0001砂漠のマスカレード ★
2018/08/25(土) 19:43:33.05ID:CAP_USER9コラム【権藤博の「奔放主義」】
あれは、2013年のことだった。知人を介して、米国人ジャーナリストから取材の依頼があった。
その年春のセンバツ甲子園で、愛媛・済美高校の2年生右腕、安楽智大(現楽天)が772球を投げて物議を醸していた。
それについて、「ミスター権藤の意見を聞きたい」というのだ。
済美が準優勝したそのセンバツで、安楽は全5試合に先発。見ていて、私は気の毒に思っていた。
日本球界の宝になり得る逸材の芽を、酷使によって摘んでいいのか。
名古屋で会った米国人ジャーナリストの取材にも、「周りの大人が止めてやらんと。
指導者が『これ以上は投げさせん』と、ストップをかけてやるべきだ」と当初はそう答えた。
だが、意見を交わしているうちに、“私の考えは単なるきれい事ではないか”という疑問が頭をもたげてきた。
高校球児のほとんどは甲子園出場を最大の目標にし、一試合でも多く勝ち、一日でも多く聖地でプレーすることを望む。
大学や社会人、そしてプロで野球を続けたいという希望や夢はあっても、それは甲子園の先にある余得にすぎない。
県の代表としての誇りを胸に、学校や地元の期待を背負って、今その時を夢中で戦っている選手がほとんどなのではないか。
だからこそ、「指導者が止めるべきだ」と思っていたのだが、私がその立場だった場合、投げたい、完全燃焼したいと訴える投手に「ダメだ」「投げるな」と果たして言えるだろうか。
気持ちが揺れ始めた私は、思わずその場で携帯電話を手に取り、ある番号をプッシュした。かけた相手は日本ハムの斎藤佑樹だった。
斎藤は早実時代の06年夏の甲子園で、史上最多の948球を投げて優勝投手になった。
「もし、あの年の甲子園で、あの決勝で故障したらとは考えなかったか」
突然の私の質問に、電話の向こうの斎藤は考えるでもなく即答した。
「故障したとしても、本望だと思っていました」
今夏、秋田・金足農の右腕投手、吉田輝星が甲子園を席巻した。決勝までの全6試合に先発し、総投球数は881球に達した。
ひとりで投げ抜いた予選の地方大会も含めれば、この夏の球数は1517球に上る。
議論になるのは当然だが、選手の心情を考えれば、軽々に指導者を責めることができなくなった。
プロ野球のエースになるような選手は、この程度のことでは潰れない。私にできるのは、そう信じることだけである。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180825-00000016-nkgendai-base
8/25(土) 9:26配信