「エンターテインメントは、世界を変える」

 そのことを実感させてくれる作品がある。タイトルは、『チャック・ノリスvs.共産主義』(2015年)。日本での上映はなく、
DVDレンタルもされていない。現在、Netflixでのみ見ることができるルーマニアのドキュメンタリー映画だ。
「夏休み中に何か思い出に残るような一作を見たい!」というならぜひ、この作品をオススメしたい。

 まず、「チャック・ノリス」と聞いて胸が熱くなるのは、私と同じ40歳以上の男性がほとんどだろう。
1980年代、シルベスター・スタローン、アーノルド・シュワルツェネッガーと並んで“アクション・スター御三家”の一人に数えられた人である。

 しかし、時代の移り変わりと共に、彼はインターネット世代の間で交わされるジョークの対象となった。
いわゆる“チャック・ノリス・ファクト(チャック・ノリスの真実)”と呼ばれる、常識外れの強さや完璧さを語るジョークだ。

「チャック・ノリスは、腕立て伏せをするとき、自分の体を押し上げるのではない。世界を押し下げるのだ」
「チャック・ノリスは呼吸するのではない。空気を人質に取るのだ」
「チャック・ノリスは死を恐れてなどいない。死が彼を恐れているのだ」

 定型文に当てはめ、彼の偉大さを過剰に称えるジョークは、最近の日本でいえば、「大迫半端ないって」に近いだろうか。
2000年代半ば以降、「チャック・ノリス」の名は、彼が活躍した80年代を知らない若者の間でも“伝説”(ネタ)として語られるようになり、
全米はおろか、世界中に拡散した。

 そうした背景があって付けられた『チャック・ノリスvs.共産主義』というタイトル。だが、本作はれっきとしたドキュメンタリー作品だ。
当然、彼が一人で共産主義と闘う物語ではない。正しくは、「ハリウッド映画が独裁政権を打ち倒した」という話なのである。

 本作で描かれるのは、ニコラエ・チャウシェスクの独裁政権が続く1980年代の東西冷戦期のルーマニア。
配給による食糧も乏しく、人々は貧しく、暗い生活を続けている。
共産主義国のルーマニアでは、西側メディアの娯楽作品の鑑賞も厳しく禁じられていた。

 そんな中、人々の間にはひそかにハリウッド映画の海賊版VHSテープが出回り、夜な夜なマンションの一室などで鑑賞会が開かれていた。
ビデオの画質は度重なるダビングで劣化し、吹き替えはいつも同じ女性の声。
例えば、チャック・ノリスの声も、彼を拷問するベトナム兵の声も、すべて同じ一人の女性が弁士のように何役も演じていたという。

 このドキュメンタリーに登場するのは、いずれも名もなきルーマニア市民だ。彼らの共通点は当時、
地下流通していたハリウッド映画の海賊版を見ていたということ。誰もが興奮気味に、その初々しい映画体験を熱く語る。

人々は、ノイズだらけの画面の向こうに、次第に憧れや希望を抱くようになった。
ハリウッド映画を通して「自由」という概念を知るようになったのだ。だが、政府の監視は厳しく、
近隣住民が集まって行われる上映会は度々警察に踏み込まれ、連行される者が後を絶たなかった。だが、そんな危険を冒しても、人々は映画を求めた。

 本作の主人公は、海賊版VHSテープを命がけでルーマニア全土に流通させた謎の人物、テオドール・ザムフィール。
そして、一人で吹き替えを担当していたイリーナ・ニスターという謎の女性だ。当時、彼らが何をして、どのように振る舞っていたかが、
映画さながらの再現映像でドラマチックに描かれていく。

「自由を! 自由を! 打倒、共産主義!」

 映画によって「自由」を知った大群衆が通りに出て叫んだ。1989年12月、ルーマニア革命によって、チャウシェスク政権は倒された。
その影の立役者・ザムフィールが当時を振り返る。

「1989年の革命時、みんな通りに集まった。外(西側)にはいい生活があると知っていたからさ。どうやって? ……映画からさ」

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