大野 自分のケガで監督が批判され、申し訳ない思いでいっぱいでした。だから、プロに入って余計に頑張りたいと思いました。打者でもやれるんだと。監督のためにも、絶対に打者として成功するんだと思っていました。

 九州共立大時代、とんでもない記事が出回った。大野が「いつか監督を殺してやる。毎日そればかり考えていました」などと発言したという記事だった。

 大野 僕はそんなこと言ってないんです。記者の方に誘導尋問されて、それが僕の本心のように書かれた。僕は栽監督を信じていました。もし甲子園の決勝戦で投げさせてもらえていなかったら、その方が後悔したと思います。