0001サーバル ★
2018/08/31(金) 01:44:14.39ID:CAP_USER9(略)
病気が発覚したすぐ後に、東日本大震災(2011年3月11日)が起きた。さくらさんは、直後は作品中では触れるべきではないと考えたが、震災1週間後、まる子が花畑の中で涙を浮かべながら「きっと大丈夫だよね。日本も」と語る内容の4コマ漫画を新聞に描いた。その後2週間、新聞の連載を休んだ。さくらさんはその時期が本当につらかったと振り返っている。
優しく穏やかで明るい日常を描き続ける一方で、その繊細な感性で「死」とも向き合い続けていた。
「病状はずっと膠着状態でしたが、この夏前になって、急激に悪化したそうです」(前出・知人)
東京都心にある自宅からすぐ近くにある総合病院に通って治療を続けていたようだ。奇しくも、そこは、乳がん闘病の末に昨年、命を落とした元アナウンサーの小林麻央さん(享年34)もがん発覚直後に通っていた病院だった。
「最期は、静岡から上京して都内の自宅で一緒に暮らしていたご両親や20代半ばになった息子さんらに看取られたそうです」(前出・知人)
※女性セブン2018年9月13日号
https://www.news-postseven.com/archives/20180830_750169.html?PAGE=1#container