「自分の年齢を考えたら、そんなに長い時間は残されていない。
さらに半年間も、日本にとどまることはできないな、と。それで、アトレティコへの復帰を相談した。
他のクラブでプレーする選択肢はなかったね。
鳥栖での降格を避けたい、という気持ちがありまったし、そこから逃れられるなら、と」

アトレティコでの試合は、5月21日、リーガ最終節が最後になった。
CLで敗れ、つなげていた気持ちも切れていた。6月には、鳥栖の会長とに会食することが決まった。

「自分としては、結果を残せずアトレティコを去ったことに、悶々とするところはあった。直感的に決めるべきじゃなかったなと。
でも、嫁が『若いときから一度は日本でやりたいって言って、どんなものかわかっただけでもよかったじゃない。
行かずにキャリアが終わっていたら、後悔していたかもよ』と言ってくれて、それもそうだなと。
異文化を経験できましたし、陽気さや明るさいという、スペイン人のよさを再認識できたのもよかったよ」

トーレスはそう言って腕を組んだ。消化不良の想いは残っている。
しかし、得たものがないわけではない。
ひとりのプロ選手として鷹揚(おうよう)に構え、試合に向き合えるようになったという。

「日本の選手は、食生活はめちゃくちゃだし、練習もかなりゆるい感じ。アトレティコのほうが断然きついよ。
それに、日本の選手は本番に弱いんだ。

その点、自分は少し思いつめすぎていた。
それでがんじがらめになっていたんじゃないか、と思うようなった。
手を抜くのとは違うけど、うまく割り切って、リラックスしてサッカーに取り組めるようになったね」

トーレスはいつも敗北や失敗からも学び、這い上がってきた。
チェルシー時代にはGKまで交わしたもののシュートを外し、その後はイタリアのミランに流れ、そのミランをCLに出場させ、アトレティコではクラブ史上初の100得点を達成した。
ドイツW杯では本大会のメンバーから外れるも、2010年の南アフリカW杯では優勝を果たした。

「もう、時代は違う。新しく変わるほうに身を委ねるのが楽なんだよ。
ただ、自分はいいときも悪いときも、このやり方でやってきたので」

トーレスはそう言うと、テーブルの上を片付け、布巾できれいに拭いた。

「豊田には積極的に話しかけているよ。
黙々と練習する選手で、なんか自分と共通する性格なんじゃないかなと。もっと英語がうまくなりたいよ!」

そう語るスペインの英雄は、今をたくましく生きている。
(了)