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なかでも彼が興味を持ったのは、日本酒と伝統工芸だった。同じ日本酒でも土地土地によって微妙に材料や製法が変わり、味に変化が生まれる。土地の気候風土にあわせて生まれた工芸が今もなお、その土地の文化として残っている。そこに共通するのは、繊細な職人技と頑ななまでのこだわり。そういったことが彼を魅了したのかもしれない。
多くの人間国宝の言葉に耳を傾け、陶芸家のもとを訪ねては土を練り、竹細工の職人とともに竹を削った。それまでワインやシャンパンしか飲まなかった彼が日本酒をのみまくり、酒蔵では真冬に汗だくで仕込みを手伝う。災害被害を受けた蔵に自ら出向き、ボランティアで復旧作業をしたこともある。

訪問前は予習をして、訪問後には復習を欠かさない。日本の旅が後半に差し掛かるころには、もはやその知識はプロ並み。質問の種類も変わっていった。
「この釉薬は何度で焼くとどんな色になるんですか?」
「酵母はどこのものを使っているんですか?」
訪問先の人も驚く。そして喜ぶ。あの中田英寿が自分の仕事に興味を持ってくれているということが彼らに力を与えたことは想像に難くない。訪問先で学び、関連書籍などを読み漁る。頭で考え、体で覚える。そして仲間を増やしていく。そうやって彼は、伝統工芸と日本酒について加速度的に学んでいった。

好奇心を好奇心で終わらせないのが、中田さんの真骨頂だ。気がつけば、利酒師の資格を取り、種類販売の免許も取得。工芸や日本酒に関連した事業を行う会社も立設立した。伝統工芸をテーマにしたガラを開催したり、期間限定の酒バーを海外でオープンさせたり、CRAFT SAKE WEEKというイベントを全国各地で開催したり、どんどんその活動の幅を広げている。

こういった活動は華やかでいかにも中田さんらしい。だが、その裏で彼は地道な努力を続けている。日本を巡る旅が終わってからも全国の蔵元や工芸家のもとを足繁く訪ね、工芸家の個展があれば、小さな画廊にも足を運ぶ。気になった酒があれば取り寄せて、おいしいと思えば、蔵元を訪問。さらに全国すべての酒蔵には毎年年賀状を送っている。「宛名書きだけでも大変ですね」と僕が言うと、彼はこう答えた。
「本当は全部の蔵に行きたいんだけど、なかなか難しい。だから年賀状だけでもと思って送っているんです。1年目は、ほとんど返事もなし。2年目は、半分くらい返事が来るようになって、3年目は多くの蔵元から年賀状だけでなく、新しい酒を送ってくれるようになりました。どんな小さなことでも続けることが大事なんです」

サッカー選手として抜群に足が速いわけではなく、足元の技術は「代表に行ったらいちばん下手だった」。特殊能力や飛び道具はない。彼の武器は、ひたすら走る精神力と、基本のインサイドキック。それを磨き続けて世界のトップレベルにたどり着いた。いま彼は、同じことを工芸と日本酒の世界でやっているのだ。彼は言う。
「サッカーにたとえるなら、まだプロになりたて。ゴールはまだまだ先だけど、ずっと続けられる仕事だから、焦らずやっていきたいと思っています」

つづく