活躍の舞台を甲子園からU-18アジア選手権に移した金足農・吉田輝星(17)。プロ球団が熱視線を送る“怪物”の進路を巡り、周囲の大人たちの“思惑”が複雑に交錯している。

 17歳の言葉が呼んだ波紋は、大きすぎるほどに広がってしまった。

「吉田に対して、高野連(日本高校野球連盟)サイドから“厳重注意”があったようです。ドラフト制度では選手から球団を逆指名することはできないため、特定の球団名を挙げるのは“最大タブー”とされる。高野連は“特定の球団名は出さないように”と各都道府県の高野連を通して通達している」(高校野球担当記者)

 問題となったのは、甲子園決勝の翌日、秋田凱旋時の報道陣への発言だった。

──好きな球団は?
「巨人です」

──巨人に行きたい?
「はい、行きたいです」

吉田は今春に八戸学院大学への進学が内定し、甲子園期間中も「いずれはプロに行きたい」と留保条件を付けてきただけに、より一層話題をさらったのだ。

巨人発言の裏には、準決勝で「レジェンド始球式」を務めた巨人OB・桑田真澄氏の存在が念頭にあったのではないかといわれている。
吉田は桑田氏に尊敬の念を抱き、試合前には「(後攻を取って)桑田さんの横に並びたい」と話した。
小学生時代に吉田が所属した「天王ヴィクトリーズ」の河村正悦監督が言う。

「野球を覚える中で、目指す投球スタイルを考えた時、桑田投手が自分のイメージにマッチしたんでしょう。
守備のフィールディングや配球の考え方を参考にしているのだろうと感じます」

17歳の素直な気持ち表明さえタブー視するのが、高校野球界の“空気”だ。

◆輝星だけでなく雄星も泣かされた

吉田と八戸学院大野球部・正村公弘(やすひろ)監督を引き合わせたのは、34年前に金足農をベスト4に導いた元監督・嶋崎久美氏だった。
昨秋の紹介以降、正村監督は往復8時間かけて、何十回と吉田の指導に足を運んだ。

「吉田が準優勝投手になるまでに成長したのは、正村監督の指導が大きかった。
吉田を紹介した嶋氏や金足農の中泉一豊・現監督は、正村監督への御恩を無下にできないため、進路変更してプロ志望届を提出するのは避けたいはずです。
そうしたアマ指導者たちの繋がりは、時に“ムラ社会”の掟のように機能することもある」(前出・担当記者)

問題は、当事者以上に、両校の関係者たちが“進路を変えてもらっては困る”と思っていることだ。

「金足農業は、これを機に八戸学院との進学ルートを築きたいし、八戸学院大は、スターが入学すれば大学としての知名度は桁外れに高くなる。
1985年、早稲田大進学を表明していたPL学園の桑田氏がドラフト1位で巨人に入団して以来、PL出身選手の早大進学ルートは断たれた。
もはや吉田の進学は、学校同士の問題にもなっている」(同前)

さらに厄介なのは、秋田県高野連の事情までかかわってくることだ。

「秋田では2015年に夏の甲子園ベスト8入りを果たした秋田商業のエース・成田翔(かける)が、社会人志望を表明しながら甲子園後にプロ志望に転向したことがあった(ドラフト3位でロッテに入団)。
この時もすでに入団確実と見られていた地元の社会人チームに迷惑がかかった。事なかれ主義の秋田県高野連としては、県内で再びそのような突然の進路変更が起きては困ると心配しているようです」(同前)

周囲の大人が高校生の夢を翻意させてきた例もある。2009年に花巻東(岩手)から、プロ球団を経由せずにメジャーリーグへの挑戦を希望していた現西武・菊池雄星は、
家族や学校関係者からの説得を受けてプロ志望届を提出。記者会見の終了後、菊池は目に涙を浮かべた。

西武は、ポスティング制度による今オフのメジャー挑戦を容認したが、菊池の希望が叶うまで、実に9年もの時間を要した。

http://news.livedoor.com/article/detail/15249754/
2018年9月3日 11時0分 NEWSポストセブン