自殺願望があって女に対する敵意はハンパない
フォンドヴォー ◆.RSPLIOMKE で初期の2chで荒らし王
◆.RSPLIOMKE というなまえから 27で ◆onion.i9w2 に変更
http://www.lo gsoku.com/r/yume/1165421329/
このセリフにはマジドン引き
7 : ◆.RSPLIOMKE [sage] 投稿日:2006/12/07(木) 01:22:03 0
あの子一回流産したんだってよ
それをあの子は私に、深刻そうに打ち明けた
私のことをなんだと思ってるのか。親友だとでも思ってるのか。
わたしはあなたにあの無意識なひどい言葉をかけられて以来あなたに心を開けません
流産を同情してほしかったんですか
わたしはあのとき心の中で、へー流産してたんだ、あはは、ってちょっと思っていました
あの子が辛かったんだろうなあと思うと少し嬉しくなりました
だからね、だから、こんな私だから別に死んでいいんだよ
ディズニーランドとか嫌いなんだからさ そういうジャンルの人間なんだよ デビューのユベントス戦はめっちゃ興奮して盛り上がったなぁ いまだに持ちあげさせてんのかこのご老人
聞きたいのは寝転がりだ
キャメラ回してたの? >>45
柳沢師匠はキーパーかわしてバックパスとかもっと笑わせてくれるシーンがあるはず 中田が父親になるのは想像できんが
ジュニアが活躍するのは見たい >>81
中田の完璧なアシストを何故か外しまくるデルヴェキオ、モンテッラに随分苛ついたもんだw
後半戦はもう見限った様に自分でボール運んで、自らシュート打ってて、その姿勢がユーベ戦の1点目〜2点目に繋がるんだよね
バティ以外にはパスするより、こぼれ球決めろって感じだったわ >>58
あの時代のローマのトッティってレアルのクリロナくらいのアンタッチャブルな存在だったよな ボローニャの半年が一番幸せだったと思うな。
選手も揃ってたし。
セリエは、結局最初の試合で結果出さないと、うまくいかない。
ビオラでは、はまらなかったね。 中田の頃はまだアジアはサッカー後進国で偏見あったからな
アンジョンファンがイタリアボコってから変わったみたいだけど
アジアにもこんな凄い選手いるのかって世界中が衝撃受けたしな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています