0001影のたけし軍団ρ ★
2018/08/20(月) 14:43:55.89ID:CAP_USER9スポーツのジャンルを問わずユーザーを広げている。
運営する運動通信社(東京・渋谷)の黒飛功二朗(くろとび・こうじろう)社長は電通出身。
「スポブル」誕生のきっかけは、電通時代から関わってきた高校野球のオンライン配信だった。
連日の熱戦で盛り上がる第100回全国高校野球選手権大会。地方大会からオンラインでライブ中継してきたのが「バーチャル高校野球」だ。
主催者の朝日新聞と朝日放送テレビが共同運営しているが、スポブルのアプリから見ることができる。
カメラの配置も通常のテレビ中継のようなバックスクリーン横からの映像だけでなく打者目線や投手目線などから選べ、野球ファンから支持を得ている。
スポブルには既存メディアのニュース配信だけでなくトップ選手のインタビューなど独自記事も掲載されるがすべて無料。収入は広告でまかなっている。
目玉コンテンツである高校野球の無料配信が生まれたきっかけは、偶然の連続だった。
DJに憧れていた黒飛氏の学生時代は1日20時間音楽漬けの毎日。大学には7年も通ったが親の勧めで気乗りしないまま就職活動すると電通から内定を得た。
新人研修の担当者の話に感化された黒飛氏は、学生時代が嘘のように働き始めた。
電通中興の祖と呼ばれる吉田秀雄氏が残した「鬼十則」。「仕事は自ら創るべきで与えられるべきでない」から始まる規範を、
肌身離さず持ち歩くほどの「ゴリゴリの電通マンだった」と言う黒飛氏の生き方を変えたのが、フェイスブック(FB)との出会いだった。
ヤフーを飛び出した児玉太郎氏がFB日本法人を設立したばかりの頃に営業に出向いた黒飛氏。
ソーシャルメディアの誕生に、ネット産業の新しい形を見た。FB日本法人に出向すると、電通にはいないタイプのビジネスマンたちと出会う。
児玉氏は高校を出て引っ越しのアルバイトをしていたところ求人広告を見てヤフーに入り、生まれたばかりのFBに出会う。
マーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)に口説かれて日本法人を立ち上げた。そのFB本体からは、20代にしてシリコンバレーを渡り歩くすご腕のプログラマーが派遣されていた。
電通に戻り新規事業の立ち上げを託されたが、モーレツ社員だった以前には感じなかった違和感がつきまとっていた。
「俺は死ぬまでに何ができるんだ……」。自問自答を繰り返していた2013年9月8日早朝、テレビで見たニュースの映像が黒飛氏の人生を動かした。
国際オリンピック委員会(IOC)が20年五輪・パラリンピックの開催地に東京を選んだのだ。わき上がる招致チーム。
黒飛氏は思わず自宅を飛び出し目的もなく早朝の町を歩き回った。「五輪となんの関係があるんだと言われそうですけど、
今やらないでいつやるんだと強烈に思ってしまったんですよ」。翌日、上司に辞表を提出した。
電通を去った黒飛氏は翌年、リムレットという会社を設立する。新規事業の立ち上げを支援する、
いわゆる「グロースハック」を選んだのはFBの日本事業を軌道に乗せる一翼を担ったとの自信があったからだ。
ここで思わぬ出会いが訪れる。電通を去る少し前のことだった。データエンジニアの同僚がテレビ局へのプレゼンに、黒飛氏を誘った。
相手は大阪の朝日放送。テーマはネットと番組の融合をいかに進めるか。
黒飛氏はFBでの経験を基に、高校野球を題材にとって話し始めた。あるキュレーションサイトを示して言った。
「この記事のひとつずつに広告が付いています。つまり、(大会を運営する)皆さんとは別の場所でお金が回っているのです」
そのプレゼンを別会場からテレビ中継で見ていたスポーツディレクターだった中村大輔氏から電話が入った。「高校野球をどうにかできないか」
黒飛氏はネットでの無料配信を提案し、朝日放送の幹部を根気よく説得して回る。電通を飛び出して起業を決意したのは、ようやく現在のバーチャル高校野球の形が見えてきた頃だった。
「必ず優秀な者を後任に付けますので」。わびる黒飛氏に中村氏は告げた。「何か勘違いしていないか。俺は君に話しているんだ」。バーチャル高校野球を新会社で手掛けて欲しいと言う。
こうして実現した高校野球のネット配信。15年は早稲田実業高1年生の清宮幸太郎選手(現日本ハム)が2本の本塁打をかっ飛ばした追い風もあり、視聴数は1000万に達した。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34287220X10C18A8000000/
https://vk.sportsbull.jp/koshien/